7・フロドの決心
サムが目を覚ますと空は仄かに明るくなっていました。しかしそれは朝の光ではなく、夕暮れ前の光だということにサムは突如として気がつきました。そして思わずがばっと飛び起きました。全身の疲れは随分取れ、そしてお腹も減っていたことから、サムはぐっすりと昼間中眠っていたことを悟りました。サムのすぐ隣にはフロドがまだぐっすりと眠っていました。その顔は安らかで、相変わらず何か不思議な美しさが漂っていました。しかしサムはフロドに見とれている場合ではないことに気がつきました。どうやらふたりともまだ生きてはいますが、ゴラムがそこらにいませんでした。
「かわいそうに、あいつどこへ行っちまったんだろう。」
サムは少し良心がとがめて、小さくそう呟きました。するとそう遠くない上の方からあの声が聞こえたのです。
「遠くへいかないよ、わしら行かないよ。わしら腹減ったのよ、すぐ戻るよ、すぐよ。」
そう言ってゴラムは姿を消しました。
「おーい!戻ってこい!」
サムはそう言いましたが、もはやゴラムは見えなくなっていました。フロドがサムの声で目を覚ましました。まだ眠たそうに目をこすりながら、サムの方を向いて言いました。
「おはよう、サム。ゴラムは大丈夫だろう。まだここにあいつのいとしいしとがある。あいつはいとしいしとを置いてどこかへ行ったりしないよ。今は何時ごろだい?」
そこでサムは頭の中にある膨大な罵りの言葉を自分に向かって浴びせかけ始めました。旦那に安心しろと言ったのに自分も眠りこけていたのですから。
「こらこら、サム!そんなに自分を責めちゃいけないよ。お前だって疲れ切っていたんだもの。休まなきゃいけなかったんだよ。それに悪いことは何一つ起こっちゃいないよ。ふたりとも休めたんだから、大丈夫。これからの道のりは辛いのだから。」
「そのことですだ、フロドの旦那。」
サムは優しくそう言う主人に向かって感謝しながら、でももう次のことを考えて真剣に話し始めました。
「食べ物のことですだ。この仕事をやっつけるには一体どれくらい時間がかかるんでしょうか。このレンバスは凄いもんですだよ。おらたちの足を無理やりにでも動かせるくらいの力は出してくれるんですから。でも多めに見てもこりゃ三週間分くらいしかねえでしょうよ。そりゃ今まではちょいと気前良く食べ過ぎましたから、それよりゃちょっとばかし軽く食べるとしてですだ。それにその仕事をやっつけたあとはどうなるんでしょう。とてもその後までもつとは思えねえですだ。おらたちの考えなきゃなんねえことはそこにもあるんじゃないでしょうか。」
するとフロドは笑顔をすっとしまい、サムをまっすぐに見て話しはじめました。しかしその顔には安らぎと悟りが漂っていました。
「それには・・・それを成し遂げるにはどれくらいかかるのか、わたしには分からないよ、サム。」
フロドは一旦言葉を切り、目の前に座る愛しい茶色の目をその心の奥まで見るように見つめて続けました。
「サム、ああサム。思慮深きサム・ギャムジー、わが親愛なるホビットよ。――ほんとだよ、サム。友の中の友、わが最も親愛なるホビットだよ、お前は――わたしはその後のことは考える必要がないと思うんだよ。お前が言うように、その仕事をやっつける望みは果たしてあるのだろうか。また仮にやっつけられたとしてもそれがいったいどんなことになるんだろう。誰にも分からないんだよ。もし一つの指輪が滅びの山に投げ入れられたとして、わたしたちもそばにいたら?どう思うかい、サム。わたしたちはその時に食べ物を必要とするだろうか?いや、わたしは必要ないと思うのだよ、サム。わたしの足に力があって、わたしをそこまで指輪を運んで行くことができたら、それだけで十分だと思うのだよ。それで十分なんだよ。いや、それだけでもわたしの力に余るのだと、わたしは感じているのだよ。」
そう言ったフロドは少しだけ悲しそうにそう言いました。しかしそこには決して崩れない決心があったのでした。フロドはもう分かっていました。この使命は自分の命と引き換えなのだと。しかし指輪の持ち主を捨て身で助けようとするサムの決心が揺らぐことのない限り、フロドはその孤独なたびにひるむことはないと感じていたのでした。たとえ指輪が重く耐えがたくなり、かれの力を徐々に奪って地面に引きずり倒そうとしても、それは曲げることのできないフロド自身のまっすぐな意思なのでした。サムは主人の中にそんな気持ちを見つけました。ですからサムにできることは、黙ってうなずくことだけでした。そしてサムはフロドの手を取り、その上に身を屈めました。フロドの手の上に、サムのきれいな涙がはらはらとこぼれ落ちました。サムはその手を壊れないようにそっと包み、その上からそっと唇で触れました。
「ええ、旦那。ええ、フロドの旦那。おらもご一緒しますだよ。どこまでも、どこまでもあなたと。」
小さく、小さく呟きました。
そしてサムは、そんな自分の顔をつとそらすと、袖で鼻をこすり、ぐいっと目をふいて立ち上がりました。サムは懐かしい曲を口笛で吹こうとしましたがそれも咽喉の奥に詰まってとうとう出てきませんでした。そして出てきた言葉は「あのいまいましいやつはどこに行っちまったんだ。」でした。実際ゴラムはすぐに戻ってきました。何かを口に入れ、くちゃくちゃと噛んでいました。しかしサムにはそれが何であるか考えるのも嫌な気がしました。
「死者の沼地」に続く。 |