Solitary Birthday
これは、フロドの思い出の物語です。 ビルボがホビット庄からいなくなって、もう何年か経ちますが、今年もフロドはビルボとフロドの合同誕生会を盛大に催しました。にぎやかな誕生会が終わり、あとには食べ残しの食事がほんの少しと、ホビットたちが散らかした広場だけが残っていました。大体の片づけが済んだので、サムも先ほど家に帰したところでした。今日はみんな満腹のお腹をかかえてお家に帰り、いい夢を見るのでしょう。フロドは、そんなことを思いながら袋小路屋敷に戻ってゆきました。 お屋敷に戻るともう辺りは真っ暗で、空には星たちがきらきらと輝いて天を彩っていました。フロドは少し外を歩いてみたいと思いました。足の向くままに夜の散歩をすることにしました。草むらから響いてくる虫の鳴き声と、フロドの足音以外には何も聞こえませんでした。その、リー、リー、という音と、さくさくと砂利を踏む音が、耳に心地よい夜でした。フロドがふと足を止めると、そこは小さな川の岸辺でした。どうしてこんなところに来てしまったのか、フロドは分かりませんでした。ですが歩いて少しだけ身体が火照ってきたので、素足をその流れにひたそうと思いました。 フロドが足を流れに入れると、ポチャン、と音がしました。水はさらさらとフロドの足を撫でるように流れてゆきました。思いのほか水は冷たく、フロドは少し震えました。その一瞬、フロドは何か大切なことを思い出したような気がしました。目の前に、小さい頃の自分がいるような気がしました・・・ 幼いフロドはたった一人で河べりに立っていました。小さな足を流れに入れ、手には小さな白い帆船を持っていました。それは木でできた綺麗な帆船でした。白く塗った軽い木に、真っ白な布で作った帆が張ってありました。フロドはそれを大切そうになで、そおっと水面に降ろしました。船の端には白い紐がくくりつけてあります。フロドはその紐の片端を右手に持って、船を自由に河に泳がせてやりました。ゆるやかな流れに船はすうっと少しだけ水面をすべり、髪を揺らすほどの小さな風に真っ白な帆を膨らませていました。聞こえる音は何もありませんでした。静かな夜でした。星の綺麗な夜でした。小さなフロドは水面を見ていた目を空に上げました。目に痛いほどの星々の輝きに、フロドは瞳を閉じました。すうっと、目じりから流れるものがありました。ふっくらとした頬に一筋の小さな涙が零れ落ちてゆきました。 どうしてわたしはあの時泣いていたんだろう。フロドはその光景を思い出しながらふとそう思いました。星の光がまぶしすぎたのだろうか、それとも何かあったんだろうか、そう思いました。わたしは何か大切なことを忘れている気がすると、フロドは思いました。それはなんだろうと思い、フロドは水の流れの中に一歩踏み出して、幼いフロドがしていたように空を見上げてみました。その日のように、静かで星の綺麗な夜でした。じっとその星たちを眺めていると、ふいにフロドは胸を締め付けられるような切なさに出遭いました。フロドはふと、右手を見つめました。そこには幼いフロドの持っていた白い紐も、白い帆船もありませんでした。急に、涙が溢れてきました。 小さなフロドはその年の9月22日の夜、たった一人ブランディ屋敷を抜け出して河辺に走ってゆきました。手には白い帆船を持っていました。その帆船は去年の誕生日にフロドのものになった大切な宝物でした。両親からもらった、手作りの帆船でした。河に着いたフロドは、ばしゃばしゃと水に入り、くるぶしまでその河の流れに浸かりました。ひとつだけ、ためいきが出ました。幼いフロドは手の中の小さな帆船をじっと見つめて小さな小さな声で言いました。フロド、誕生日おめでとう、と。そして帆船を水面に浮かべました。 そうだった、あの日もわたしの誕生日だった。フロドはそう思いました。その前の年に両親が河で亡くなって、たった一人で迎えた初めての誕生日だったことも思い出しました。たくさんのホビットが住むブランディ屋敷では、小さなホビットの子の誕生日を忘れることもある、忙しいお屋敷でした。去年までは、ささやかながらも家族だけで誕生日を祝っていました。 「フロド、誕生日おめでとう!」 そんな頃もあったんだなぁ。フロドはそう思いました。小さくて誰も知らない誕生祝いだったけど、とても楽しかったなぁ。そう思い、フロドはにっこりと小さく、でも少しだけ寂しげに笑いました。 大きな河の上に、小さなボートが浮いていました。その上には3人のホビットが静かに乗っていました。フロドに似た黒い巻き毛のドロゴ父さんは、上手にオールを漕いでいました。金色の巻き毛に、フロドに良く似た瞳のプリムラ母さんは真っ白なふわっとしたドレスを着ていました。二人ともとても綺麗で、フロドはなんだか誇らしくなりました。河は静かで波もたっていませんでした。小さなフロドがその心地よい思いに浸っていると、プリムラ母さんとドロゴ父さんがお互いににこっと目配せをして、ボートの中から小さな包みを取り出しました。 そうだ、あの時、小さな帆船をもらったんだ。さっきの小さなわたしが持っていたのはそれだったんだ。でもその帆船をどうしたんだったっけ。フロドはふと考え込みました。今はその帆船を持っていないように思うけれど。それにホビット庄に引っ越してきた時にもなかったような気がする。どこでなくしたんだろう。それとも・・・? 幼いフロドは去年の誕生日を思い出しながら、空を見上げてたたずんでいました。右手の紐だけが、フロドの記憶の寄る辺のようでした。小さなフロドは、哀しみから立ち直らなくてはいけないことを知っていました。もう、思い出をきちんと片付ける時でした。フロドは、星空を見上げたまま、頬に流れた小さな涙の跡をぐいっと拭きました。そして、今までぎゅっと握り締めていた帆船の紐をそっと離しました。ゆるやかな流れに乗って、帆船はゆったりと河を流れてゆきました。フロドは、その船の姿を見るまいとしました。見送ってしまったら、帆船も悲しみも手放せなくなると思ったのです。しかし、フロドにはそれがどうしてもできませんでした。手遅れになる前にもう一度だけあの小さな帆船を見たい!フロドはそう思い、空から河へと視線を移しました。しかし帆船は、もう手の届かない河の真ん中まで流されていました。 そうか、わたしが自分で流したのだった。フロドはそう思い出しました。幼い自分にできる、精一杯のお別れなのでした。それを思い出して、フロドはもう一度泣きました。声をあげて、子供のように、あの日のように泣きました。静かな夜でした。 古い物語にこうあります。水の王ウルモは、アルダの地の隅々まで、水脈を通じてそこに住むものの嘆きを聞くことができる、と。フロドの悲しみも、涙も、きっとウルモに届いていることでしょう・・・ おわり |