4・裂け谷への道

 

 アラゴルンは寡黙な人間でした。朝早く、ホビットたちに急いで朝食をすまさせてすぐに出発しようと言いました。その言い方があまりに切羽詰っているのと、ホビットたちがまだアラゴルンを怖がっているために反対するものはいませんでした。アラゴルンは野に向かって歩き始めました。
「どこへわたしたちをつれていくつもりなんです?」
フロドがそう尋ねてもただ、ひとけのないところへ。とだけ答えてどんどん進んでいきます。ホビットたちの短い足では人間と同じ速度で歩くなんて到底無理な話でした。少し遅れてホビットたちが続きます。それぞれがなにかしら不満と不安を抱えています。
「ねえフロド、あの野伏がなんでガンダルフの友達だって分かったんだい?」
ホビット庄の中では頭の回転の速いメリーがそう聞きました。
「信用するしかないんだよ。」
フロドは厳しい顔でそう言いました。フロドもまだ完全にアラゴルンに信頼を寄せているわけではありません。しかしサムはもっと不審そうな目でアラゴルンの事を見ています。やすやすと、自分の旦那をたとえつかの間でも狭い部屋に閉じ込めた、見知らぬ大きい人を信じられるほどサムは柔軟な考えのホビットではなかったのです。だからつい思ったことまで口に出してしまいました。
「あのアラゴルンとかいう人はおらたちを一体どこに連れてくつもりだか。ガンダルフの旦那だって来てない。おらや旦那を任せちまっていいだか?」
すると今まで黙って歩いていたアラゴルンが振り向いて少し笑いました。
「サム、裂け谷だよ。エルロンドの住まう谷へ行くんだ。」
「裂け谷ですって!エルフの国ですだ。フロドの旦那!おら、エルフっちゅうもんに一度でいいから会いたかったんですだ。ビルボの大旦那の話じゃ彼らは賢くて美しく、とても長い長い時を生きていると言いますだ。それで軽やかに歩いて歌を歌って暮らしていると聞きましただ。おらずっと見てみたかっただ。フロドの旦那、この気持ち分かってくださるだか?」
サムは目をきらきらさせてフロドに話しかけました。アラゴルンへの不振な視線もおおかた消えていました。それを見てフロドは微笑みました。
「分かっているよ、サム。お前は小さい時から本当にエルフの話が好きだったからね。わたしもお前と同じだよ。エルフにまた会ってみたい。」
そう言ってフロドはサムにもう一度微笑んでみせました。

 もうそろそろ朝の10時でした。ホビットたちは立ち止まって2回目の朝ごはんのしたくをし始めましたがアラゴルンは止まりません。アラゴルンはホビットたちが日に6回のごはんを食べることなど知りませんでした。ホビットは大きい人たちとあまりかかわりがないのは先ほど述べました。アラゴルンは大きい人たちの中ではホビットの事を知っている方でしたが、それでもまだこの種族には驚かされることがいろいろあったのです。あのガンダルフでさえホビットに驚きを隠せないこともありました。だからホビットたちはそんなことも知らないアラゴルンも笑って許しました。それに歩きながらでも食べられるようにとりんごも一つずつもらいましたから、頭にりんごが直撃したピピンでさえ上機嫌になりました。
「おら、宿を出てから今日の
2度目の朝ごはんを旦那に何が作れるかずっと考えていましただ。惜しい事をしただ。このりんごだってもっとおいしくして差し上げれたのに・・・」
サムはりんごをかじりながらそう言いました。
「そうだね、サムや。」
サムが歩きながら器用にむいてくれたりんごを食べながらフロドが答えました。ホビットたちは昨日怖い目にあったというのにもうなんだかのんびりしています。フロドでさえ朝ごはんのことで肩をすくめてみせるほどゆったりとした気持ちになっていました。
「わたしはまた朝ごはんくらい食べられるものだと思っていたんだけどね。それにしても荷物が重いよサム。家をしょって歩いている蝸牛なんかがかわいそうになってきたよ。」
そんな軽口さえ出てきたのです。メリーとピピンはホビット庄の鼻歌を歌っています。
「おら、まだまだ持てますだよ、フロドの旦那。」
サムは事実に反する強がりを言いました。
「だめだよサム!」
鼻歌をメリーとハミングしていたピピンがそう言いました。
「フロドはこの頃たるんでいるんだ。それくらいの重さは彼に持たせなくっちゃ。」
それを聞いてフロドは、はははと笑いました。
「おやおや、わたしはエルフの国に着くまでにずいぶん細くなってしまうだろうよ。それにしてもサム。お前はなにか余分なものまでたくさん持っているようだね。後で荷の中身を見せてもらわなくっちゃ。」
サムは何も言いませんでした。サムは旦那が荷物に入れ忘れそうで、そのうち入用になりそうなものを自分の荷物に詰め込んでいたのです。それも、旦那がこまったなぁという顔をした時に得意顔で出してあげるためでした。

 ホビットたちの話を先頭で背を向けて聞いているアラゴルンは大変な旅だと言うのをつかの間忘れそうになりました。彼らは本当に楽しそうです。アラゴルンはこの愛すべき種族を守ってやらねばならないと、切に思うようになりました。ホビットたちの歌は尽きることなく口から出て、果てには肩を組んで踊りだしそうでした。別にホビットたちは真剣でなかった訳ではないのです。ただホビットはそういった種族なのです。常に厳しいアラゴルンの表情が少し穏やかになった瞬間がありました。しかしそれもつかの間でした。アラゴルンには分かっていました。フロドが指輪をはめた時から、自分たちははっきりと追われる身になったと言う事を。追跡者たちはてだれです。急ごうとしていません。必ず捕まえられると分かっているために、今ホビットたちを歩かせているのです。それを考えるほど、アラゴルンの気持ちも深く沈みました。ガンダルフは一体どこに行ってしまったのでしょう!サルマンに捕らえられているなどとは、誰も思いつきませんでした。ホビットたちの歩く道がだんだん岩と枯れ草ばかりになってきました。夕暮れも迫ってきました。
「今日はあそこで休む事にしよう。」
アラゴルンが言いました。彼が指差した先には傾いた石の塔がありました。それはかつては王の偉大な見張りの塔であったアモン・スールでした。

「アモン・スール」へ続く。