きのこケーキ
これはまだ、ホビット庄が退屈なほど平和だった頃のサムとフロドのお話です。
「そうだサムや。いい事を考えついたよ!」
ある日、フロドはそんな事をほとんど叫びながらサムが花の植え替え作業をしている裏庭にやってきました。作業の手を止めて、愛しい主人の声のする方向へ向き直ったサムは、内心少しだけ、ほんの少しだけうんざりしました。フロドはものすごく上機嫌そうで、しかも目が少年のホビットのようにキラキラと輝いています。いえ、フロドの見た目は、「持ちの良い」バギンズ家のホビットそのままで、年齢が分からないほど若々しいのですが。それはさておき、こんな風になっている時のフロドには注意が必要です。妙な嗜好のあるバギンズの旦那方にも負けず劣らず、フロドは突拍子もない事を、いかにも楽しそうに思いついてしまうのです。それは決まってサムを巻き込み、仕事を遅らせ、挙句の果てには心の底から疲れ果てさせてしまうような類のものが非常に多いのです。サム自身はそれを嫌だとは思いません。何しろフロドと一緒に楽しく、それがいくら下らないことであっても、面白くすごせる時間なのですから。しかし、こうも毎回だとさすがにほんの少しだけ疲れます。ですから、今日もサムはちょっぴり身構えてフロドに答えました。
「どうしましただか、フロドの旦那。」
ふうと額に浮かんだ汗を拭き、手袋をはずし、サムは走ってきたフロドの方へと向き直りました。
「いい事を思いついたんだよ、サム。」
そう嬉しそうに言うフロドの手には、採りたてと思われるマッシュルームが沢山のっていました。
「どうしたんですだか、それ・・・まさかまた・・・」
「そんな事、どうだっていいんだよ、サム。お前が気にする事じゃないんだよ。」
気にするも何も、それはきっと、どこかのキノコ畑から頂戴してきたものに違いありません。
「・・・あんのトゥックにブランディバックめが・・・」
ぼそっとつぶやいたサムの声は、フロドには届いていないようでした。いえ、たとえ届いていたとしても、フロドはそれを聞いていない振りをしていたのかもしれません。サムはあのトゥックの小さい旦那とブランディバックの旦那が主人に悪い遊びを教えたのだと信じて疑わないのでした。真偽のほどはともかく、フロドはそんなサムにはお構いなしに話を続けました。
「わたしは今までこんな簡単な事にも気がついていなかったんだよ!全く、自分を呪いたくなるくらいだ!」
いったい何を思いついたと言うのでしょうか。呪うだなんて、尋常ではありません。よっぽど大事な事かと、いつもの心配は要らなかったかとサムが半分ホっと、半分真剣になりかけたところでフロドがとんでもないことを口にしました。
「ねえ、サムや。キノコでケーキを焼いたらいいんだよ!」
「・・・はぁ・・・」
一瞬、サムはフロドが何を言っているのか分かりませんでした。思わずぽかんと口を開けてしまったサムに、フロドは続けました。
「お前の焼いてくれるケーキは最高だよ。それにキノコ料理も。だったら、キノコを使ってケーキを焼いたら、美味くならない訳がないだろう?」
「・・・・・・」
とりあえず、ちょっと頭痛のしたサムは、額を手の平で押さえてその場にうずくまりました。もちろんフロドは驚いてサムに駆け寄りました。そしてサムの予想していなかった事ですが、サムの背中をそっと撫でたのでした。
「どうしたんだい!サムや!どこか具合が悪いのかい?それとも、何か悪いものでも食べたのかい?」
何か悪いもの、それは旦那の作ろうとしているものですだ、とはとても言えず、サムはそっと顔を上げました。するとどうでしょう。サムの顔のすぐそばに、フロドの美しい瞳があり、サムは思いもかけずその透き通るような目を間近で見る事となってしまったのです。
「わぁっ!」
思わず声をあげてフロドから飛びのいてしまったサムに、フロドは今度こそ本格的に心配そうになって訊ねました。
「どうしたんだい!本当に具合が悪そうだ。顔も赤いし、汗だってかいているよ。サム、もう仕事はいいから休むんだ。」
「い、いえ!おら、そう言う訳じゃねえんで・・・」
「でも・・・」
すると少しだけ考えてフロドがまた何か思いついたようにぽんと手を叩きました。
「そうだよ、サム。お前は屋敷のベッドで少しお休み。わたしがお前のために、キノコでケーキを焼いてあげよう。そうだなぁ、それに・・・」
なおも何か言おうとするフロドを押しとどめて、サムは叫びました。フロドの料理ですって!とんでもありません。しかもキノコケーキです。これだけは、いくら主人の頼みであり、友愛のしるしであり、心からの親切であっても断らなくてはなりません。もしかすると命に関わるかもしれません。ですから、サムはぴょいと飛び起き、そして言いました。
「旦那が作るですって!とんでもねえ!おら、元気ですだ。この通りですだ。ほら、もう何にも悪いところなんてねえですだよ!それに、ケーキならおらが焼きます。でも、キノコは、もっと美味い事に使いましょうや。」
「・・・そうなのかい?」
少し疑わしそうな目でフロドがサムを見ました。キラキラしていて心なしか潤んでいます。しかしこの目に騙されてはいけません。ですからサムは、必死に訴えました。
「待っててくだせえ。ちょうど庭の仕事もこれで終わりですだ。おやつにうまいケーキを焼きましょう。そんで、キノコは是非夕食のつまみにでもしましょうや。」
サムがあまりに息せき切って言うので、フロドはしぶしぶ諦めたようでした。
「分かったよ、サム。お前がそこまで言うのなら。」
そう言ってくるりと屋敷の方へ踵を返したフロドには、サムの明らかにホっとした表情は見えていませんでした。
「じゃ、今お茶を入れますだよ。」
「・・・うん。」
少しだけフロドの背中が寂しそうに見えたのは、サムの気のせいにする事にした瞬間、フロドがサムの方へと勢いをつけて振り向きました。
「じゃあ、今度お前が仕事をしているうちに、わたしが作って待っているよ。仕事終わりにお前が食べられるようにね!」
フロドの目はまたどうしようもなく輝いており、サムの顔からはサーっと血の気が引いていました。そしてサムはその場に縫いとめられたように動けなくなってしまいました。
お屋敷の中からはフロドの鼻歌が聞こえ、空は晴れ、庭の木からは小鳥のさえずりが聞こえていました。今日も平和なホビット庄なのでした。
おしまい |