12・カザド=ドゥムの橋

 

 とうとう一行はカザド=ドゥムの橋までやってきました。しかしそこに現れたのは外へ出る希望ではなく、穢れた火のバルログでした。
「逃げろ!」
そう言ってガンダルフは一人で橋の中腹にとどまりました。
「ガンダルフ!」
フロドが叫びましたが、もうガンダルフは立ち向かっているところでした。ガンダルフのもっていた杖からの白い光がさらに強まったように見えました。バルログの炎の鞭もその光を砕いてガンダルフを傷つけることはできませんでした。
「闇へ戻れ!決してここは通さん!」
まばゆいばかりの光が辺りを照らしました。崩れ落ちた橋と一緒にバルログも奈落の底へ落ちたはずでした。誰もが希望を取り戻していました。ガンダルフが皆の方へ向き直った時です。バルログの最期の鞭の一振りがガンダルフの足をすくったのです!ガンダルフは最後の言葉をどうにか端にしがみついて言い、そして悪鬼と共に暗闇へ吸い込まれていきました。
「逃げろ、ばか者ども!」
そう叫んだ時は、すでにかれの姿は見えなくなっていました。
「ガンダルフ!嫌だ!」
フロドはガンダルフのいた橋へ戻ろうとしましたが、ボロミアに後ろから掴まれて引っ張られました。フロドはもう一度叫びました。隣ではサムがすすり泣いているのが分かりました。
 

 こうして旅の一行はもう二度と感じる事ができないかと思われた外の空気を肌に感じる事ができました。しかし誰もが悲愴に打ちひしがれていました。ピピンはメリーと抱き合って泣いていました。サムは一人で座って泣きました。ボロミア、レゴラスにギムリも座り込んであの魔法使いの死を悼みました。今やアラゴルンが先導者でした。
「レゴラス、彼らを立たせるんだ。」
アラゴルンは静かに、しかし強くそう言いました。
「悲しむ時間もないのか!」
ボロミアはホビットたちの心を代表してそう言っているようでした。しかし彼らには本当に悲しむほどの時間もなかったのです。今すぐここを離れなければ、今に夜になりモリアのオークたちだけでなく、サルマンのワルグや地上のオークたちまで襲い掛かってくるでしょう。アラゴルンにはそれが分かっていました。
 

「早くロスロリアンの森に行かなければならない。ギムリ、レゴラス、みんなを立たせるんだ。サム、立つんだ。フロド?」
アラゴルンは一人立ち尽くし、モリアの方をじっと見て背を向けているフロドに声をかけました。フロドは今にもどこかへ言ってしまいそうに見えました。
「フロド!」
強いアラゴルンの口調に、フロドは顔を向けました。その時サムが見たものは、美しい主人の涙でした。白い頬を大粒の涙が一筋すっと流れ落ちました。悲しみに顰められた眉と目が、言い尽くしがたいほど美しかったのでした。サムはよろよろとフロドの側に歩み寄りました。フロドは涙を拭おうともせずに、ただ近づいてきたサムをそのきれいな青の瞳で見つめていました。しかしその瞳には何も映っていないようでした。ただ、深い深い悲しみに溺れている様に見えました。他の者は黙ってその様子を見守るしかありませんでした。サムの目も涙でいっぱいでした。サムはフロドに寄ると、正面からかれをぎゅっと抱きしめました。
「旦那、フロドの旦那。おらがここにおります。どうか帰ってきてくだせえ。」
サムにはフロドがこのまま悲しみの世界に引き込まれてしまうように思いました。抱きしめた主人の身体はホビット庄を出た頃とは比べ物にならないくらいやせて細くなり、もう少しサムが力を入れたら簡単に崩れ落ちそうでした。
「フロドの旦那、おらたちは行かねばなりませんだ。馳夫さんについてロリアンちゅう所までまず行かねばならねえですだ。ガンダルフの旦那のように遠いところへいかねえでください。おらはフロドの旦那のお側を決して離れたりしませんですだ。決して。おら、ずっとここに、フロドの旦那のおそばにおりますから、どうか戻ってきてくだせえ。」
そう言ってサムがこぼした涙がフロドの頬にかかりました。その暖かさに、フロドはふっとサムの存在にやっと気がついたように腕をサムの体に回しました。
「ありがとう、サム。」
小さくかすれる声でフロドはそう言ってサムをそっと離しました。
「ありがとう。」
今度ははっきりと言ってサムのまだ涙で濡れた目を見ました。
「お前と一緒にわたしは行こう。ロスロリアンに。奥方様の森へ。」
サムはそんなフロドを抱きかかえるように皆の方へ連れてきました。
「行きましょう。」
そうアラゴルンに言ったフロドの声はもう、悲しみに溺れた者のそれではありませんでした。

「ロスロリアンの森」に続く。