Unusual incident

 

これは、サムとフロドのちょっとしたお話です。

その日、サムは珍しく困っていました。そして、朝っぱらから鏡の前に立って悩んでいました。
「はぁぁ。」
鏡には、健康そうなホビットが一人立っているのが見えましたが、その表情は曇っていました。一回目をつむって、もう一度ひらいて、そっと体の向きを変えてみてまた鏡をのぞきましたが、そこにはやっぱりさっきまでと同じホビットが立っていました。
「はぁぁぁ。」
サムはもう一度ため息をつきました。そして姉さんの部屋にかかっている、今は宿敵とも言える鏡の前から退散して、とっつぁんやら姉さんたちの声が聞こえる台所に向かおうと思いました。鏡にはもうそのホビットが見えないように、布をかけてです。しかしくるっと鏡に背を向けたとたん、またため息が零れ落ちました。

サムは、自分の体型に悩んでいたのでした。

サムはとても標準的なホビットでした。純朴な性格に、おだやかな物腰、誠実な目をして、そしてちょっとぽっちゃりした丸い体型のホビットでした。それはどこから見ても、どこにでもいるホビットで、何ら奇異なところもありません。悩むべきことなど何もないように見えました。仕事にも主人にも恵まれ、家族はみんな仲がよく、仕事終わりのビールは今日もおいしいのです。それなのに、サムはたった一言の主人の言葉に悩んでいました。それは今朝のことでした。  

朝早く、今日もサムはお屋敷に庭仕事にでかけました。と言っても家からすぐそこですので、サムはふんふん、と鼻歌を一曲歌い終わらないうちにお屋敷の玄関に着いていました。そしていつものようにあの丸くてきれいなドアを叩こうとして、ふと手を止めました。中から声が聞こえたからです。それはビルボとフロドの声でした。
「・・・がね、わたしがちょっとやせすぎだって言うんですよ、ビルボ。」
おや、旦那、今日はもう起きていらっしゃる。大旦那も珍しく一緒に見えるだか。こりゃあ、お昼に何か奮発しておいしいもんでも作るだか。サムは朝一番にフロドの声が聞こえて、ちょっとご機嫌になってそんなことを考えました。サムはフロドも大好きですが、その義父の老ホビットも好きでしたので、今日は3人で過ごせるかと思うと、なんだか昔自分がまだ小さかった頃のことを思い出してにっこりしました。しかし、ここでちょっとサムの悪い虫が顔をのぞかせました。旦那方のお話をこっそり聞いてしまおうというやつです。サムは、なんだか悪い子だった頃の自分を(フロドの変わりようにはかないませんが!)思い出して、一人でふふ、と忍び笑いしました。それはちょっとだけ良心が痛むけれど、ちょっとくすぐったいようなそんな好奇心でした。ただ、サムはフロドとビルボの普段の会話を聞きたかっただけなのでした。サムは、この二人も、他のホビット(それが例えサムでも)がいるとやっぱり少しだけ違う雰囲気や態度をしていると思っていました。悪い意味ではありません。親子の自然な雰囲気も、サムは好きだったのです。それに今日は少しばかり早く来すぎていました。ですから、ちょっと耳をすませてみました。
「はっはっは。そりゃそうも言いたくなるさ、フロド。」
ビルボが楽しそうに答えました。
「でも、でもわたしはこの前ピピンにたるんでるとまで言われたくらいなんですよ。」
なんだかフロドの声が少しだけ幼く感じました。
「それなのにメリーったらやせすぎてホビットらしくないですよー、なんて平気な顔で言うんですよ。わたしは誰にも負けないくらいのホビットなのに。」
「そりゃそうだよフロド。お前はバギンズの出だもの。立派なホビットさ。それがちょっとたるんでるのは、この平和な生活のせいさ。きっとピピンはお前のしぐさやなんかがのんびりしてるからそんなことでも言ったんだろうね。あの子はぼーっとしているようで、ちゃっかり目端がきくからねぇ。」
「そういうことを言ってるんじゃないんですよビルボ。」
「分かってるさ。でもお前は太らないたちみたいだね。わたしと同じものを食べているはずなのに、どうしてお前はそうなんだろうねぇ。サムだってたいていお昼は同じものを食べているのに。」
「そう思うでしょう?わたしだって不思議だと思いますよ。わたしももう30歳です。ビルボ、あなたのかんろくの少しでも分けてほしいところですよ。サムまで行かなくてもいいんですけれどね。」
「ははっ。そうなのかい?」
そこでサムはちょっと考えました。ん?どういう意味だろう?と。しかし次の言葉でサムはなんだか落ち込んでしまいました。
「そうですよ、あのサムのぽっちゃりかげんを、少し取ってわたしにもらえたらいいのに。」
中で二人がどんな顔で話をしているのか、サムには分かりませんでした。(もちろん二人は他愛のない笑いでいつもどうり話しているだけです。)それでも、どうやら自分の体型を話題にしていることは分かりました。そしてフロドの言った意味を考えたところ、どう聞いても「サムはお肉があまってるから自分にほしい」としか聞こえなくなりました。サムはかなりここでががーんとしました。今までサムは自分の体型で悩んだことはありません。むしろ丈夫な体があることに満足して、それで旦那方のお役に立てるならそれでいいと思っていました。というよりは、無頓着だったと考えてもいいのかもしれません。ですから、フロドのその言葉を聴いた瞬間、初めて無性に自分の体型が恥ずかしくなりました。旦那はおらが太りすぎだとお考えなんだか?わけてほしいっちゅうことはそういう意味じゃねえのか?そしてちらっと視線を自分のおなかに落とすと、そこにはぽっこりふくらんだふくよかなお肉がありました。急に、サムはそんな自分に嫌悪感を抱くようになってしまったのでした。
 

 それでも時間というものは無情に過ぎてゆくものです。今日もサムの仕事の時間がやってきました。中からさっきの会話の続きか、そういえば今日はサムがおそいねぇという声が聞こえました。そんな時間になってしまっては、いくら落ち込んでいてもサムは旦那方ふたりの前に出て行くしかありません。ですから、サムはおそるおそるドアをたたき、ドアのかげから顔を出しました。できれば、ふたりにこのおなか周りのお肉を見せたくありませんでした。
「・・・おはようごぜえますだ。遅れてすまねえこってす。」
「おや!おはようサム!」
「おはようサムや。ちょうどお前の話をしていたところだよ。」
意気消沈しているサムとは裏腹に、ふたりは快活にそうあいさつをしました。そしてしょぼんとしているサムにこんなことを言ったのです。
「ほら、そんなところに隠れていないで出ておいで。わたしの自慢のお腹を見せておくれ。」
「自慢のお腹だって?はははっ!」
それはまたひどい言いようでしたが、ふたりはいつものように「まったく何を言ってらっしゃるだかこの旦那方は。さあさあ、今日はまず何をしますだか?」というサムの答えを期待して楽しんでいたのでサムのしょげぐあいには気がつきませんでした。しかし、期待した答えはなく、かわりにサムはじいっとフロドを(しかもちょっと涙目になって)見つめて、
「へぇ・・・」
と言ったっきり、外に出て裏庭に回ってしまいました。パタンとドアの閉まる音がして、ビルボとフロドは予想外のできごとにびっくりしました。
「あれ?サムはどうしたんだろうねぇ。」
これはビルボです。
「さあ・・・どうしたんでしょうか・・・」
フロドはそう言って、なんだかサムの目が悲しそうだったのを思い出しました。
「なんだか、サムは元気がなかったみたいですよビルボ。今日はお昼をふたりでサムに作ってあげましょうよ。きっと元気が出ると思いますよ。」
「そうだな。よし、久しぶりに腕をふるうか。」
こうして、フロドとサムの気遣いはあさってな方向にそれぞれ進んでいってしまったのでした。
 

 お昼をちょっとすぎて、サムはようやくお腹がすいていることに気がつきました。今日はなんだか仕事がはかどらず、ぼーっとしてしまうことが多く、お日様が真上に来ているのにまるで曇りの日のようにいらいらしそうになりました。しかし、そんなサムの気持ちも、フロドに呼ばれたことで一瞬だけ吹き飛びました。
「サムー!サムやー。お昼だよ。」
「旦那ぁ。」
サムは、ちょっと考えすぎだったかな?と思い、主人の方へ返事をし、道具を置いて振り向きました。
「サム、今日はわたしとビルボで作ったごはんだよ。あ、安心しておくれ。わたしはビルボを手伝っただけだから。きっとおいしいと思うよ。」
そう言って、フロドはウインクしてみせました。(フロドだけで作った料理は、本人も認めるほど、お世辞にもおいしいとは言えないしろものでしたので。)ですから、サムもつられて小さく笑いました。
「ありがとうごぜえますだ、旦那。嬉しいですだ。」
フロドはふふふっと笑って、サムの手を引いてビルボの待つテーブルに向かいました。
 

 そこに待っていたのは、信じられないほど豪華でたくさんの食べ物の山でした。ホビット庄の中で手に入れられる、ありとあらゆる食材が皿をかざり、たまに見かけたことのない不思議なものもあります。それらはとても多くて、テーブルからはみださんばかりの量でした。フロドは(作ったのがほとんどビルボだということはとりあえずおいておき、)自慢そうに、それをサムに手振りで見せました。
「ほおら、すごいだろう?たっぷりあるよ。存分にお食べ。」
そうしてにっこりとしました。そして椅子にサムを座らせると、自分も席に着き、いっただっきまーす、と元気に言いました。サムも、そう言って皿を取ろうとしましたが、ふと今朝の言葉が頭をよぎって止まってしまいました。
「ん?サム?どうかしたのかい?」
自分は既に食べ始めていたフロドはなんだか中途半端な格好で止まっているサムを見て言いました。このようなすてきなごちそうを前にしてホビットがためらうなんて、聞いたことありません。きっと喜んでいるに違いない、あんまりすごい料理だから遠慮してるんだな、と思い込んでいるフロドは、サムの皿にどんどんとサムの好物をのせました。
「さあ、お食べ!遠慮しないで、さあ!」
サムは、もう、へぇ、と答えるしかありませんでした。

 ごちそうは、とってもおいしいはずでした。いえ、とってもおいしくって、今まで食べたことのないものだって素敵なものばかりでした。それでもサムは、なんだかもそもそと口を動かすうちに、それが自分のお腹周りにつくお肉になってしまうかと思うとなんだかぞっとして、何度も皿を置こうとしました。しかしそのたびにフロドが食べ物を継ぎ足し、向かいの席ではビルボがにこにことしています。結局、サムは今日のごちそうを、もう食べられないというまでつめこまれました。それだけで終わっていれば、サムとフロドは喧嘩をすることもありませんでした。ただ、ちょっとサムが体型に気を使うようになっただけで済んだのかもしれません。しかしフロドは、まだ若くて多感なサムに、ちょうど悪いタイミングで、言ってはならないことを言ってしまいました。
「これでまたお前ばかりお肉がついてしまったら許さないよ?」
 

 それを聞いたその時、サムは何かが音を立てているのが分かりました。どうにもこうにもどうしようもない、怒りとも悲しみとも自分への情けなさとも言えないような感情があふれてしまって、思ってもみないことと思いつめていたことを爆発させてしまいました。
「旦那はやせておいでだから分からねえんだ!おらのこと、まぬけでのろまなでぶのホビットだとお思いなんでしょう?おらが・・・おらが太ってるのがお嫌なら、おらになんも食べさせねえでくだせえよ!」
そして、うわぁぁーーん、と悲鳴とも泣き声ともつかない声をこだまさせながら、サムは嵐のように去ってゆきました。取り残されたフロドは、サムの走っていった方へ伸ばした腕を下ろすことも忘れて、じっと手を見ていました。
「・・・サム・・・?」
 

 次の日からは、ぎこちない生活が続きました。朝からサムは姉さんの鏡の前でうなって、仕事に差しさわりのないぎりぎりの時間にお屋敷に行きます。そしてお昼も持参してきており(しかもほんのちょっぴりです)、決してフロドと一緒に食べようともしません。おやつやお茶にフロドが誘っても、言葉だけは丁寧に断って、黙々と仕事をし、そして夕方もそそくさと帰っていきました。サムはちっともご飯をたいらげようとしませんし、その上いつもいらいらしています。フロドはサムがおかしいと言ってはふさぎこんで、それから愚痴をビルボにこぼしています。これにはとっつぁんもビルボも困り果てました。そんな日が3日も続いたでしょうか、ある日ビルボはとっつぁんを村の店に呼んで、この解決策を話し合いました。
「ハムファーストの親方、わたしにはもうどうにもできないんでね、あのフロドのことは。」
「大旦那、そりゃこっちも同じこってすだよ。サムのやつぁ、最近フロド様の名前を出すだけで怒り出す始末ですだ。」
「それはそれは。フロドもねぇ、サムって言うだけでふくれたり黙り込んだり、まったく手に負えないんだ。」
「何かいい方法はないもんでしょうかねえ?せがれとフロド様の喧嘩も珍しいが、珍しい分、こっちにとっちゃあ、(周りにいるもんがってことですがね)迷惑な話で。あ、もちろんサムのやつがいけねえんですだ。」
「そんなことはないよ。わたしが見る限り、サムは最高の庭師だよ。親方の次にね。」
「そうですだか・・・?そうだとええと思っとりますがね。でも、ほんとのとこ、どうしたらいいんで?」
「そうだねえ・・・」
昼間から、老ホビットふたりが、がらんとした店の隅でこそこそ話しあっているのもおかしな光景でした。しかし二人は自分たちの生活のバランスが、これほど居心地の悪いものになるのに耐えられなくなる寸前でしたので、外聞を気にしている場合ではありませんでした。うーんと考え込んだビルボは、はっと何かを思いついて親方に耳打ちしました。
「・・・ってのはどうだね?」
「そりゃ、もしかしてもしかするのかもしんねえですだね。でも、坊ちゃん方に申し訳ないような気もしますだよ。」
「大丈夫だよ。わたしからしっかり頼んでおくから。こういう時は、外部の調停が一番なのさ。」
そう言って、瞳をきらっとさせたビルボは、まるで竜を退治に行った時のような若さに見えました。

次の日、ビルボのお願いに楽しそうにすんなり承諾をしたメリーとピピンがホビット村にやってきました。緑竜館に別々にサムとフロドを呼び出し、声の聞こえないような遠い席に陣取りました。そして、思惑通り、まずはじめにフロドがメリーの元へ、次にサムがピピンの元へと、誘いに乗ってやってきました。  

 フロドは、サムのことばかり考えていたので、もう頭の中がいっぱいでしたので、メリーがここに来ていると聞いて、喜んでやってきました。少しでも心の内を誰かに言っておかないと、なんだか内側からぼんっと弾けそうでした。ですから、メリーがいつもの涼しい顔で待っている席についてから、あの日からのサムの態度やらなんやらについて、メリーに洗いざらいぶちまけました。
「そりゃあね、どう聞いてもあなたが悪いんですよ、いとこさん。」
フロドの話をひととおり聞いたメリーは、いつものようにそう言いました。
「あなたがサムをいつもいつもからかってばかりだからいけないんですよ。サムのちょっとふくよかなお腹周りのことだって、別に気にしていないんでしょう?」
「そりゃあそうだよ!わたしはサムのああいうところも好きなんだ!」
真剣な声で、何をおっしゃるというような内容がフロドの口から出てきましたが、メリーはその発現はまあ半分聞かなかったことにして話を進めました。
「でしょう?それなのに、ああそれなのにからかおうとするあなたの根性がなってないんですよ。」
メリーは調停役を引き受けたのが楽しいのか、ちょっと芝居がかってそう言いました。
「だいたいサムがあなたのことを思わずに、そんなことすると思いますか?」
「そんなはずはないさ!いつだってサムはわたしのことを考えてくれているはずだよ。」
フロドは、どこかむきになってそう答えました。
「ほらね、そうでしょう?」
再び聡明な親戚の若いホビットに言われて、フロドははっとしました。
「サムはきっと、あなたに自分がふさわしくないんだと言われてしまったんだと勘違いしたんですよ。あなたにはもっとやせててきれいなホビットがお似合いだとね。(あ、もちろんサムがきれいじゃないとかそういうことじゃないんですけどね。)あなたに、他でもないあなたにですよ?そりゃあショックだったでしょうねぇ。あーあ、サムも可哀想に。こんな主人に雇われてねぇ。どうです?そんなにサムのことが気になって頭から離れないようでしたら、ブランディバックの屋敷の庭師になってもらいますか?」
メリーは、ちょっと意地悪く、畳み掛けるようにそう言いました。もちろん、そんな申し出をフロドが諾とするわけがありません。
「そんなことだめだ!サムはわたしの庭師だ!誰にも渡さない!」
「そう、だったら・・・」
 

 今日も仕事をさっさと終えようとして、あーあ旦那にあいさつするのが億劫だと考えていたサムの視界にピピンが入ってきました。
「やあ、サム!」
相変わらずのんきそうな、笑った顔をしているピピンを見ると、サムは余計に腹が立ってきましたが、
「さあ、飲みに行こう!せっかくホビット村まで来たんだから、それくらい付き合ってくれるよね?」
という言葉には逆らえず、ずるずると引っ張っていかれました。そしてフロドと同様、サムも色々言いたかったことがたまりにたまっていたので、ピピンの軽口にのせられて、ついついフロドとのことを言ってしまいました。
「へえー、そうだったのかい。」
ピピンは話をふんふんといい加減に聞いていました。そしてまるでそんなこと初めて聞いたかのように相槌を打ちました。
「そっかー、サムはフロドにそんなこと言われたのが嫌だったんだー。ぼくなら別にフロドに何言われようとも気にしないけどね。」
「ピピン旦那と一緒にしねえでくだせえよ・・・」
「あ、ひっどいなぁ、サムはー。でもいいや。そんなにフロドが嫌ならさあ、ぼくのところの庭師になる?ぼくならきみの体型なんて気にしないしさ。まあ、引っ越さなきゃなんないけどそれくらいならどうにかしてあげられるしね。」
「ピピン旦那!おらそんなことひとっことも言ってねえですだ!フロドの旦那が嫌だなんて!フロドの旦那はすばらしいお方ですだ。おらにはもったいねえくらい!そう・・・もったいねえくらい・・・」
そうして、サムはまた落ち込んでしまいました。ピピンは、こりゃまずったかなぁと思いました。メリーに、「うまくサムを元気づけて(怒らせてもいいさ)フロドのところに向かわせるんだ」と言われていたのに、逆にがっくりさせてしまったからです。しかし、困った顔をひょいとメリーの方に向けてみると、メリーは目でこう言っていました。「こっちはOKさ!ほら、サムをこっちにやるんだ!」ですからピピンはなんとかつくろおうと思ってサムにこう言いながらフロドが立ち上がった方へと押し出しました。
「そんなにいい主人ならちゃんと確かめるといいさ!ほら、行くんだよっ!」
 

 こうしてふたりは、親類たちの策略にはまって緑竜館の真ん中辺りで目と目を合わせることになってしまいました。
「あ・・・旦那・・・」
「サム・・・」
ふたりは、一瞬周りの喧騒が吹き飛んだかと思いました。なんだか久しぶりにお互いの目を見たような気がしました。ふと、まだ落ち込んでいるサムが視線を落としましたが、フロドがそれを見てサムに駆け寄りました。
「サム!サムや!どうかわたしから目をそらさないでおくれ!」
あまりのフロドの必死さに、サムは思わずフロドの顔を見ました。
「ああサム、わたしが悪かったよ!悪い主人だった・・・お前がわたしの言葉で、そんなに傷つくとは思いもしなかったんだよ。許しておくれ!」
サムは、あまり急にフロドが許しを請うのでびっくりして目を見開きました。そして何も言えずにいると、フロドがさらに続けます。
「わたしの言うことなんか、気にしなくて良かったんだよ。あんなの、本気なんかじゃない。太っていたってやせていたって、ありのままのお前が、サムが、わたしには大切なんだよ!」
そう言うと、フロドは人前でもあるにかかわらず、サムにぴょいっと抱きついてきました。
「だ・・・旦那ぁ・・!」
サムはびっくりしたらいいのか、喜んでいいのか、恥ずかしがったらいいのか分からないといった表情で、視界いっぱいに広がったフロドを見ました。そんなサムの耳元で、フロドが小さく囁きました。
「こんなわたしを許してくれるかい?こんなわたしのそばに、ずっといてくれるかい?お前がどこかへ行ってしまったらわたしはおかしくなってしまいそうだ!」
突然、サムは現実に引き戻されて、はっとしました。そしてフロドの言っていることの意味をやっと理解しました。フロドは、そのままのサムにここにいてくれと言ったのです。ふさわしいとか、ふさわしくないとか、そんなことはどうでもいいと。ただそばにいてくれと。サムは、フロドの肩をそっと引き離して、久方ぶりにそっと笑いました。
「ええ、ええ。おら、どこにも行きませんだ。ずっと、ずっとあなたのお側におりますだ。こんなおらでよければ。」
フロドの青い瞳が、ぱあっと陽を浴びた湖のように輝きました。
「ありがとう!わたしのサムや!」
そうして、もう一度サムの首に飛びつきました。
 

「あーあ、なんだかぼくたち、いらない噂をホビット庄にばらまいただけだったみたいだねえ。」
そんなふたりの様子を見ていたピピンが、いつの間にかメリーの向かいに座っていました。
「まったくだよピピン。あんなじゃ、ぼくらがいなくたってどうにでもなったんじゃないのか?」
メリーは、なんだか苦虫を噛み潰したような顔でそう言いながらパイプに火をつけました。
「ぼくたち結局は、あのふたりにどっと疲れさせられただけだったんじゃないのかなあ。」
「そうだなぁ。あーあ、あんなこと言い合っちゃってさ。かー!恥ずかしくないのかね、あのいとこさんは。」
そしてさらにこう付け加えました。
「これじゃあ、年代もののワインをあと数本もらったって割りに合わないよ。」
「え?メリー、何それ?ぼく何にも聞いてないよ?」
メリーは、あ、しまったという顔をしました。
「ちょっとメリー!あと数本ってどういうこと!?きみはビルボじいさんにワインをもらってたのかい?ぼくはてっきり無償で、まるっきりの友情でふたりの仲を取り戻してやるってことだと思ってたんだよ?ちょっとー!どういうことーーー!!?」

あちらが丸く収まれば、こちらに火の手があがったようですが、とにかくフロドとサムは無事に仲直りできたようでした。これでビルボもとっつぁんも、二人の不機嫌さに悩まされることもないでしょう。サムの姉さんも鏡を朝取られることもなくなるでしょう。これで、「やっぱりフロドとサムはあやしい仲だ」という噂さえ消えれば、元の穏やかな生活が戻ってくるのでしょう。今日も、ホビット庄は平和そのものなのでした。

おしまい