お茶の時間
これは長い長い旅の後、裂け谷でのレゴラスとギムリのお話です。
「ホビットたちは、こうやって一日に何回もお茶をするようだよ。」
そう言ってレゴラスはテーブル越しに、にっこりとギムリに微笑みかけました。ギムリの目の前には、いかにもエルフらしい細かく美しい細工のされた真っ白いテーブル。その上に載っているのはこれまた繊細な色彩が施された薄手のカップ。そしてそのカップと対になった模様の皿の上には、色とりどりの食べるのがもったいなくなるほど美しい菓子類。おまけにそのテーブルの向かいには、旅の最中ですら美しかった髪をさらに美しく纏め上げて、艶やかな笑顔をどういう訳かギムリに無駄に振り撒くエルフが一人。
「・・・・・・」
とりあえず返事に窮したギムリがいるこの場所は、裂け谷に残った秋色の木々に囲まれた美しいテラスなのでした。
ギムリは思っていました。どうしてこんな事になっているのだろうと。今日もフロドが目を覚まさず、ガンダルフやエルロンドは深刻な顔でいるし、谷のエルフたちですら、何となく主人らの気を察して静かにしていると言うのに、このエルフは一体何を考えてこんな事をやっているのだろうと。つまり、レゴラスはギムリをいつものように強引にテラスに引っ張ってきたかと思うと、菓子を用意させたり、あまつさえ目の前で優雅に紅茶なんかを飲んでいたりするのです。全くもってどうしたらいいのか、この誘いにのっても良いものなのか、ギムリは本気で困っていました。ですからギムリは恐る恐る、妙にご機嫌なレゴラスに話しかけました。
「・・・レゴラス旦那。あんた、こんな事をやっていていいのかい?他のエルフたちは何だか忙しそうなんだが。」
ふと、ギムリの目の中に浮かんだ疑惑と心配そうな色を読み取ったレゴラスが少し目を伏せて言いました。
「フロドの事かい?」
「ああ、そうだとも。」
良かった、ギムリは正直にそう思いました。このエルフはとんでもないところは多いけれど、仲間を大切にする気持ちは誰にも劣っていないのだと。自分に対する表現が極端なだけで、フロドの事を大事に思っているのだと分かったからです。でも、次の瞬間、根拠のない自信に眩暈がしそうになりました。
「大丈夫だよ。フロドはきっともうすぐ目を覚ますから。」
嫌に自信満々です。レゴラスの自信家っぷりにはもう驚かされないだろうと、旅の最中に何度もそう思いましたが、まだまだギムリの認識は甘かったようです。
「どうしてそう思うのだい?それに、あんたは随分楽しそうだけど。」
「そうだね。」
レゴラスは短く答えた後、カップをテーブルに置いて少しだけ考える格好をしました。
「何か、良い予感がするんだよ、ギムリ。きっと明日にでもフロドは無事に目を覚ますってね。そしてわたしたちにきっと笑顔を見せてくれる。ここにはエルロンドもガンダルフもいるんだ。それに暗い影はもうない。なくなったんだよ。ギムリまでそんな暗い顔をしている必要なんて、どこにもないよ。どうせなら、起きたフロドに心からの笑顔を見せてあげようよ。」
「だからって、これなのかい。」
思わず痛くなった頭を少し抱えてギムリが呟くと、レゴラスがこれまた嬉しそうに返事をしました。
「ああそうだよ、ギムリ。たまには小さい仲間にならってのんびりしてみようと思ってね。」
片目を悪戯っぽく瞑ったレゴラスの笑顔は、とても闇の森のエルフの、長い間生きてきた者のものとは思えませんでした。そしてつい、かねてから思っていた事を思わず口に出してしまいました。
「レゴラス・・・あんたは、本当は思い切り前向きなんじゃないのかね。」
するとどうでしょう。レゴラスは心外だと言わんばかりに眉をわざとらしくしかめて見せました。
「そんな事ないさ、ギムリの旦那。旦那が心配性なだけだよ。それに、そんな顔をずっと見せられる身にもなってごらんよ。」
「それはお前さんがずっとわたしの傍をうろうろしているからじゃないか。」
すると、途端にレゴラスがにっこりと、それはもう大輪の花が咲くような眩しさで微笑みました。
「そうだね、わたしはずっとギムリの傍にいるよ。それこそ、滅びの山にフロドと一緒に行った、あの小さな庭師殿のようにね。ずっと一緒に。もうここは旅の終着点なんだ。誰にも邪魔される事はないんだよ。わたしたちは、まだこれからの旅の約束があるから終わりじゃないけれどね。その旅が終わっても、ずっと旦那と一緒だよ。」
うっかりレゴラスの言葉に聞き入ってしまったギムリが、あんぐりと開いた口を閉じる事もできずその場で固まっていると、それを茶化すようにレゴラスがまた片目を瞑りました。
「それに君とただお茶をゆっくりしたいと、そう思ったからね。」
エルフの声は美しく、聞いているものを惑わせかねないのですが、一瞬冷静になったギムリがその言葉を反芻してみると、あまりに恥ずかしい表現の数々です。途端にギムリはたまらなくなって叫びました。
「もういい、もう分かったから!」
「え?」
まだ何か言い足りないのか、レゴラスはまだ口を開こうとしています。慌てたギムリはぶんぶんと首を振ってレゴラスを遮りました。
「もういいから!レゴラス旦那。勘弁してくれ!」
しかめっ面を通り越して、ほんの少し髭の間から覗く頬が染まっているのを見逃さなかったレゴラスは、ふう、と肩を大げさにすくめて諦めたように方眉をあげて笑いました。
「分かったよ、ギムリ。君がそう言うならやめよう。それよりも、さあ食べて飲もう。せっかくのお菓子がもったいないからね。」
うっと詰まったギムリだって、さっきから目の前の美しいお菓子には目が奪われていたのです。それに、実は甘いものが好きだという事だって、レゴラスにはバレているに決まっています。いかにもギムリの好きそうなものばかりが皿の上にあります。
「そ、それじゃあ・・・」
これ以上の抵抗をやめて手を出しかけたギムリに、レゴラスは笑いをこらえきれなくなって言いました。
「ほら、君だって食べたかったんじゃないか。」
「そ、そんな事はない!!」
「我慢しないでおくれよ、ギムリ旦那!」
「だから違う!」
しばらくそこには、レゴラスの軽やかな笑い声と、ギムリの低いうなり声が響いていました。
そしてその翌日、レゴラスの予想通り、フロドは無事に目を覚まし、ギムリを大層驚かせたのでした。
おわり |