8・南へ
旅の仲間が決定したからにはもうぐずぐずしていられませんでした。フロドは出発直前にビルボに呼ばれました。義父からフロドが受け取ったのは軽いエルフの短剣つらぬき丸と、ドワーフの王のミスリルでできた鎖帷子でした。
「着てみせてごらん。」
ビルボはそう言いました。フロドは身に着けてみようとシャツに手をかけるとそこにはあの指輪が光っていました。
「ああ、わたしの指輪だ。もう一度だけ、触ってみたい・・・」
フロドがビルボの異変に気がついてボタンをかけはじめました。するとどうでしょう!ビルボは恐ろしい顔つきでフロドに飛び掛ってきそうでした。怯えた顔でフロドが後じさりします。しかしビルボは次の瞬間もとの老ホビットに戻りました。そして泣きながら後悔でいっぱいになりました。フロドの方をもう見れませんでした。
「すまない、すまない!わたしはなんてものをお前に運んできてしまったのだろう!ああ、わたしの息子よ・・・。本当にすまない・・・」
ビルボはそう言って泣きました。フロドはただ義父の肩に手を置いて黙っていることしかできませんでした。
旅の仲間は裂け谷を去りました。サムは少し名残惜しそうにしていましたが、フロドの後ろに立って歩き始めました。ガンダルフが言うには、霧ふり山脈の西方にそって南へ40日間歩き続け、運がよければローハン谷を抜け、そこで東に向きをかえてモルドールへ行くという事でした。サムはもうすでに距離の感覚をなくしていましたので、首をふりふりフロドにこう言いました。
「フロドの旦那、おらはまたその霧ふり山脈とやらが火の山だと思っちまいましただ。よほどガンダルフの旦那は難しい言葉を使いなさる。」
フロドは地図の見方も知っていましたし、距離感もまだありましたので、サムのようにがっくりすることはありませんでした。霧ふり山脈の中腹、まだ雪のない広陵とした地までの旅は順調に進みました。まだ日の出は美しく、時にはマントを取ってその光を顔いっぱい浴びたりもできたのです。食事の回数はやはり(ホビットにとっては)少なかったのですが、サムも腕を振るってフロドのためになにか作ってやることもできました。
「どうぞ、フロドの旦那。」
サムはそう言って岩の上に腰掛けているフロドに昼ごはんののった器を渡しました。
「ありがとう、サム。」
フロドはそう言ってにっこり微笑みました。サムはこの瞬間が好きでした。このフロドの顔を見たいがためにボロミアが付けてくれると言った剣の稽古を断って、食事の係になったようなものでした。サムは自分の分も持ってフロドの隣に腰掛けました。少し下の広くなっているところでメリーとピピンがボロミアに剣を教えてもらっています。というよりは二人がかりでボロミアとじゃれあっているようにも見えます。アラゴルンは黙って笑いを浮かべていました。
「メリーの旦那もピピンの旦那もおらには遊んでいるようにしか見えませんが、フロドの旦那?」
サムは笑いながらそう言いました。フロドも思わず笑ってしまいました。
「ボロミアさんはよほど世話好きか世話上手なのだろうね。よくあの二人を相手にこんなに頑張れるもんだ!大きい人たちのことをわたしたちは考え直さなくてはいけないようだね。」
「そうですだ、フロドの旦那。おら旅に出てやっと分かりましただよ、馳夫さんもボロミアさんも本当によいお人ですだ。今さらやっとこ気がついた自分が恥ずかしいですだ。」
サムはそう言って鼻の頭をかきました。
「そんなことないよ、サム。」
フロドはサムの焼いてくれたウインナーを口に運びながらそう言いました。
「ホビット庄の大部分が気づいていない事をお前はちゃんと理解したのだもの。自分を恥ずかしがったりしてはいけないよ。」
サムは主人のやさしさが嬉しくて何も言えませんでした。
「それにしてもお前の食事はなんておいしいのだろう!」
フロドがそう言ってまたサムの頬を赤く染めたその時です。サムが空に何かを見つけました。
「あれは何でしょう、旦那方?」
サムはフロドの世話をしながらも誰よりも周りを周到に見張っていました。サムは今やホビットとして褒めてしかるべき存在になっていました。皆がサムの言った方を向きました。はじめは誰もがただの雲だと思ったのです。しかし様子が変でした。逆風なのにすごい速さでこちらに近づいて来ます。
「隠れろ!クレバリンだ!」
とっさにエルフの言葉で叫んだのはレゴラスでした。はっとして皆自分のできる事をしました。サムはフロドをアラゴルンに任せて火を消しました。それに惜しげもなく自分で作ったシチューまでかけてしまったのです。それを見てフロドはもったいない!と思いましたが後のまつりでした。もうサムはアラゴルンに疑いのまなざしを向けることはありませんでした。むしろ自分のできる事とできない事を悟って、そのように行動しているようでした。こういう時は大きい人たちに任せた方が主人は安全だと分かっていたのでした。
ちょうど皆が木の下や岩陰に隠れた時です。クレバリンこと大量の黒いサルマンのスパイが頭上を飛びぬけました。もう怪しき鳥たちはいなくなったでしょうか。サムはそっと自分の隠れた場所から出てきてフロドを探しました。仲間もフロドも無事のようでした。
「良かったですだ。お怪我はねえですか、フロドの旦那?」
もはや口癖になっているようにサムは言いました。
「大丈夫だよ、サム。ちょっとまだびっくりしているだけだから。」
そう言ってフロドは少しだけ微笑んでみせました。
「そりゃ良かったですだ。」
サムは安心したようにほうっと息をはきました。
「それにしてもお前のシチューは惜しかったよ。わたしはもっと食べておくべきだったんだろうね。」
フロドはそう言ってサムと小さく笑いあいましたが、側でガンダルフが怖い顔をしていました。
「とんでもないぞ、ホビットたち!もうこれからは火を使う事はできん。火か死か二つのうち一つを選ばねばならぬ時まではな。これでローハン谷も安全にわしらの前に入り口を開けてくれおる可能性はなくなった。ギムリの勧めるモリアの洞窟はできるだけ避けたいしの。今は昔とだいぶ様子も変わっておる。太古から地下深くに住む悪しき者達はわしでさえ手におえん場合がある。ならばカラズラスの峠を越えるしかないのじゃ。」
そういう訳で一向は白く吹雪くカラズラスの峠に向かって歩き始めました。サムは嫌そうな顔をしましたが黙って何も言いませんでした。
「カラズラスの峠」に続く。
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