〜散歩・お昼寝編〜

 

 楽しい午前は過ぎ去りお昼になりました。今度はサムがご飯を用意し、二人はおいしく食べ終わりました。サムは食器を洗いながら今日はあと何をしようかと考えていました。植え替えは終わっていますし、下草もまだ伸びていません。新しい花は朝に植えてしまいましたし、こんな天気のいい日の午後の水撒きは厳禁です。いつも尽きることがない庭仕事ですが、今日は特別することもなさそうです。じゃあ今日は早く切り上げて緑竜館にでも行くかな、と思っていました。しかしその考えもフロドの一声できれいに消えてなくなりました。
「今日はいい天気だよサムや!森に散歩に行かないかい?」
「なんていいこってしょう!」
サムは先ほどの恥ずかしい出来事も忘れ、思わずそう言っていました。
「じゃあ手伝おう。洗った皿をわたしにかしてごらん。」
フロドはサムの洗ったばかりの皿を清潔な布で拭き、飾り棚に戻しました。というのも、フロドが先ほど用意した皿はお客様用の綺麗な飾り付きのものだったのでした。ぱしゃぱしゃと水のはねる音が楽しく二人の周りに響きました。さて、片付けも終わりました。フロドはポケットに固く焼いたサクサクのスコーンのようなものをきれいな布に包んで入れました。サムもぴかぴかの皮のりんごを二つポケットに入れました。さあ、散歩に出発です。
 

 本当に良い日でした。太陽は暖かく二人の上に光を投げ掛け、小鳥はあっちからもこっちからも軽快にさえずっています。逞しい緑がホビット庄中を埋め尽くし、花々は咲き乱れていました。フロドは周りのホビットたちの視線を気にすることなくサムの腕に手を回していました。夢であったように、です。サムはもうなんだか今日はこんな良いことばかりあってこれは夢だと思いました。しかしフロドに見えないようにぎゅっと頬をつねってみたところ、どうやらうつつのようでした。これほど痛かったのでは夢であるはずがありません。それでも
「夢みてえですだ・・・」
と、ついフロドに言ってしまいました。フロドはそれを見て、ふふっと笑いました。
「もちろん夢じゃないさ。それにもしそうだとしてもお前の夢ではなくてわたしの夢だよ。」
「へぇ?」
サムはフロドの言っていることが良く分かりませんでしたからあいまいな返事を返すことしかできませんでした。フロドは本当に幸せそうでした。
 

 木漏れ日の美しい小さな森に、二人は入って行きました。長い歳を経た大きな木々も梢からさわさわと小さな声をたてるだけで、二人を静かに見守っていました。フロドとサムの足元には少し背の高い細い草が勢いよく生えていました。その間のところどころにひっそりと野の花が見え隠れしています。二人は何も話さず、ただお互いに時々顔をみあわせて小さく微笑みあうだけでした。しばらく歩くとフロドのお気に入りの木が見えてきました。後にガンダルフが通る小道の脇の、あの木です。フロドはその木の下、一人で本を読んだり、考え事をしたり、パイプをふかすのがとても好きでした。もちろんサムもそれを知っています。ですからサムは今日もフロドの邪魔にならないようにと、周りに控えているつもりでした。しかしフロドはサムと組んだ腕を離そうとはしませんでした。
「おいでサム!ここでおやつでも食べよう。」
サムより先に座ったフロドはそう言うと、サムを木の下にぐいっと引き寄せました。わわっとサムが慌てた時はもうすでに遅かったようでした。サムのぽっちゃりした体はバランスを崩し、座っているフロドの上にかぶさるようにして転んでしまいました。
「すまねえこってす、旦那!」
サムは半ば叫ぶようにそう言いました。あわあわと急いで立ち上がろうとしましたが、フロドはそれを許しませんでした。
「庭とりんごのいい匂いがする・・・」
フロドはそう言ってサムの腰に腕を回して思いっきり抱きつきました。
「だ・・・旦那ぁ?!」
声がひっくり返ってしまったサムは目を白黒させてフロドを見下ろしました。フロドは目を軽く瞑り、うーんと深く息を吸い込みました。
「このまま昼寝をさせておくれ、サム・・・今朝は早かった・・・か・・・・・・・」
え?とサムが思ってフロドの顔をまじまじと見ました。するとどうでしょう。フロドはサムのお腹にその白い顔を押し当てたまま、すうすうと眠っていました。
「なんてこった・・・」
サムは困ったように頭をかきながらフロドを起さないようにそっと座り直しました。上から見下ろしたフロドの顔は満ち足りていました。白い頬はうっすらと桃色に染まり、長い黒い睫がその大きな目を覆っていました。うるおった紅の唇は魅惑的に少し開かれ、漆黒の巻き毛は無造作に耳からあごにかけてかかり、木の陰と相まってえもいわれぬ艶をかもしだしているようでした。サムはどきん、と飛び跳ねた自分の心臓をどうにか治めようとポケットからりんごをそっと取り出しました。そしてひとかじり、ふたかじりするうちに、フロドの規則正しい呼吸に引き込まれていきました。知らない間にサムの手からりんごが落ちました。ころころとかじりかけのりんごが転がっていきました。フロドは夢の中で、ああ、サムがりんごを剥いてくれているのだな、と思いました。

 木の下のホビットたちが目を覚ましたのはずいぶん遅くなってからのことでした。いくら暖かい日だとは言え、もう夕暮れも迫る時分でしたので、フロドは身震いをして起きました。すると木にもたれたサムの頭は垂れて、フロドの顔のすぐそこにありました。それに目の前にはかじりかけのりんごが転がっていました。サムの膝をまくらに、サムのお腹をクッションにして自分は眠っていたようだとフロドはこの状況を理解しました。フロドはぱっちりと目を開けて、まだ気持ちよさそうに寝ているサムを見つめました。もうこれ以上ないというくらいの笑顔で。そしてサムに気がつかれないようにそっと指でサムの唇に触れてみました。少しかさかさになった暖かい唇はフロドを惹きつけてやみませんでした。どれだけこの場でサムに口付けたいと思ったでしょう!しかし帰れなくなっては困ります。フロドはりんごを拾って一口かじり、そっとサムを起すことにしました。
「サム、サムや。」
フロドは起き上がり、サムの肩にそっと手をかけました。
「ぅん・・・」
とサムの口から寝言とも寝息ともつかぬものがこぼれました。今度はフロドがどきんとする番でした。それを胸に押し込めて、フロドはサムにさっきより大きな声でささやきました。
「サムや、帰ろう。」
しかし一向にサムが目を覚ます気配がありません。ですからフロドはふふっと笑いました。また例のちょっと意地悪いサムの起こし方をしようと思ったのです。
「サム!」
今度はもっと大きな声でフロドは言いました。
「湯浴みのしたくはできているのかい!?」
「はい!ただ今!」
サムはびっくりしてはっと顔を上げました。ついさっきまで、確かに主人は自分の膝で寝ていたはずでした。
「さあ、帰ろう!」
まだ状況が把握できない庭師と、嬉しそうな主人はまた腕を組んで帰路につきました。長い長い散歩でした。

「湯浴み・就寝編」に続く。