The
Parting Song 〜
別れのうた
〜
これは、サムの別れのうたです。
シェロブはこの場を去り、もう二度と現れませんでした。かの女がどうなったかを語るものは、今ではもう何もありません。そして冷たくなったフロドの意味を、サムはもう十分に分かっているはずでした。そしてこれからやるべきことも。そして今はもう、主人に別れを告げる時でした。
サムの頭の中に、まだサムが幼い時、はじめてフロドに出会った日のことが思い浮かびました。そして、それから何年もの間の日々が頭を駆け巡りました。フロドと共に過ごした毎日が。サムにとって、フロドは生涯ただ一人の主人でした。敬愛する、たった一人の主人でした。ずっとずっと長い間、苦楽を共にしてきたひとでした。
フロドの旦那。
ねえ、フロドの旦那。
おらが大好きなフロドの旦那にしてさしあげられることは、もう何もないんですだね。
さっきのこと、思い出せますか?旦那。
おら、他にいくらでもこの使命を果たせる立派な方がいらっしゃるだろうって、
そう思ったんですだよ。
そしたら、急に怒れてきちまいました。
このばかやろうってね。
何に怒ったのか、おらには分かりません。
でもそう思ったとたんに、力がぜーんぶ抜けちまいましただ。
それでその先はもう何にもできなくなっちまったんですだよ。
それまで、おらは分かってても、ピンときてなかったんですだ。
旦那が死んだってことがね。
フロドの旦那が死んでしまいなさった。
フロドの旦那が死んでしまいなさった。
そればっかりが頭の中をぐるぐるまわってね、
他に何ひとつ考えられなくなっちまったんですだよ。
サムは、庭師のこわばった手で、フロドをせめて綺麗にしようと思いました。そっと手を伸ばし、今にも壊れそうなものに触るみたいにそおっとそおっと、フロドにふれました。フロドの漆黒の捲き毛、二度と開かない閉じられた目、整った鼻、小さい耳たぶ、それに真っ白なうなじ。サムは手の届く全てを、ひとつひとつ幼い子供が大切な宝をさするように愛おしみました。
フロドの旦那。
ねえ、フロドの旦那。
旦那はちっとも泣きなさらないひとでしただね。
おらにだって、見せる涙はめったになかったですもん。
お辛かったでしょう?
泣きたかったでしょう?
もう泣いても良いんですだよ。
泣いてくだせえ。
誰も見ちゃいねえです。
誰も旦那の涙を責めたりしませんだ。
ねえ、泣いてくだせえよ。
そんな綺麗なまんまの顔してないで。
くしゃくしゃに顔歪めて、どうか泣いてくださいまし。
サムはフロドの顔を見つめ、溢れる涙でぼやけた視界に、懐かしい景色が見えたような気がしました。太陽の光が頬にあたり、土のにおいがして、木のざわめきまで聞こえるようでした。暑い午後でした。新しい花を、庭に植え替えたところでした。フロドの大好きな花を。ふと視線をあげると、フロドが窓から庭を見ているのに気がつきました。
――ねえ、旦那。見てくださいました?旦那の大好きなこの花たち。今日、植え替えがぜーんぶ終わったんですだよ。へえ、そうだったのかい。嬉しいねえ。でもすまないね、サム。気がついてなかったよ。お前しか、見えてなかったから。どんな花よりきれいなお前だから。なにをおっしゃってるんで。本当だよ。わたしがお前に嘘を言ったことがあるかい?だんなぁ・・・困らせないでくだせえよ。そうだね、ほら、もうそろそろ休もう。お茶の用意ができているよ――
サムは、もう自分のなすべきことが分かっていました。これからどうするべきなのか。もう、思い出を胸にしまう時でした。幸せだった、あの日々を。
フロドの旦那。
どうかサムめをお許しください。
サムが行くのをおゆるしください。
おらは、旦那のことが、大好きでした。
誰よりもやさしくて、誰よりも賢い旦那が。
おらは好きで好きでたまらないくらい好きでした。
その旦那をひとりぼっちで残していく、このサムをお許しください。
もし仕事が片付いちまったら。
そうですだね、いつか片付いちまったら。
おらは必ず戻ってまいりますだ。
いいえ、それより早く、旦那のおそばに行けるかもしれません。
でも全てが終わってまだサムが生きておりましたら、
旦那のおそばで永遠に眠りますだ。旦那のすぐそばに。
そしたらもう、ずっとずっと一緒ですだ。
離れません
おらも旦那も朽ち果てるまで、ずうっと。
そういえば、こんなこともおっしゃいましただね。
ホビット庄に一緒に帰って、こうしてサムの腕の中に眠りたいと。
それは叶えられませんが、せめてサムだけ、おそばにおりますだ。
ここはあそこほどいいとこじゃねえですだね。
でも、せめてサムの腕の中で。
それだけは、叶えてさしあげられますだね。
でも今は、行かなきゃなんねえんです。
そんなサムをお許しください。
フロドの旦那・・・
フロドの旦那・・・
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