The awkward
age
これはサムの子供から大人への小さな物語です。
「こら!起きろ、サム!」
袋枝路三番地にとっつぁんの大声が響き渡りました。
「おめえ今日はわしの手伝いするはずだろが。」
ううーん、とサムの寝床からうなる声が聞こえました。その後に
「おらいかねえ・・・」
という寝ぼけた声まで聞こえました。しかし起きる気配は一向にありません。それどころか、
「・・・うるせえだよ!」
こんなことまで言いはじめたのです。
「知らねえぞ!」
とっつぁんは寝床の中で悪態をつくサムに腹を立て、サムをお屋敷に――もちろん袋小路屋敷に――連れて行くのをあきらめようと思いました。今日は、いずれ自分の仕事を任せようと思っているサムに庭師の仕事を手伝わせようと思っていたのです。サムは兄弟の中でも特に心優しく、植物が好きで、なにより旦那方(とそのお話)が大好きでした。ですからサムはそれをとても楽しみにしていたはずでした。しかし行かないと言うのでは仕方ありません。とっつぁんは早起きの自分一人分の朝食を食べました。そして、庭仕事道具も持ったし、さあ出かけようとした時です。
バターン!!
すごい音を立ててドアが開きました。サムの部屋からでした。
「なんで起こしてくんなかっただ!」
何ということでしょう。サムがすごい剣幕で部屋から飛び出してきたのです。
「なんでったってよ、おめえ自分で行かねえって言ったじゃねえか。」
とっつぁんは最近のサムの悪態やらなんやらに慣れっこでしたので平気な顔をしてそう言いました。サムの上にも兄弟はいますし、かれらはサムよりもこんなことが多かったものですから、とっつぁんはサムがわめこうが騒ごうが、そのうちどうにかなっちまうもんだ、といたって冷静に倅の成長を見守っていました。
「おらがそんなこと言うはずねえ!」
サムは何が不満なのかいらいらと怒ってそう言いました。それから
「おらのパンがねえだよ!」
そんなことも言いました。当たり前です。あるわけありません。確かに行かないと言ったのですから。しかしとっつぁんは、こんな時のサムに何を言っても無駄だと分かっていましたので、
「これで我慢しろや。フロド様がお前を待ってらっしゃる。」
と言ってりんごをサムにほおってやりました。サムはぶーたれながらもりんごを受け取り、不服そうにかじりましたが何も言いませんでした。
『まったく、仕方のねえやつだ。あいつはお屋敷に行くとすっかり機嫌が直っちまうからな。それにフロド様の名前にことさら弱いしな。』
とっつぁんはなんだかんだ言ってもサムのことを良く分かっていました。そしてサムもそのことが分かっているのでよけいに反抗したくなっているのでした。そうして仲が悪そうで仲のいい親子の庭師が袋小路屋敷に今日も向かいました。
「ギャムジーですだよ。」
お屋敷の玄関でとっつぁんがそう言いました。サムはまだふてくされてとっつあんの後ろに突っ立っていました。
「あーあーよく来たね。おはようハムファースト親方。それに小さな庭師どの?」
ビルボが出て来てにっこりしてそう言いました。
「おらもう小さくねえだよ。」
サムはビルボに聞こえないようにぼそっとそう言いました。そしてとっつぁんにごつんと一発小突かれました。
「どうしたのかね?」
ビルボは不思議そうにそう言いましたがとっつぁんは
「何でもねえです。」
と言って笑うだけでした。しかし小突かれて涙目になったサムの顔がぱあっと輝きました。フロドの若旦那がビルボの後ろから出てきたのでした。
「おはようサム。それにご苦労様です親方。」
サムはフロドが真っ先に自分の名前を言ってくれたのですっかりご機嫌が直りました。フロドはもう正式にビルボの養子になっていたので、しょっちゅう屋敷を訪れるサムといろんなことをするのが楽しみになっていました。サムは、今日も手伝いなんかやめてフロドの若旦那と、ビルボ大旦那のエルフの話やなんかを聞いて、やっと読めるようになった文字の成果を本でも読んでフロドの旦那に褒めてもらいたいと思いました。しかしフロドに
「今日は親方の手伝いをするんだってね、サム。お前がいつか私の庭を親方のようにみてくれると思うと嬉しいよ。」
とにっこり極上の微笑みと一緒に言われてしまってはもうぐうの音も出ませんでした。
「はい、旦那。」
サムは蚊のなくような声でそう言いました。
まあ庭に出てからのサムの様子ったらありませんでした。ぶつぶつと文句を言いながら親方の話を聞いているのかいないのか、顔には思いっきり『面白くねえだよ。』と書いてありました。親方は半分あきらめて一応いろんな(今日はりんごの木とその周りの植物について)ことをサムに言っていました。そしてサムにりんごの木の周りの下草を刈るように言いつけてビルボの庭の花にかかるため、サムから少し離れました。
サムはりんごの木の下にどっかりと腰掛けました。そして手でぶちぶちと草を抜いては山にしていました。
「まったくとっつぁんはよ、結局おらにめんどくさいことをやらせるためにつれてきたんじゃねえか。エルフの話は聞けないしよ、旦那と遊びにも行けねえ。本だって読めねえ。せっかく文字を覚えたのによ。」
サムはずっとお日様の方を向いていたのでフロドが後ろから近づくのに気がつきませんでした。
「ふふっ。わたしも手伝うからどうか親方を悪く言わないでおくれよ。」
サムはびっくりして振り向きました。お日様は反対にあるのに、サムはフロドの顔がまぶしいと思いました。
「あ、・・・え、へえ。」
それにどぎまぎしてしまってそんな言葉しか出てきませんでした。フロドはいつもの綺麗な服のまま、サムの隣にちょこんと座りました。サムはばっと立ちあがってそこらにある草を払いました。真っ赤にした顔でフロドを見、何か言わなければと思いましたが何も思い浮かびませんでした。フロドはそんなサムの様子を見て、またふふっと笑いました。
「さあ、何を手伝おう?草刈も大事な仕事なんだね、サムや。」
そう言ってフロドはサムにならって草を抜き始めました。
「お前はずいぶん早く文字を読めるようになったね。わたしは誇らしく思うよ、サムや。今度お前のお気に入りのお話をわたしに読んでくれないかな?」
フロドはそんなことを言いながら小さい笑顔を浮かべたまま草を摘んでいました。しかしフロドが草を摘むたびに、サムはどきっとするのでした。自分の手なんかどれくらい怪我しようが傷つこうが一向に構わないのですが、フロドの白い手がこのかたい草で、すぱっと切れてしまったらどうしようかと、そればかり考えていました。そういう事をのちのサムは惜しげもなくフロドに言うようになるのですが、今のサムはそんな気の回し方を知りませんでしたし、どう言ったらいいのかも分かりませんでした。ですからサムはフロドの手首をばっとつかんで草から離そうとしました。しかしそれが良くありませんでした。フロドはその勢いで手を切ってしまったのでした。
「っ・・・」
はたはたと紅の血が真っ白いフロドの指から、新緑の草の上に零れました。
「あ・・・」
サムはその色のコントラストに目が眩むように思いました。一瞬、何が起こったのか分かりませんでしたが、そのほんの一秒あとにサムは自分のしてしまったことをとんでもなく後悔しました。しかし言葉が出てきません。どうしていいかも分かりません。サムは掴んだままのフロドの手を自分の目の前に持ってきました。そしてそっと血が滲み出るフロドの細い指を口に持っていきました。
「!・・・サム!」
フロドはあまりに驚きましたのでつい声を出してしまいました。今のサムが混乱していて、難しい時期であると分かっていながら。サムはフロドの声にはっとなったようでした。そして跡がつくほど強く握っていたフロドの手を乱暴に離し、その自分の行動にもびっくりして、回れ右をして走り去ってしまいました。
「サム・・・」
フロドは立ち上がってサムの後ろ姿を、サムが見えなくなるまでみつめていました。
「・・・ということがあったのですがね、ビルボ。わたしはどうしたらよいのでしょう。」
フロドはその夜、夕食を片付けた後にお茶を飲んでいるビルボの向かいに座ってそう言いました。フロドは少し沈んだ面持ちで机の上に指を組みました。それをビルボは目を細めて見ました。
「なるほどねえ。」
ビルボはしきりに感心したような、なんとも嬉しそうな、それでいて懐かしいような顔をして相槌をうっていました。
「ビルボ!真面目に聞いてくださいよ。」
フロドはそんなビルボに真剣に言いました。
「いやいや、悪かったよフロド。ちょっと思い出してね。」
「何をです?」
不思議そうにそう言ったフロドにビルボは方眉を上げて笑いかけました。
「お前はあんまりそんなこともなかったから分からないのかもしれないけどなあ。でもわたしも確かにそんな時期があったものだよ。」
「だから何がです?」
フロドはもっと不思議な顔になりました。
「サムは今、移り変わりの時にいるんだよ。」
ビルボはにっこりしてそう言いました。そしてそれっきり黙ってしまいました。ビルボはそれでフロドが自分の答えを見つけると知っていました。ですからぽんぽんっとフロドの肩を軽くたたいてもう一度フロドに笑いかけました。
「おやすみフロド。明日お前の小さい庭師のところに行っておやり。」
フロドは自分の手を見つめました。小さく切れた指に、サムの暖かさがよみがえるようでした。フロドはサムの移り変わりの時をしっかりと見つめていました。そして自分の中に起きた暖かい気持ちをそっと包み込みました。フロドは窓から見える庭を、夜中みつめていました。
あくる朝、とっつぁんはふて寝をしているサムを見つけました。もう陽が登のぼって随分たちますが、サムは朝ごはんも食べずに、寝床にもぐりこんだままでした。サムが、もうそろそろとっつぁんが怒鳴りに入って来るかなぁと思っていたその時でした。
「わざわざすまねえこってす。ほんと、倅のためなんかに。いえいえ、なんともないんでさ。ええ、ほんとですだ。そんな、めっそうもねえ。」
来客のようでした。サムはそれなら当分は怒鳴られないかなあと思っていました。ところがとっつぁんの声と2つの足音がどんどんサムの小さい部屋に近付いてくるではありませんか!サムはびっくりして上掛けを頭のてっぺんまで引き上げてかぶりました。
カチャ・・・
小さな音がして、誰かがサムの部屋に入ってきました。とっつぁんと分かる足音は次第に遠ざかっていきます。そしてもう一つの足音はそっとサムの寝床のすぐそこまで来て、そおっとベッドに座ったようでした。ふわっと、サムの鼻をほんのり甘酸っぱいようなりんごの香りがくすぐりました。フロドでした。サムはもう何が何だか分からなくて頭がくわくわとしました。するとそんなサムの捲き毛の頭をそっとなでるやさしい手が伸ばされました。
「サム。」
フロドは目を細めてサムの上掛けからはみ出した金色に近い捲き毛とちょっとのぞいた耳をやさしく見ました。
「お前はわたしにけがをさせまいとしてくれたんだね。それにわたしのけがを治してくれようとしてくれたんだよね。」
フロドの声はどこまでもやさしく、どこまでもあたたかでした。
「わたしは嬉しいよ、サム。」
フロドはもう一度にっこりと笑いました。そして捲き毛をそっとかき分けてのぞいた額にそっとキスしました。
「ありがとう。木の下で今日もお前を待ってるよ。」
そしてまたそっと立ち去りました。はっとしてサムが起き上がった時には、もうフロドはそこにいませんでした。
「旦那・・・」
そっとつぶやいて、サムは何かを乗り越えた目をしました。それは今までになくしっかりした光をたたえた目でした。
フロドの開いている本は、西の港とエルフのお話でした。本の上に木洩れ日とその影がきれいな模様を描いていました。それに加わった一際はっきりした形がありました。
「サム!」
フロドはぱっと顔を輝かせて上を見ました。そこにはちょっと申し訳なさそうに、ちょっと恥ずかしそうに笑ったサムの顔がありました。
「フロドの旦那。」
サムはそう言ってフロドの前に立ちました。
「来てくれたね。」
「はい、フロドの旦那。」
「読んでくれる?」
フロドはそう言って本をサムにさし出しました。とびっきりの笑顔と一緒に。それに応えるようにサムもにっこり笑いました。
「もちろんですだ。」
そう言ってサムはフロドの横にそっと腰をおろしました。もう、フロドより背が大きいくらいでした。サムはフロドの前に本を開きました。そして小さなやさしい声で読み始めました。
「これは西に渡る、エルフたちの物語です・・・」
穏やかな日の、穏やかなサムの大人への出発でした。
おわり
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