7・暗闇
あれからどれほどの時間が経ったでしょう。フロドには、もう休んでいるのも眠っているのも登っているのも、全て同じ感覚としか感じられませんでした。サムを自らの手で置き去りにしたことで、フロドは自分の感覚も全てそこに置いてきてしまったような気がしました。頭が妙に冴え、冷え冷えとした考えばかりがよぎっては消え、消えては浮かんできました。しかし何かの死臭がなくなっていたと思われた感覚を呼び覚まし、フロドはふっと視線をあげました。
「さあ、ここだよ。」
そこは、暗いトンネルの入り口でした。
「ここは一体何なんだ・・・」
フロドの前には吸い込まれるような暗闇がありました。奥へ奥へと続くその道は、進むほど暗くなっているようでした。この中に比べたら、今立っている場所など、昼間の光で満ち溢れていると言ってもいいくらいのものでした。
「旦那さんは行かなきゃならないよ、トンネルの中へだよ、この道しかないんだよ。戻るか、行くしかないんだよ、どうする、どうするのよ。」
もちろん、フロドには選ぶことはできませんでした。進むしか、道はありませんでした。
「わたしはもう、戻ることなどできはしないんだ。」
フロドは、ゴラムに話しかけているのか、自分に語りかけているのか分かりませんでした。そして、想像もしたくないような発生源であろう悪臭の中、暗闇に向かって歩き出しました。肺までがその空気に触れた端から腐っていくような臭いの中、ゴラムがひょいと走ってフロドの前に出ました。
「早くおいでよ、こっちだよ。」
そして今までと変わらず、いえ、今までよりも活発に、ゴラムは前へと進んでいきました。フロドは必死で追いかけようとしました。しかし、下にある何かに足元をすくわれ、なかなか進むことができませんでした。そうしている間にも、ゴラムはどんどん進んでいきます。もう姿は見えませんでした。
「こっちだよ。」
フロドは、急に背筋がぞくぞくとなるのを感じました。急に、恐ろしさが何倍にも感じられました。
「スメアゴル、一体どこだい?それにこれは一体何なんだい?」
あらゆるところにネバネバしたものがありました。それがフロドの歩みを遅らせ、距離をますます離していました。それなのに、帰ってくる答えはこれだけでした。
「すぐに分かるよ、すぐにさ、そうもうすぐよ。」
汚い水蒸気がフロドの髪を濡らしていきました。湿った何か気味の悪い感触が足の裏にありました。そしてゴラムの声さえも、聞こえなくなりました。
「スメアゴル?スメアゴル!スメアゴル!!」
フロドが叫んでも、もう答えはありませんでした。フロドは、暗闇にひとり取り残されてしまったのでした。
フロドは、急に心細さに襲われました。そして、サムがいたらと思わずにはいられませんでした。
「ああ、サム・・・」
そう口にすると、どこか心が温かくなった気がしました。少しだけ、暗闇に光が感じられました。しかしよく見渡しても暗いトンネルしかありませんでした。そこには誰も、何もいませんでした。生ぬるい風に、何かが軋みをあげて揺られていました。よく見ると、それは何かの屍骸でした。
「ああっ・・・」
背筋が凍るような恐怖に、フロドは気がついたら走り出していました。もう、何がなんだか分かりませんでした。分からないということがさらに恐怖を増長させ、恐怖がさらに判断を誤らせました。そうしているうちに、フロドは転んで身動きがとれなくなってしまいました。涙が溢れそうに見開いた瞳で、動けずに震えるフロドが、ようやく立ち上がる気力を出して手を伸ばした先に掴んだものは、大きい人のものと思わしき骨でした。
恐怖から逃げるように思考が停止しようとした時、どこからか声が聞こえるような気がしました。それは、この場にもっともふさわしくない神々しいまでの響きを持ったたおやかな声でした。
『そしてフロド・バギンズ、そなたにはエアレンディルの光を。エルフの愛する星です。』
フロドは、ガラドリエルの声に導かれるように、今までずっとポケットの奥にしまいこんであったものを取り出していました。
『そなたの周りが夜で覆われる時、暗き場所で闇にのまれ、他の光がことごとく消え去った時、これがそなたのあかりとなりますように。暗闇に迷いすべての光が消えてもその光がそなたを照らすでしょう。』
フロドは、思わずエルフ語でこう言っていました。
「エアレンディル、星々の輝きをここに!」
一瞬、辺りは眩いばかりの光に包まれました。エルフの光が灯ったのです。しかし、それは良いことばかりを照らす光ではありませんでした。
その光の向こう側に大きな大きな蜘蛛が、そう、この洞窟の主シェロブがフロドを襲おうと待ち構えていたのでした。
「勇敢なる決意」に続く。 |