The Bloom 1

 

ここはとある時代のとある場所。堅気の世界から抹殺された美しい者たちが、夜毎花を咲かせる誘惑の街。その名も「大遊郭スミアル」

両親が永遠にフロドの元を去り、この遊郭で育てられ、一体何年が経つのであろう。それは誰にも、そう、フロド本人にも分からなかった。ただ一つだけはっきりしているのは、フロドがこの街一番の優美さ、妖艶さを持った花魁であるということだけであった。美しい容姿、流れるような肢体、そして何より見たものを惹きつけずにはいられないその澄んだ魔性の青い瞳。歳は不明。あまりに長く美しく咲いているため、鬼ではないかという噂までたつほどであった。芸に秀で、舞は見るものの心を奪い、その歌声は聴くものの心を狂わせた。常にこれまた美しい禿を二人連れ、その歩く姿は春風のようであると言う。フロドの花魁としての地位は高く、遊郭で唯一やんごとなき方のお誘いをも断れる権威を持つ太夫。偽名、馳夫と名乗る目も眩むような位の方も、月に一度がせいぜいの、まさに高値の華。

フロドは、なじみの客を作らないようにしていた。それは過去に失った親の愛情を知らずに育った故なのか、孤独に耐えるためなのか。それとも落籍されて落ち着くことを嫌ってのことか。いつもフロドの取る客は、いずこへ行くとも知らぬ、旅人ばかりであった。金の唸っている地元の客は、運がよければ一刻の相手をすることができた。しかし二度を許さなかった。金などないそこいらの男共ができることと言えば、ただ格子の間から、その姿を垣間見ることだけであった。たった一人、馳夫はなじみ、と言ってもよかったが、それはこの遊郭に対する莫大な援助のためであると、馳夫自身も分かっていた。そしてフロドはそれを拒まなかった。しかしその間にいとおしいという感情はない。こと、フロドに関して。しかしそれでも馳夫はフロドのもとへ通うことをやめられなかった。公然とは語られないものの、馳夫次第でこの街はなくなり、花魁たちは散り散りになることもありえた。それ故、フロドは馳夫を受け入れていた。この街の行方を背負うものとして。

ある日フロドは珍しい客を取った。それはふらりと花街に立ち寄った老人であった。彼の名は通称ガン爺。巷では有名な花火師であった。いや、本当はただの花火師などではないのかもしれない。だが、この街ではそれだけで十分であった。むしろ、個人の肩書きなど不必要な世界なのである。ゆえにガン爺は、ただの客としてフロドの居るみせに立ち寄った。彼は、両親がフロドの元から帰らぬ旅に出、フロドがこの遊郭での地位を築く前からの知り合いであった。幼くしてたった一人になったフロドをこの街に連れてきたのも、このガン爺であった。そしてこの街一番のみせの主人であるビルボおカミにフロドを預けた。ビルボはフロドの親類の一人であった。幼い頃からフロドを可愛がっていたが、それゆえにフロドをこの街に近づけさせることはしなかった。しかし一人になったフロドが生き残るには、もはやこの街に存在することしか方法がなかった。ガン爺はそれを見越し、右も左も分からぬ子供を、ここに連れてきたのだ。かつてビルボはこう言った。あの子はここでしか生きられぬような気がする。ここに、あの子の運命が全てある。だが、それでもわたしはあの子をここに連れ込みたくない。あの子には、ただ、普通にしあわせになってほしいだけなのだと。だが、それは所詮儚い希望にすぎなかった。フロドは十四になったその時から、育てられた恩を返すため、花魁として華々しく、そしておぞましい生活に身を投じていった。

フロドは、慣れたはずのこの生活に疲弊していた。真っ白な肌は今日も透けるように美しい。しかしその深い湖のような瞳に、憂いと何かが見え隠れしていた。禿たちが自分を見つめながら心配そうに言う。
「フロド姐はん、大丈夫え?」
フロドはそれを見て少しだけ微笑んだ。
「大丈夫だよ、メリーにピピン。それに今日はガン爺が来ている。」
それだけで、禿二人は安心したように顔を見合わせた。二人は、フロドが自らを休ませようとしてガン爺を客として取ったのが分かったからだ。ガン爺のことは二人とも知っていた。フロドに
「今日はひとりで行く。誰の共も要らない。さあ、今日はゆっくりお休み。」
と言われた時も、
「へ、ビルボおカミはんに言うておきます。」
微笑みながらそう言って、静かに下がった。
 

フロドとガン爺に用意されたのは、いつも使う最高級の部屋ではなく、みせの片隅にある小さな部屋だった。久しぶりの再会にふたりは、時が経つのを忘れて、昔話に花を咲かせていた。それはフロドの唯一の幸せだった。すべてを知る人物と、懐かしい故郷の話をする。それはほとんど覚えていないような記憶の断片にすぎないものだったりするのだが、それでもその思い出は、フロドを幸せにしていた。いつもなら、そんな他愛のない話で夜は更けてゆく。しかし今日、フロドはふと、この遊郭への愚痴をこぼす気になった。待遇に不満があるわけではない。ビルボのおカミとしての愛情は、フロドに対して他の花魁となんらかわりがないように見えるが、実は心の奥では一番フロドのことを気にしていた。それゆえ、フロドはむしろこの世界で稀である愛情を受けて育ったことになる。

フロドの話、愚痴がひと段落してからガン爺はこう言った。
「お前さん、こんな生活が嫌だと言うがな・・・」
「あなたの前でしか言いません。わたしは太夫なのですから。そんなこと。」
「それはそうじゃろて。しかしな、お前さんの知らぬ世界があるのじゃよ。例えばほれ、その紅じゃ。」
ガン爺はフロドの唇を指差した。
「フロドよ、その紅にはな、紅花娘の怨みと妬みが込められているんじゃよ。紅を作るものたちは、紅花の棘で、手を血で染める。硬い花は皮を貫き、花の上には紅花娘の血が滴るのじゃ。そして、その血が一層紅の色を美しく鮮やかにする。彼女らが必死で摘んだその花は、いくら沢山取ってもほんの一握りの紅にしかならぬ。」
フロドは驚いたように唇にその真っ白い手をあてた。
「これが、そのような・・・」
「そうじゃ。そしてお前さんがそれで身を飾るんじゃよ。それにその紅花娘はな、一生、紅なぞつけられん生活をする。食うものも十分にはなく、ひとたび飢饉に襲われれば、餓えて子供を殺す年まであるという。最後の最後まで土と血にまみれて、そしてこのような闇はあれど華やかな場所など夢にしか見ることなく死んでゆくのじゃ。」
あまりの話に、フロドは何も言えなかった。
「わしはそんな娘たちを数多く知っておる。その中に、一人この遊郭に紅を運びに来るものがおる。その名はサムワイズ・ギャムジー。」
「サムワイズ・・・いつか会えるだろうか・・・」
フロドはどこか遠くを見る目でそう呟いた。

2へ続く。