Thermal
spring again!
ある、とっても天気の良い秋の日のことでした。サムは今日もお屋敷のお庭で、現代ではコスモスと呼ばれている美しい花の手入れをしていました。大好きな花を、大好きな主人のために、より美しく咲かせる。それが庭師であるかれの生きがいでした。そしてサムはこの花たちを見、嬉しそうに笑う主人の顔を思い浮かべて、一人にっこりとしました。今日も昨日と同じ、平和な日が続いているはずでした。ところが、そんなサムの幸せな時間は訳の分からない突風で全て台無しになってしまいました。何かがサムの脇をすごい勢いで轟音を立てて走りぬけ、サムはなんとその正体不明のものに拉致されてしまいました。
「何するだー!おら、食ってもうまくねえぞー!やめろー!」
ぐいっと服をつかまれ、とりあえず乗り物だと分かるものに無理矢理に乗せられてしまったサムは、力の限り暴れ、そして叫びました。
「はなせー!うまくねえってー!旦那ぁー!」
どうにもこうにも逃げ出せられなくて、少し涙目になったサムがフロドを呼んだその時でした。
「そうかい?サムや。お前はとってもおいしいと思うのだけれど。」
「へ?」
はた、と暴れるのをやめてサムが聞き覚えのある、ちょっと高めで自信たっぷりの声の主を振り向きました。
「だ・・・旦那ぁ?」
「ん、なんだい?」
どうしようもなく脱力したサムの視線の先には、普段と変わらないフロドがいました。
「そんなにわたしと出かけるのが嫌なのかい?」
フロドのいつもの企みと、分かっていながらもサムは反射的にこう答えていました。
「めっそうもねえ!」
「うん、それでこそわたしのサムだ。」
フロドは至極満足そうにうなずき、サムはしかしそう言ってしまってからがっくりとしました。力が抜けて少し冷静になれたところで、サムは周りの状況を見渡してみました。どうやら、ふたりが乗っているのは小型の幌馬車のようなものでした。そこにはふたりしか座るスペースはありません。その座席の脇に大きなふたつのわっかがあります。それはすごいスピードで走っており、周りの景色もすぐさま後に飛んでいき、はっきりとした輪郭を見ることもできません。サムはこんなすさまじい速さで走るなんて一体どんな小馬なんだと前を見て、さらにびっくりしました。これは馬車のはずです。ただし、それを引っ張っているのはどうみても大きい人、つまりホビット庄を守る野伏のような大きさの人間でした。驚くべきことは、実はそこではありませんでした。その人間の格好です。何が起こったのか、その人間はほとんど裸で、腰の周りに白い布を巻いているだけのようでした。
「な・・・な・・・あの格好は一体・・・」
サムがうまく回らなくなった頭と口で、あわあわしながらフロドに助けを求めましたが、フロドはただ、
「ああ、ふんどしだよ。」
と、当たり前のように言って、にっこり笑うだけでした。
「・・・?」
「ふ・ん・ど・し」
サムは、それ以上聞くのは無駄だと悟って、とりあえず質問を変えました。
「でも、一体どこへ行くんですだか?」
「ないしょ。」
なんだか今日のフロドはいつもに増しておかしいようでした。サムははぁ、と溜息をつきましたが、休息に意識に靄がかかり、不可解な眠りに落ちてゆきました。
サムが目を覚ますと、それはどこかデジャヴな感覚の残る不思議空間でした。(2冊目オフ本「Hot
Springs」参照)そこには変わった建物が堂々と建っており、意味不明の決して綺麗で丁寧とは言いがたいどこかの地方の訛りで出迎えられました。フロドはそれをさも当たり前のように
「うん、ああ、ありがとう。荷物は部屋に。」
とか言っています。サムはまだくらくらしながらフロドの後をついていきました。サムは荷物なんて持っていませんが、フロドはなにやら用意していたようでした。
部屋に案内されると、そこはやはりどこかで見たような、しかしどう見ても中つ国ではありえないような空間が広がっていました。今までいた廊下らしき所の床は板張りでしたが、そこはちょっと変わったいい香のする植物を編んだような床になっており、壁は土が丸見えになっている割には清潔そうで、扉はすべて木の枠と紙で出来ていました。ただただ目をぱちくりさせるサムを置いておき、フロドはがらっと障子らしきものを開けました。そしてカラカラとガラス戸も開けて、目の前に広がる赤と黄色と少しの緑の、素晴らしい紅葉を視界いっぱいに楽しみました。
「うーん、いいねえ。やっぱり温泉地は。冬か秋に限る。」
そう言って、フロドはサムの方へ振り向きました。
「せっかく来たんだし、混まないうちに入りに行こう。」
サムは、いや、おら来たくて来た訳じゃ・・・とか、なんでそんなに場慣れしてしてらっしゃるだか旦那!とか言いたかったんですが、口から出た疑問はたったこれだけでした。
「何にですだか?」
「温泉にさ!」
フロドは嬉しそうにそう答えました。
この宿ご自慢の温泉は、室内と露天風呂と2つありましたが、フロドは迷わず露天風呂を選びました。そしてサムに木の桶のようなものと、薄いタオル生地のようなもの(てぬぐいだよ、とフロドは言いました)を持たせて、自分は何やら布で包まれたものを持っていました。さてさて、お風呂に着き、二人は腰にさっきのてぬぐいというものを巻いて早速入ろうとしました。ところが、早い時間に来た割には先客がいました。それはサルでした。しかも、どう見ても中つ国にいるのか怪しいこと限りない、顔の赤いニホンザルでした。サムは、それが珍しい動物だなぁと思いましたが、野生の動物まで入りにきているなんて面白いなとも、もう完全に麻痺している頭でそう考えました。しかしフロドの思ったことは違いました。
「わたしとサムの入浴を邪魔しようなんて百年早い!」
そしてフロドは温泉に浸かっているサルと戦いに行きました。いつもは温泉の客からちやほやされているサルたちは、そんなフロドの形相にびっくりして、キキー!と叫んで逃げてゆきました。そんな、かわいそうな!と口出ししたくなったサムでしたが、サルを追っ払い終えたフロドは至極満足げでした。
「さあ、ふたりで入ろう。」
「は・・・はい・・・」
しばらくふたりはサルも他の客もいない露天風呂にのんびり浸かっていました。サムはもうなんだか何も言う気になれなかったので、ぼんやりと山の景色を見ていました。するとフロドがすすっと側に擦り寄ってきて、
「うーん、風流だねぇ。」
と言いました。サルを追い払っておいて何が・・・と、サムは風流という言葉の意味がイマイチ掴みかねましたが、なんとなくそう思いました。しかし主人にこういう時に逆らうのはよくないと身をもって知っておりましたので、(それに本当にそこから見える景色は素晴らしいものでしたし)
「へえ、綺麗ですだね。」
と答えました。その答えを聞いたフロドはにっこりしました。そして機嫌もよく、
「わたしが背中を流してあげよう。」
とまで言いました。サムはそんな!と言おうと思いましたが、これくらいはしてもらってもバチは当たらないような気がしましたので主人の気のすむように背中の流し合いをしました。
さて、しばらくしてふたりは露天風呂からあがり、部屋に戻ってみました。するとこの国独特のもてなしなのか、そこには立派な夕食の仕度がしてありました。サムにはそれは見たこともないような食べ物ばかりで、しかもナイフやフォークといったものは見当たらないし、どうしたらよいのかと思って主人を見ました。しかしフロドはどうしたことか、普通にちょこんと座布団の上に正座して、目の前にあるナベの下の固形燃料に、チャッカマン(笑)で火をつけていました。
「さあ、サムもお座り。」
そしてちらっとご馳走を見て、
「うーん、山菜のてんぷらには抹茶塩かな、やっぱり。」
とか、
「お、この時期高いだろうに、鮎の塩焼きまであるよサム!」
とか言って喜んでいました。そして器用に箸を使って(サムがこれは何ですだか?と聞くと、フロドがそう答えたのです)食べ始めていました。サムはそんな状況に何で旦那はこんないろんなこと知ってらっしゃるだか!と思いましたが、旅好きのビルボとホビット庄の知恵袋みたいなガンダルフに色々教えてもらっているのだと思って、主人のまねをしながら食べ始めました。しかしサムはフロドのようにはうまくいきません。箸を使っても、真っ白な麦のようなもの(白米ですが)はぽろぽろこぼれますし、魚だって汚く散らかすだけです。フロドはうまいこと頭と内臓を取り出して得意顔でいました。そして
「あーあ、サムはまだ子供だねぇ。」
なんて言いながら口についた食べかすを取ってやっていました。
そんなこんなで食事がどうにかこうにか終わり、フロドは
「あー、おいしかった!」
と言いました。それはもちろんとっても珍しくてどれもこれもおいしかったんですが、サムにはなんだか疲労感ばかりが残りました。そしてフロドに
「もう一回おふろ行くかい?」
と、訊ねられても
「いいえ、もう結構ですだ。」
としか答えられませんでした。その声は心底疲れていましたし、宿の人に頼んだらすぐに布団を敷いてくれるそうなので、フロドはその上に寝転んだサムをにっこりと微笑んで見守りました。そして、サムはいつの間にか眠っていました・・・
一体何をしにここへ来たんだ!と作者は我ながら思ったのですが、それに答えるようにフロドがカメラ目線でこちらに振り向きました。
「息抜きさ。休息だよ、休息。」
さて、誰に言っているんだか。
と、言う訳で、サムが次の日に目を覚ましたそこは、お屋敷のフロドの部屋でした。フロドのベッドを占領して、サムはそこに一人で寝ていました。あれ?旦那は?それにここは
お屋敷じゃねえか!とサムは思いました。そして、ああ、おかしいと思ったらやっぱり・・・
「夢だっただか・・・」
と言いました。しかし、そのタイミングで部屋に入ってきたフロドは、寒気のするような笑顔でこう言いました。
「さて、どうだろうねぇ。」
こうしてサムは本当のところを結局分からずじまいで、この妙な体験を記憶にしまうことになってしまいましたとさ。
おわり?
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