The
Bloom 4
二人が涙ながらに別れを告げあい、愛しているのに一緒になれぬ定めを呪い、そうしていつまでも離れがたくその場にたたずんでいたその時、みせの外から大きな怒鳴り声が聞こえてきた。
「火事だ!!」
その声に、はっと二人は涙で濡れた顔を上げた。その声は徐々にあちこちで聞こえ始め、数瞬後には、周りは騒然とし始めた。
「火の回りがはやいぞ!」
「気をつけろ!」
「いや、もうだめだ!花街全体に回っているぞ!」
「逃げろ!とにかく逃げるんだ!」
そして走り回る音、物を持ち出そうとあちらこちらを開ける音、悲鳴、怒号、それらが雑然と二人の周りと包み込み始めた。そしてその声の通り、火はすぐそこまでやって来ていた。ぱちぱちと木の爆ぜる音が聞こえ、煙が二人のいる場所にもすうっと流れ込んできた。どこかで、こんな声がした。
「女郎を逃がすな!閉じ込めろ!」
「やめて!出して!ここから、どうか出して!!」
花街でのぼやは、女郎たちが逃げ出す一番の機会だった。みせの人間はそれをよく分かっている。過去にも小さなぼやを女郎自身が出し、そして抜け出すという失態があった。そしてもちろんそのみせは潰れた。それゆえ、どこのみせでも自分達の商売道具を逃がすまいとして、女達を閉じ込めているのだった。
そんな騒ぎの中、フロドとサムワイズ、二人はとても静かな気持ちでいた。二人一緒に暮らすことは敵わない。それどころか、この花街が燃えてしまったら、フロドはこの太夫という地位からどこまでも落ち、またただの女郎として生活しなければならない。そうなるのも幸運な方で、この火で閉じ込められ、そしてそこで焼け死ぬのかもしれない。だったらいっそ、二人でこのまま静かに死ねば、あの世で一緒になれるのかもしれない。二人の心は決まった。
「サムや、それでもいいのかい。」
フロドが静かに聞いた。
「ええ、フロド様。どこまでも、あなたと一緒に。」
サムワイズが静かに答えた。そして二人は、さらに火の勢いが強い方へと、手をとりあって歩いていこうとしていた。
と、その時であった。そのフロドとサムワイズを後ろから引っ張るものがいた。それはフロドの二人の禿であった。メリーが歯をくいしばりながらサムワイズの袖を引っ張り、ピピンが泣きながらフロドの裾を引っ張っていた。
「姐はん、そないな方、いったらあかん。」
「そうやで、死んだらあきまへん。」
それでも二人を振りほどき、フロドがもう一度行こうとした時であった。何者かが、その四人に大量の水を頭からかけた。
「あ・・・」
はっとして、フロドはその方向を見た。そこには、このみせの、フロドに近しい者たち全員がいた。水は、ビルボおカミの手にある桶からだった。
「フロド、よくお聞き。」
ビルボおカミは静かに言った。
「このぼやは、さるお方からのお指図なのだよ。フロド、分かるね。」
「・・・はい。」
フロドは悟った。この事件はこのみせの者たちが仕組んだものだということを。そしてその裏には、馳夫がいるということを。大方、フロドを逃がすために頭を捻っていたみせの者たちのことを、どこから聞きつけたのか馳夫が耳に入れたのだろう。真剣なみせの者たちと、フロドの様子をつぶさに知った馳夫は、このような大掛かりなことを起こしたのだろう。
「でも、女たちが!」
フロドは、それを思って一粒、涙をこぼしたが、すぐにはっとしておカミに取り縋った。
「おかあさん、閉じ込められた女たちがまだいます!このままでは焼け死んでしまう!わたし一人を逃がすために、そのようなことをしたくない!それが例えこのくにの長のお指図でも、そんなことをしてはなりません!」
するとビルボおカミは、少し笑ったような顔になった。
「大丈夫、大丈夫だよ、フロド。この火はあと少しで消される。何も知らない他のみせの者たちが、慌てているようだがそれも心配ない。意図された火事なのだから、すぐに消し止めることができるのだよ。女は誰一人死なない。大丈夫だ。安心するがいいよ。」
「・・・!」
驚きに目をみはり、安堵に顔を歪ませて必死に笑おうとするフロドを、ビルボおカミは抱きしめた。
「よくこれまでわたしのところで働いてくれたね。お前のおかげだよ。とある方が、このみせをわたしの代いっぱい、取り持ってくれることを約束してくれた。わたしたちのことは、もう心配しなくてもいいのだよ。お前は、この火事で死んだことになる。それは辛いことかもしれない。でも、この街ではそれ以外、花魁の存在を消す方法がないのだよ。分かっておくれ。そしてお前は、昔わたしが祈ったように、幸せになっておくれ。それが、わたしたちの願いなのだから。」
そのすぐ脇で、メリーとピピンが泣いていた。
「ええ、ええそうでっせ、フロド姐はん。わたしらはおかあさんと一緒におります。そしてきっと、姐はんに負けんよう、幸せになります。」
「そうです、お願いです。逃げておくれやす、フロド姐はん。」
周りの者たちも、その場に立ち竦んで泣いていた。しかし、そのどの顔もが、フロドの幸福を願った強い目をしていた。そしてその様子を、サムワイズはただ静かに見ていた。
そうして二人はひっそりと、花街から抜け出していった。フロドの荷物は小さくまとめられ、二人がみせを出る時に手渡された。その中には、みせからの礼が、たっぷりと入っていた。それこそ二人がこれから先、ずっとずっと暮らしていけるだけのお足もあった。サムワイズの方も、みせの裏口に家族がおり、荷物と別れの言葉を渡された。それも、みせの者たちと馳夫の心遣いなのだった。サムワイズはここでも涙を流し、家族と別れを告げた。そうして二人はそっと花街に向けて頭を下げ、そしてこのくにの長の住む、その方角にも深々と頭を下げた。二人にできることはそれだけだった。そして、それだけで分かってくれるとフロドは信じていた。
「ありがとうございました。本当に、ありがとうございました。」
フロドの呟きは風に乗り、馳夫に届いたに違いなかった。
そしてふたりはひっそりと、いつまでも幸せに暮らしたということであった。
おわり |