Scone
これは小さなサムと、フロドとビルボのお話です。
サムがとっつぁんについて袋小路屋敷の見習い庭師になってまだ間もない頃のことでした。その日は朝からひどい雨でした。お日様が元気な日には、庭師のやることが山のようになるのですが、今日はとにかく雨なので、外でのお仕事はお休みでした。とっつぁんは、朝起きて窓の外を眺めて言いました。
「おいサム。今日はお屋敷に行かねえでもいいぞ。」
とっつぁんは、部屋の中でできる仕事を今日は一人でやろうと思っていました。いつもちゃんと仕事についてくるサムに、ご褒美でお休みをあげたつもりなのでした。しかしサムはそれを聞いてとっても不機嫌な顔になりました。
「いやだ!おらいくだ。」
そう言ったかと思うと、サムはコートもフードもかぶらずに、お屋敷への道を一目散に駆けてゆきました。その後姿を見て、とっつぁんはあきれたように笑いました。同じ年頃の子達と遊ぶより、お屋敷で旦那方といた方がいいなんて、しょうのないやつだと思いました。
サムがお屋敷にたどり着くと、ちょっと走ってきただけなのに、サムは濡れねずみのようにびっしょりになっていました。
「おやサム!どうしたんだいこの格好は。」
戸を叩いたサムに、玄関からひょいっと出てきたビルボが言いました。
「びしょ濡れじゃないか。おーい、フロド!タオルを持ってきておくれ!」
「どうしたんですビルボ?」
まさかサムがこんな日にやってくるとは知らないフロドが不思議そうにそう聞きながらふかふかのタオルを持ってやってきました。
「フロドのだんな!」
それを見て、今までむっすりとして口を開かなかったサムがそう言いました。
「おや、サムじゃないか?今日は休んでもよかったんだよ?」
「でもだんな、おらここにきたかったんですだ。」
サムはフロドにそう言われて悲しそうにそう言いました。可愛いサムにそんな顔をさせたくなかったので、フロドは慌てて足りなかった言葉を付け足しました。
「分かってるよサム。今日はうちでゆっくりしていけばいいよ。」
その一言に、サムはにっこり笑顔になってご機嫌になりました。それを見ていてビルボもなんだかほわっと嬉しい気持ちになりました。本当に、サムはフロドとビルボに可愛がられているのでした。
フロドにタオルで拭いてもらっているサムを見て、ビルボがいいことを思いついたように言いました。
「そうだなぁ。よし、スコーンでも作ろうか。」
「え?本当ですか?」
そのビルボの声を聞いて、サムよりもフロドの方が嬉しそうな声をあげました。それに苦笑してビルボが言いました。
「お前たちも一緒に作るんだよ。」
「分かりましたよビルボ。じゃあサム、わたしたちもビルボのお手伝いをしよう。サムはまだ食べたことなかったかな?ビルボのスコーンは、それはそれはおいしいんだから。」
フロドはにこっとサムに笑いかけました。サムはスコーンも大好きでしたが、フロドの笑顔も大好きだったので、顔を輝かせてこくっとうなずきました。
ビルボが慣れた様子でキッチンに立ちました。もちろん使い古した清潔な茶色のエプロンをしています。フロドも薄い緑色のエプロンをして、サムには真っ白で小さなエプロンを着せてやるところでした。それはフロドの小さい頃に、ブランディ屋敷にやってきたビルボがフロドにあげたエプロンでした。
「ああ、ちょうどいいね、サム。とっても似合うよ。」
フロドはその可愛らしい姿を見てそう言いました。サムはちょっと恥ずかしそうに、小さな声で
「ありがとうございますだ。」
と言いました。
「気に入ったかい?」
フロドがそう聞くと、サムはこくこくと一生懸命うなずきました。
「そうかい、じゃあそれをサムにあげるよ。ねえ、いいでしょうビルボ。」
「ああ、いいとも。」
「ありがとうビルボ。サム、これはね、もともとわたしがビルボにもらったものだったんだ。わたしの料理の腕前は、ビルボのようにうまくならなかったけど、サムはうまくなるかもしれないね。だからこれをあげるよ。」
そう言って、フロドはサムの肩をぽん、と叩きました。
「うれしいですだ。おら、おらフロドのだんなとビルボのおおだんなのためにおいしいもんをつくれるようになりますだ。」
サムは、嬉しさに頬を真っ赤にして一生懸命そう言いました。あまりの可愛らしさに、フロドは顔が自然にくずれてしまいそうでした。
「さて、まずは材料を用意しようか。」
ビルボはその様子を見て目を細めていましたが、当初の目的に立ち返ってふたりに言いました。
「材料はすぐにそろうものばかりさ。小麦粉にふくらし粉、バタに牛乳、それからたまごだ。ほら、簡単だろ?さあ、探してきておくれ。」
にこにこしながらそう言うと、フロドとサムはわれ先にとそれらを探し始めました。
「バタはどれくらい必要なんですかね、ビルボ。」
「おら、たまごをみつけましただ!」
フロドとサムは次々と材料を見つけてきます。二人とも宝物を探しているみたいでとっても楽しそうでした。その間にビルボがかまどに火を入れ、3人分の道具を用意しました。ボールも木のへらも、生地を伸ばす棒まで3つずつです。火はぽっぽと燃え、寒い雨を吹き飛ばすくらい部屋の中が暖かくなりました。そうこうしているうちに、フロドもサムも全部の材料の用意ができたようでした。
「よーし、これでそろったね。ビルボ、はじめに何をしましょうか。」
「おいおいフロド。いつもわたしのやるのを見ているだろう?覚えていないのかい。」
「ええと、そうですねぇ。」
フロドは照れたように言いました。
「いつもできあがりが楽しみで、そればかり考えているものですから。でも、確かはじめに粉をふるっていたような気がしますよ。」
「大当たり。小麦粉と、それからふくらし粉をほんのちょっとだけ混ぜてふるうんだよ。スプーンに2杯くらいかな。あんまり入れると苦くなるからね。」
「へぇー、そうなんですか。いつもいいかげんにやってるように見えて、結構細かいんですね。」
フロドがちゃかしたようにそう言いました。
「何を言ってるんだいフロド。わたしはいつでもちゃんとやってるよ。そうだろ、サム?わたしの言うことはいつも正しいだろ?」
そんなフロドとビルボのやり取りを聞いていて、サムは目が回るように思いました。それに急に自分に話が回ってきたので目をぱちくりして、返事に困ってしまいました。
「えっと、えっと。」
「ほらビルボ、サムが困っているじゃありませんか。いじわるしないでくださいよ。」
どうしていいのか分からないサムをかばうように、フロドが言いました。一瞬、沈黙が流れましたが、次の瞬間それは笑い声に取って代わっていました。
「ははっ!サム、気にしなくていいんだよ。さあはじめよう。」
そうしてサムはやっとふたりから解放されて、ほっと息をつきました。
大きめのボールに粉をふるうと、次の作業が待っていました。バタをその粉に混ぜるのです。混ぜやすいようにビルボはバタを小さく刻んでくれました。ビルボは
「この過程が一番大切なんだよ。均一に、さらさらになるまで粉に混ぜるんだ。」
と言いながら、慣れた手つきでどんどん混ぜてゆきます。サムもそれを見よう見まねでやってみるのですが、どうもかたまりが大きくなってしまうようです。ですからサムは、自分だけできていないんじゃないかとちょっと心配になってフロドを見ました。ところがところが、フロドはサムよりもっと苦戦していました。ビルボのボールにはさらさらになったパン粉状のものが出来上がっているのに、フロドのボールの中はあっちこっちにだまができていて、とても均一に、とは言えませんでした。それを見て、サムは安心したような顔をしました。
「なんだいその顔は?サムや。わたしのが下手だって思ってるのかい?」
それを目ざとくみつけたフロドが言いました。
「な・・なんでもねえですだよ、フロドのだんな。そんなことおもっちゃいませんだ。」
サムは慌てて真面目な顔になってそう言いました。
「あはは!フロド、負け惜しみかい?確かにサムのほうがずっとお前よりうまいよ。」
ビルボは反対に、にやにやしてそう言いました。
「もうっ!ビルボまで。」
フロドは頬を膨らませて子供のように言いました。
「本当のことを言ったまでだよ。なあサム?」
その言い方があまりにおどけていたので、サムはビルボと顔を見合わせて笑い出してしまいました。フロドもいつの間にか、一緒に笑っていました。そしてその作業が終わる頃には、フロドもサムも粉まみれになっていました。ビルボはちっとも汚れていません。
「フロドのだんなぁ、おらたちまっしろですだ。」
「本当だねぇ、サム。どうしてわたしたちだけこんなに真っ白なんです。」
フロドはサムの顔を見て、それから置いてある鏡で自分の顔を見て不服そうに言いました。
「何事も慣れだよフロド。あと何回か作れば真っ白にならずに作れるようになるさ。」
ビルボはそう言いましたが、フロドには真っ白にならずに作れる日がくるようになるとは思えませんでした。
そんなこんなで粉を全身から叩き落としたら、また次の段階が待っていました。その粉に牛乳とたまごの混ぜたのを入れるのです。それはとっても素早くやらなくてはいけません。ビルボはさくっさくっといい音をたてて、あっという間に混ぜてしまいました。そこでもまた、サムとフロドは時間がかかり、もっちゃもっちゃと妙な音がするまで混ぜてしまいました。
「あーあ、膨らまないかもしれないなぁ。」
ビルボがふたりのボールの中身をちょっと見て言いました。
「仕方ないよね、サムや。これ以上手早くなんて無理ですよ。」
「むりですだ。」
今度はふたりがそろって言いました。でも、次は楽しい作業でしたので、ふたりはすぐにそんなことを忘れてしまいました。
次はスコーンのかたち作りです。フロドはいつもこの作業だけを手伝っていました。だって何よりこの仕事が楽しいのですから。今までの失敗を取り戻すように、フロドは手早く生地を伸ばしていきました。もちろん、台には打ち粉が十分にしてあります。サムもそれをならって小さな手で、一生懸命伸ばしてゆきました。するとビルボがどこからか、かわいらしいたくさんの抜き型を持ってきました。丸いのに、穴の開いたの、お花のかたちに、星型まで。フロドとサムはそれぞれ好きな型を使って、たくさんくりぬいてゆきました。
「さあ、どれにしよう。サムはどうするんだい?」
「おら、おほしさまですだ。」
「へえ、どうしてだい。」
「だって、おほしさまってエルフみたいですだ。きらきらしてて、とってもきれいですだ。ビルボのおおだんながおはなししてくれるエルフも、きっとこんなですだ。」
サムはフロドに向かって、そんなことを熱を込めて言いました。ビルボはおや、というような顔をして微笑み、フロドは目を細めてふわっと笑いました。
「そうか、サムはエルフが好きだったね。きっと綺麗なのができあがるよ。じゃあわたしはお花の形にしようかな。」
「どうしてですだか?」
今度はサムが聞きました。
「だってサムが育ててくれるお花はとっても可愛くて綺麗なんだもの。」
それだけ言って、フロドはサムにウインクしてみせました。小さなサムは、ぽっと小さく赤くなりました。ははっと、ビルボも笑いました。
「もうできたかい、おちびさんたち。次はそれに黄身を塗るんだよ。牛乳でもいいよ。照りが出てきれいに見えるからね。」
おちびさん、という言葉にフロドもサムもぷうっとふくれました。でも、ビルボがささっと自分の丸い生地に牛乳を塗るのを見て、とってもきれいで羨ましくて、すぐに忘れてしまいました。
準備ができましたが、もう少しかまどの温度が上がったほうがいいと、ビルボは言いました。
「スコーンは焼く時間が短いからね、十分に温めた方がいいんだよ。」
そう言いました。
「じゃあその間にクリームを作りましょうよ。」
フロドが言いました。
「くりーむ?」
サムがちょっと不思議そうに言いました。いつも自分の家で食べるスコーンには、手作りのバタといちごジャムしかつけたことがなかったのです。
「そうだよサム。ビルボの作るクリームは最高なんだ。」
「まあね、簡単にできるしおいしいよ。さ、サムにも作り方を教えてあげよう。よーく見ておいで。」
そう言って、ビルボは作りおきのサワークリームを出してボールに入れました。それからもうひとつたまごを持ってきてぱかっと割りました。でも、使うのは黄身だけです。ビルボは割った殻を使って、器用に黄身だけ取り出すことに成功しました。
「うわー、すごいですだー!」
サムはそれに感動した声をあげました。フロドがそれを見てにっこり笑い、ビルボはふふふと、得意げに笑いました。そのふたつをくるくるっと混ぜて、ビルボはそれを氷水に浸しに行きました。冬の間に切り出しておいた氷を使うのです。
「あれ?もうおわりなんですだか?」
サムが不思議そうに言いました。
「そうだよ。簡単だろ?」
ビルボが氷蔵から顔をひょいと出して言いました。これでサワークリームの酸味が消えて、おいしい風味ときれいな黄色がつくのです。フロドはこれが大好きでした。
もうそろそろかまども温まったようです。ビルボは分厚い手袋をして、重い鉄の棒で、生地をのせた鉄板をかまどの中にそおっと入れました。ぱちぱち、ごうごうと音がしています。
「15分くらいかな?きつね色になったらもう食べられるよ。」
フロドとサムは15分も、とても待てないと思いました。
「あー、早く食べたいな。」
「たべたいですだ。」
永遠に焼きあがらないのではないかと思えるほど、その時間は長く感じられました。
さあ、もうそろそろできあがったようです。フロドは紅茶の用意をし始め、サムはそれを手伝いました。ビルボが小さなバスケットにできたてほやほやのスコーンを入れて持ってきました。もちろんさっきの冷やしておいたクリームと、色とりどりのジャムたちも一緒に。
「いただきまーす!」
3人は声をそろえて言いました。形で、どれが誰の作ったものなのか、よーく分かりました。丸くて、良く膨らんでいるのがビルボのです。外はかりっとしているのに、中はしっとりやわらか。とってもおいしいのです。星型なのがサムのです。ちょっと膨らみが足りないけれど、良く塗った黄身のおかげでてかてかと黄色く光ってきれいでした。そしてお花のかたちのがフロドのです。ちょっと硬いけれど、それはそれでくせになる味とも言えました。クリームも、いろんなベリーのジャムもとってもスコーンに合いました。みんなは、それぞれ自分のを交換しあって存分にティータイムを楽しみました。
ふと、空を見るとさっきまで降っていた雨がすっかりあがっていました。庭の草木は雨に濡れて、きらきらと光るしずくを全身に飾っていました。空にはうっすらと虹がかかっています。
「今日は楽しかったね。」
フロドが言いました。
「たのしかったですだ。それに、とってもおいしかったですだ。」
サムも言いました。
「また作りにおいで。」
ふふっと笑ってビルボも言いました。こうして、ホビット庄の一日は過ぎてゆきました。またひとつ、大切な思い出ができたのでした。この思い出は、ずーっと、3人の心の中に残ってゆきました。
おわり
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