The Fixation

 

 中つ国から遠く離れた西の地から、イスタリが遣わされました。遠い遠い昔のことです。尊い使命を果たすべく、賢者たちは船から降り立ちました。みな老人の姿をし、杖を持っていました。そしていつしか中つ国中の生ける者から魔法使いと称されるようになりました。かれらは尊敬を持って迎えられ、(時には胡散臭い目で見る連中もいましたが)その力は語り継がれるほど強かったのでした。これは、そんな賢者サルマンとガンダルフの小さな物語です。

 

 かれの心に権力への執着が芽吹いたのはいつのことだったでしょう。それはもう誰の記憶にも留まらない遠い昔のことでした。サルマンはイスタリの中でも自分の姿がこの老いぼれであることに不満を持つただ一人の存在でした。そしてただ一人、何かに執着するという心を持ったイスタリでした。

 

「なぜだね?」
サルマンはオルサンクの頂上で倒れたガンダルフの髪を踏みつけ、そう聞きました。
「なぜわれらは執着心を持ってはならないのだね?ガンダルフよ。」
何も言うまいとぐっと口を噛み締めたガンダルフは沈黙をもってこたえました。
「答えよ、灰色のガンダルフよ!」
ぎり・・・とサルマンの足がガンダルフのよれた髪を引きます。
「・・・このようになるからじゃよ、サルマン。」
ガンダルフはサルマンの目を見ずにそう言いました。
「分からぬな。あんたの言いたいことが。」
サルマンはガンダルフを見下ろして、しゃがみました。そして体の逆らう力をもはや失ったガンダルフの顎に手をかけぐいっと自分の方へ向けさせました。
「言うてみよ、わが友よ。」
「もはや友と、呼ぶ必要もなかろう。サルマン。」
かっと目を見開いたサルマンがガンダルフの顔を固いオルサンクの石に叩きつけました。いまいましそうに歪められたその眉には決して憎しみだけが灯っているのではありませんでした。深い悲しみと、深い愛情。確かにそれはある時点まで純粋にその感情そのものでした。しかしいつしかそれらが憎しみに取って代わられ、はては権力への渇望となったのでした。
「ガンダルフよ。あんたはいつもそうだ。」
サルマンは言いました。
「灰色のガンダルフは博愛のイスタリよ。だが、ものごとへの執着なしにそれを成し遂げられるものか。この世界に生きるものはみな執着心を持っておる。何かに執着することなしにそれらを愛せよと言うのか?」
「そうじゃよ。わしらイスタリはそのために存在するのじゃよ、忘れたのか?サルマン。自分の使命も忘れ、力への渇望を持とうとは、ああ、誰が予見したであろう!」
ガンダルフは厳しい声でそう嘆きました。いえ、もはや嘆きではありませんでした。乾いたひとすくいの溜息でした。
「誰も予見などできぬことであろう。」
サルマンはガンダルフの言葉を少し皮肉な笑顔を浮かべてなぞりました。

 

――わしがあんたを愛するなどと、誰が思うものか――

 

『わしだとて思わなかった。西にいる頃のオロリンは、わしにこんな思いをさせなかった。ただ、使命を同じくした、わしと力が同じか、あるいはそれ以下の存在でしかなかった。あの頃のオロリンはこれほどの・・・魅力がなかった。』
サルマンはもう一言も話すまいと決めたガンダルフの横顔を上から見下ろしながらそう思いました。
『なぜだ。』
サルマンには分かりませんでした。賢者と讃えられる自分にあるまじき謎だったのでした。

 

サルマンは、この地に来てはじめて何かを愛する目をしたガンダルフを見たのでした。ガンダルフは中つ国の自由と生き物を愛していました。博愛、と人間が呼ぶものに近かったのです。その目は優しく細められ、あたたかい笑みがその瞳から零れていました。特にホビットを見る目が一番あたたかでした。白の会議があった近い過去にも、ガンダルフは優しい微笑みと共にその愛すべき種族のことをサルマンに話したのでした。頑固な性格はそのままに、自由の民はかれを愛しました。サルマンにはできないことでした。支配や執着なしに、あるものを愛するということが。

 

 ガンダルフの身体を、グワイヒアが受け止めて遠く連れ去ったことは、もしかしたらサルマンには止められたのかもしれません。塔の頂上でガンダルフを殺すこともできたのかもしれません。しかし、何かがサルマンの手を止めたのでした。その何か、その答えは、サルマンが永久にこの世界から去るまで謎のままでした。
「死を選ぶというのだな・・・」
大きな白い月を背に去ってゆくガンダルフを見つめた今、サルマンに言えることはこれだけでした。二人はここで永遠に分かたれたのです。小さな愛情は、どちらかがイスタリでなければ叶えられたのかもしれませんでした。

 

そしてその道は決して交わることはありませんでした。永遠に・・・。

 

おわり