18・サムワイズとフロド

 

 その頃サムはフロドを探して走り回っていました。しかし息が切れるばかりでいっこうにフロドの姿は見当たりません。サムは立ち止まってふうふうと荒い息をしました。そして出し抜けに片手でぴしゃりと自分の頭をたたきました。
「ほい、待った、サムワイズ・ギャムジーよ!」
サムは涙を流しながらも必死に考えようとしました。
「お前の足はちいと短いわい。だから頭を使いな!フロドの旦那はどうなされたか、考えるだよ!旦那はひどく怯えなすったんだ。旦那はたがを締めなされた。それも突然にな。とうとう心を決められたんだ。行く事にしたに違いねえ。どこにだね?東へだ。サムを連れないでかね?その通り、旦那のサムさえもつれずにだ!」
サムは手で目をこすり、涙を払いのけました。
「落ち着け、ギャムジー!頭を使うんだ!おらが旦那だったらどうなさるかね?ホビットにゃ空はとべねえ。それから滝も飛び降りるわけにはいかねえ。東はどっちだね?河の向こうだ。それに身の回りの荷物はどうだね?だから船に戻らなきゃなんねえ。船んところまで戻るんだ!ほら!急げサム!」
サムはくるっと向きを変えて岸辺に向かって走り出しました。木の枝で顔をぶっても、根っこで転びそうになっても、ひたすら走り続けました。その間、ずっと
「フロド様!フロドの旦那!フロド!!」
と叫び続けていました。
 

 フロドは河の岸辺に指輪を手のひらにのせて東を向いていました。その青い目には涙がとめどなくあふれ、白い頬にいく筋もいく筋も綺麗なしずくが流れ落ちました。
『こんなものが私のところへ来なければ良かったのに。』
フロドの心の中にいつしかの自分の呟きがかえってきました。そしてガンダルフの言葉も。
『辛い目に遭ったときは誰でもそう思うものなのじゃ。しかしフロドよ、それがお前さん に与えられた道なんじゃよ。』
ガンダルフのあの時の声が、フロドには聞こえるようでした。そしてフロドは指輪をぐっと握り締め、船を出しました。怖くて恐くて、寂しくて淋しくて、フロドは自分の涙を止める事ができませんでした。
 

サムがやっと岸にたどり着いた時でした。フロドが船をほんのいく漕ぎかして、河に出たところでした。
「フロド!フロドの旦那!」
サムが岸から叫びました。フロドは驚いて目を見開きました。今一番会いたくて、一番あってはならないと思っていたその本人がそこにいるではありませんか!
「今まいりますだよ、フロドの旦那!まいりますだよ!」
サムはそう叫びながら水辺に駆け寄りました。
「だめだ!サム!」
フロドは必死に叫びました。
「戻れ、サム!わたしはひとりでモルドールへ行く!」
フロドには耐えられませんでした。サムが苦しい目に遭うのは、自分がどんな目に遭うよりもずっとずっと苦しい事だと分かったのです。しかしサムはじゃぶじゃぶと水の中に入ってフロドの船を追いかけたのです。
「もちろんですだ、フロドの旦那!だが、お一人じゃありません!おらもまいりますだ!でなければ二人とも行かないちゅうことですだ!」
「サム!」
フロドは今度は青くなって叫んでいました。サムは泳げないのです!もう深いところまで来ています。サムが足を取られて河に沈むのが見えました。もうフロドには考える事ができませんでした。
「サム!サム!」
そう叫んだフロドは船をサムの沈みかけている辺りまで引き返しました。

水中でサムはゆっくりともがいていました。水面がやたらと綺麗に見えます。最期にもう一度フロドの旦那に・・・するとサムは目の前にフロドの白い手が差し出されたように思いました。おらそっちへまいりますだよ。そう思ったサムが手を伸ばした時です。その手がサムの腕を思いっきり上にひっぱり上げたのです!本当にフロドでした。
「わたしの手をつかむんだ!サム!」
恐怖でひきつったサムの顔がやっと水面に出ました。フロドはサムを渾身の力を振り絞って引き上げました。サムの巻き毛はびしょびしょになり、マントも服もずぶぬれでした。でもサムはフロドをしっかと見つめて言ったのです。
「たった一人で、旦那をお助けするサムもいなくてどうするだ?おらにはそんなこと耐えられねえ。おらを死なすようなもんですだ。」
「私と一緒に来れば、死ぬ事になるんだよ、サム。わたしにはそれが耐えられないんだよ!」
フロドは泣き出してそう言いました。しかしサムは一つ息をして言いました。
「約束しましただ。おら、約束しましただよ、フロドの旦那。お前はフロドの旦那から離れない。で、おらはその約束を守りますだ。決してお側を離れません、決して。」
フロドは不意に心に暖かいものと喜びと何もかもが湧き上がり、堰を切ったように流れ出しました。
「ああ、サム!」
フロドは気がつくと船の上でサムを抱きしめていました。二人ともしっかと抱き合って、二人の目からこぼれる涙はいつとまるともしれませんでした。
「サム、さあ行こう。」
フロドはサムを見つめて言いました。また、サムの瞳から一滴涙がこぼれました。こうして二人はモルドールヘと旅立つことになったのでした。

「それぞれの旅立ち」に続く。