16・イシリアンで

 

夜中歩いて昨日より明るい昼の光がさしてきました。ゴラムはもっと進むつもりでしたが、どうせっついてもやはりフロドには辛かったようでした。フロドは小道に入ると、サムの腕からくずおれるように倒れこみました。
「おい、お前、旦那は休まなくちゃなんねえ!今日のとこはここらで止まるだよ。」
サムはフロドの腕を取り、安全な場所を探しながらゴラムに声をかけました。すると了解したのでしょうか。ゴラムは何も言わずに、どこかに姿を消しました。
「さて。」
サムは一息ついてフロドと辺りを見渡しました。サムが思うに、この場所は今までよりずいぶん安らげる地のようでした。時から忘れ去られた古代の遺跡が路に散らばり、今朽ち果てようとしていました。そこは静かで草木がひそかに茂り、清らかな小川が音を立て、山陰ではあるものの生命の声であふれていました。
「旦那は鍋からよそったなにか熱い料理が必要だ。」
サムはフロドを見ながらそう言いました。フロドの顔は少し青ざめて見え、ホビットらしい頬の赤みはありませんでした。そしてサムは自分もあったかい食べ物を熱望し始めていたのでした。周りを見れば、じつに様々な植物が茂っているのでした。サムに分かるだけでも(と言ってもサムは立派な庭師です。サムに分からない植物はきっとホビット庄にもない植物なのでしょう。)タマリスクにテレビン、オリーブに月桂樹の木立や茂みがありました。それからミルトにタイム、セージにパセリまでありました。それにサムの知らない香り草がたくさんありました。その間に散りばめられた花々は小さくとも美しく、サムはしばしこの暗い時代と使命を忘れることができました。
 

しかしそれもつかの間でした。サムはフロドを座らせて、水を汲んだり、色々な植物にさわったり匂いをかいだりして食べられるかどうか調べているうちに、旺盛なこの植物の下にあるものを見つけたのでした。それはまだそう古くない焼け焦げた跡と、ばらばらになった骨や頭蓋骨でした。サムは死者の沼地の時よりもずっと、ぞっとして手をひっこめました。蔦や蔓がそれらを多いつくし、美しい緑が広がっている分、余計にそれは恐ろしいものに思えました。
「旦那、横になれるところを見つめましょうや。もっと高いとこに。行けますだか?」
サムはそっとフロドにそう言い、フロドは黙ってうなずきました。フロドは微笑もうとしましたがそれは無理でした。しかしサムにはそんな主人の気持ちが痛いほど分かりました。
『旦那が笑えないならおらがかわりにいくらでも笑いますだよ。』
サムは自分の中でそう呟くと、そっとフロドに微笑んでみせ、腕を取って少し歩き出しました。
 

しばらく行くとサムは去年の羊歯がふかふかになっている場所を見つけました。そこにはちょうどもたれられるようなものもありました。ゴンドールの美しき庭、イシリアンの忘れ物でした。サムはフロドを風化しかけた石の像にもたれかけさせ、先ほど汲んだ冷たい水とレンバスを二、三口食べさせるのが精一杯でした。フロドは口にそれを含みながらも休息たる眠りに落ちてゆきました。サムはそんなフロドをじっと見つめていました。山陰に遮られながらもかすかに届いた朝日が木々の間から漏れ来るだけの光しかありませんでしたが、サムは主人の顔をまざまざと見ることができました。そして横に投げ出された白く細い手も見えていました。サムは突然、裂け谷にいた頃のフロドを思い出しました。まだフロドがモルグルの傷から回復しきらず、エルロンドの館で眠り続けている時の様子を思い出したのでした。サムはあの時ずっと主人を看取りながら、かれの身体から時々光が射すように感じたものでした。今ではそれがいっそう鮮明になり、光は白いフロドの肌を透けて外へとやわらかく射しているようでした。眠るフロドの顔は安らかでした。恐怖も苦しみも、何もかもから解き放たれた静かな表情でした。しかしその顔は年老いて見えました。それなのにたいそう美しいのでした。しかしフロドに何か変化が起こっているわけではありませんでした。かと言って、サムがそう思い込んでいるのでもありませんでした。サムは自分の言葉が役に立たないのを悟っているようでした。そして首を振り、フロドに触れることなく小さく呟いたのでした。
「おらは旦那が好きだ。」
そしてそっとフロドの頬にその働き者の手をあて、もう一度フロドを見つめなおしてさらに小さな声で言ったのでした。
「旦那はこうなんだ。おらにはよく分からねえけど、旦那はときどき光が透けて見えるように綺麗なんだ。だがよ、サム。お前が言いてえことはそうじゃねえ。旦那がどうであれ、おらは旦那が好きだよ。」
それは、サムの真実の声でした。

「兎のシチュー」に続く。