Hot Springs

 

旅の仲間が裂け谷を出て何日か経ったある寒い日のことでした。まるで雪でも降りそうな道を一行は黙々と歩いています。もうそろそろ陽もかげり、野宿する場所を探さなければならない時間でした。
「あ〜あ、今日も野宿かぁ。」
お腹もすき、歩きつかれた足を引きずりながらやはり今日もピピンが一番にそうこぼしました。
「仕方ないだろピピン。こんな所に緑竜館があるわけじゃなし。」
そう言ってピピンをなだめるようにメリーが言った時です。今まで何もしゃべらずに先頭を歩いていたレゴラスが何かに気がついたように耳をそばだて、目をきょろきょろさせて言いました。
「何か不思議な雰囲気を感じる。」
ギムリはそんなエルフを胡散臭そうに見ました。エルフという種族は、人間やドワーフなどには分からない何かを感じる力があるらしのですがギムリはそれを信じていませんでした。特にこの何かにつけギムリを付け回すエルフの事は全くもって信じられませんでした。
「本当だよ。」
ギムリが何も言っていないのにレゴラスはそう言ってさっとギムリの手を取りました。
「ほら!こっちさ。」
「おいおい、待ってくれ!」
ガンダルフが言うのも構わずレゴラスは傍らのドワーフを引っ張ってずんずん暗くなりかけた道を進んでいきました。こうなっては仕方ありません。残りの仲間も顔を見合わせてレゴラスとギムリの後を追いました。

 

 一行がレゴラスにやっと追いつくと、そこにはへとへとになったギムリと、不思議な服を着た中年の女の人がにこやかに立っていました。真っ直ぐで黒い髪の毛に、黒い瞳、黄色っぽい肌をしたふっくらとした人間のようでした。そしてその後ろには、どう見てもエリアドールでは見た事のない、これまた不思議な建物が建っていました。木製の壁に、焼き物でできた屋根がどっしりと乗っかっています。レゴラスは満足そうにその建物を見ていましたが、一行はびっくりしてぽかんと口を開けていました。
「霧ふり温泉にようおいでんさったなも〜。わたしゃここのおかみですわ、なんでもきいたってえな。ゆるりとおくつろぎんせえ。」
するとその女の人が満面の笑みで、そんなちょっと難解な言葉をしゃべりました。
「オカミ?」
アラゴルンは首をひねってこの言葉は何語だろうと考えましたがよく分かりませんでした。しかしどうやらこの建物は宿屋だという事だけはわかりました。なぜこんな所にこんなものがあるのかという疑問はさておいて、疲れ果てたホビッツとはしゃいでいるエルフとそれに引きずられたドワーフが入口らしき四角い変わった戸をくぐりました。
「ああっ!そんな用心もせず!」
ボロミアが慌ててそう言いましたがもう後の祭りでした。中に入ってしまった6人はそのオカミと同じような前袷の服を着た人々に靴を脱がされ、平べったい履物を履かせられていました。家に入るのにどうして靴を脱いで違う履物を履かなくてはならないのか、ホビットたちには全くもって理解できない事でしたが、
「さ、はきゃー。」
という不思議な勧誘の言葉に逆らえず、それを履いて上にあがりました。
「ああ・・・もう、知りませんぞ!」
そう言ったボロミアの顔にも、この雰囲気に勝てないという諦めの表情が出ていました。温泉という単語を聞き取ったアラゴルンとガンダルフはまあよいかと言って顔を見合わせて肩をすくめました。

 

 さてさて9人が通されたのは四角い木の枠にはまった紙の戸があり、草を編んだような敷物が隙間なく敷かれた広い部屋でした。
「わぁっ!すごいよメリー!」
早速荷物を部屋の隅に放りだしたピピンが大きな紙の戸を開けて人数分の服を引っ張り出しました。
「さっきの不思議な大きい人たちが着てたのと同じだ!」
(それは浴衣でした。)大きいのから小さいのまでいろいろあります。そういえば先ほど廊下で見た人たちも皆、同じ服を着ていたように思いました。ピピンは自分の服をさっさと脱いで(袷が間違っているのですが)それに着替えました。メリーも同じようにならいます。
「ピピン!それじゃぁさっきの人たちと違うよ!」
するどく観察していたメリーがそう指摘し、二人はきゃっきゃとはしゃぎながらお互いに着せ合っこしはじめました。サムはピピンが出したうちの一枚を取ってフロドに着せてやろうとしました。
「ありがとうサムや。似合うかい?」
そう言ってフロドはにっこり笑って振り向きました。それはもう見返り美人図もまっさおな美しさで。それもさておき、さすがサムです。びしっと着付けてやる事ができたようです。腰に捲いた布でできたベルトみたいなものが、(帯ですが)フロドの腰の細さを強調しているようで目の保養になりました、もとい、かなりはまった格好になりました。
「旦那は何を着ても似合いますだ。」
そう言ってサムも笑いました。
「そうかい!嬉しいよサム!お前も着てみたらどうだい?」
今日もやっぱりやってられないほどのらぶらぶっぷりの二人でした。

 

 そんなホビットたちを見ながら、ガンダルフとボロミアにアラゴルンはやたらと低いテーブルを前に座りました。レゴラスは浴衣を羨ましそうに横目で見ながらギムリの様子をうかがっています。
「・・・・・・」
じいっとした視線に耐えられなくなってギムリが口を開きました。
「羨ましいんならあんたも着替えればいいだろうが!」
「そう?わたしが着ても似合うと思う?」
目をきらきらさせてレゴラスが言いました。ギムリはただでさえ眩しいエルフの顔が、さらに眩しくなった様に思い、さっき引きずられていった事など忘れてつい
「あんたなら何でも似合うだろうよ。」
と言ってしまいました。ここで、哀れ今日のドワーフの運命が決まってしまったようなものでした。
「ありがとう!わたしの可愛いギムリの旦那!ギムリも着てみようよ!」
しまったと思う間もなく、ギムリは捕えられ、レゴラスに着替えさせられました。くそう!とやけになったギムリがやけにうれしそうなガンダルフとアラゴルン、さらには嫌がるボロミアまでもを巻き添えに、どったんばったんとお着替え時間は続きました。

 

そしてしばらくすると、部屋には浴衣姿のご一行様が出来上がりました。どうです、嫌がっていたボロミアも、乗り気のお茶目なガンダルフに、渋く決めているアラゴルンも似合っているではありませんか。はぁ・・・とため息をついてボロミアもなんとか落ち着いたようです。そして変わった味のする渋い飲み物――『茶』と書いてある缶から取ったのですが誰にもその字は読めませんでした――と、そのテーブルの上にあった「霧ふり温泉名物・霧ふりまんじゅう」と書かれた甘いお菓子をみんなは食べ始めました。これも旅館の楽しみの一つなのですが、そんな事は知らない旅の仲間は何でこんな所にこんなものが置いてあるんだろうね?と口にしながらも、ありがたく平らげました。

 

 お菓子がなくなると、とたんにピピンは落ち着かない様子になりました。
「ねえ!温泉があるんだよね?ガンダルフ!」
さっきそんな事を聞いたような気がしたのでピピンがガンダルフにたずねました。
「ああ、どうやらここは温泉付きの宿のようじゃ。」
そう言うか言わないかのうちに、ピピンはメリーを引っ張り、タオルのような布だけを持って部屋を飛び出しました。
「あの二人を見てごらんよ。」
「ああ、全くお二人とも・・・」
そう言って笑いながら、サムとフロドも二人を追いかけました。それにさらにレゴラスとギムリも続きます。全くもって賑やかな一団なのでした。

 

  さて、部屋に残された魔法使いと人間二人は茶をすすりながら顔を見合わせて笑い出してしまいました。
「ああ!なんておかしいのでしょうな!」
ボロミアが湯のみと呼ばれるコップを机に置いて少し困ったように笑いました。
「あれがホビットというものなんじゃよ。わしにもまだかれらの全部は分からんからな。」
二杯目の茶をつぎながらガンダルフが言い、アラゴルンも楽しそうに答えました。
「それにしてもレゴラスもあんなにはしゃいで。われらとどちらが長く生きておるのか分かりませんなぁ。」
「賑やかなみなさんが行ってしまわれた。われわれはのんびりするといたしましょうか。」
「そうだな、たまには静かなのもよいだろうボロミア。それともお守りする小さい人がいなくて心配でたまらぬのか?」
「そんな事ありませぬぞ!」
「まあまあ、サムに任せておけば大事は起こるまい。ちょっとの休息ぐらいよいじゃろうて。」
「そうですな。」
はっはっは。と和やかに笑いあう三人の頭からは、強制連行されたギムリの事はすっかり抜け落ちていました(合掌)。

 

さてこちらはアイゼンガルドのサルマンです。かれはパランティアをじぃっと、いつもに増して真剣に覗き込んでいました。そこに映るは・・・なんと一行の泊まっている宿です。何ということでしょう!こんなところまでも敵の手が!・・・と、そういう訳ではなさそうです。よく見るとサルマンの口元は緩んでにやにや笑っているようでもありました。
「ガンダルフはどこだ・・・」
そうです、サルマンはパランティアで愛する(?)ガンダルフの様子を覗き見していたのです!そんなことも露知らず、ガンダルフはのんびりとお茶をすすっていました。ところがサルマンの見たものはまず温泉でしたのでガンダルフは見れませんでした。パランティアには楽しそうなホビッツとはしゃぐエルフとぶすっとしたドワーフしか見れませんでした。
「あれがガンダルフの大切な旅の仲間か。」
そう思うとサルマンは嫉妬に燃え上がるのでした。ガンダルフも入っていないような温泉にはもう用はありません。パランティア接続代(あるのか?)がもったいないサルマンは、腹癒せにその場所に雪を降らせようとオルサンクの屋上に上りに行きました。

 

 さてさて温泉に戻りましょう。ホビッツにレゴラスとギムリは夕飯前に軽く大浴場で旅の汚れを流そうと思いました。露天風呂は食後のお楽しみです。ところが屋内だからと言って霧ふり温泉をバカにしてはいけません。人間にも十分な広さの風呂場には黒く大きな岩が敷き詰められ、湯気はもうもうと立っています。小さな滝や不思議な形をした大きな釜がいくつも並び、その奥にはプールとでも呼べばいいような大きな風呂がありました。浴衣をばっと脱いで素っ裸で早速走り出したのはもちろんメリーにピピンでした。
「やった!広いぞピピン!」
「泳げるかな!」
二人がそう言っているのを聞くか聞かないかのうちに、ばっしゃ〜ん!とすごい水音がしました。二人が一番大きな風呂に飛び込んだのです。きゃぁ〜、わぁ〜、と歓声が聞こえます。
「・・・・まったくしょうがねえですねぇ、フロドの旦那。」
サムが苦笑しながらフロドに言いました。
「ははは、そうだねぇ、サムや!」
そう言ったものの、フロドの目は楽しそうです。フロドとサムは腰に先ほど部屋で見つけた薄い生地の布(テヌグイとオカミは言っていました)をまいて手を取り合ってカラカラと風呂の入口を開けて入っていきました。
「お湯で滑ります。お気をつけて。おらにつかまってくださせえ。」
「うん、ありがとう。」
ここに他の客がいなくて幸いでした。もしいたらメリーとピピンの水しぶきとサムとフロドのいちゃつきっぷりに無事には出てこれなかったでしょうから・・・。

 

 そんなホビッツを見てレゴラスは必死にギムリの浴衣を脱がせようとしました。レゴラスはど〜うしてもギムリのふかふかのおひげが洗ってやりたかったのです。そしていい匂いのするであろうそのおひげに顔を埋めてみたかったのです。ところがドワーフはそもそも風呂が好きではありません。風呂に入るのさえ億劫ですのに、さらにこのエルフがきらきらと目を輝かせながら隣にいるなんて、ごめんでした。どうしてこのエルフは自分のひげをそんなに洗いたいのか、さっぱり分かりませんでした。
「や〜め〜ろぉ〜!」
ギムリの叫び声も空しく、レゴラスの勝利は目前でした。つまり、そのほんの数秒後にはレゴラスにずりずりと引っ張られて一つの釜に入れられたドワーフの様子が見られました。

 

 ばっしゃんばっしゃんとすごい音を立てながらメリーとピピンが大浴場を横切って泳いで(?)いました。ホビットにしては珍しく、二人は(形はどうあれ)沈まずに泳ぐことができました。とてもサムにはできない芸当でした。
「ほら、サムも来ればいいのに!」
ピピンはそう言いましたがサムは頑なに拒否してフロドの側に控えていました。そのうち二人は泳ぎ飽きたのか、お湯の掛け合っこまでし始めました。
「こんな風呂に入っちゃいれねえ!フロドの旦那!上がりましょう。おらがお背中流しますだよ。」
「そうだねぇ!まったく困ったトゥックにブランディバックだ!」
そんな事を言って、二人はぴたぴたと風呂の石の床を歩いて水しぶきの害が及ばないところまでやってきました。ここでサムとフロドが仲睦まじい背中の洗いっこをしたなどということは、わざと知らんふりをしているメリーとピピンに免じて触れないことにしましょう。

 

 そんなこんなで時は穏やかに過ぎていきました。そして釜茹でドワーフが出来上がりつつある頃、部屋にはそろそろ夕食が運ばれてくる時間でした。オカミをはじめ、その宿の人々が指輪御一行様の部屋に次々とおいしそうではありますが、見たこともないような食事を運んできました。麦のようですがもっと白くもっとやわらかいコメとかメシとかいうものの詰まった木の器に、アカミソとかいうもので味付けした変わったスープ、信じられない事に生魚のサシミとかいうもの、さらにはホウバミソやらテンプラやらアユという変わった魚の塩焼きやら一人用の鍋にはいったキノコとサンサイやら、とにかく訳の分からない料理が一人分ずつ用意されました。量は(ニホンジン用の量だとオカミは言っていました)少なめだと思われますが、とにかく今までの旅でかなりひもじい思いをしてきた一行にはご馳走でした。さんざん風呂場で騒いでいたホビッツもエルフに洗われていつもの3倍ぐらいに膨れ上がったひげをさすりながら真っ赤に茹で上がったドワーフも、やけに嬉しそうなレゴラスも帰ってきたようです。さあ、宴会の始まりです!

 

 つらい旅や、とんでもない冒険というものは後で物語やお話になるのですが、楽しくおいしい思い出というのはなかなか語り辛いものがあるようです。とにかく、一行は宿屋が用意してくれたご馳走をあっという間にたいらげてしまいました。しかしかれらはあきれるほど何回も何回もおかわりをしたので十分お腹がいっぱいになったようでした。もちろん大食いホビッツの胃袋のせいで宿屋のかまどと厨房はてんてこ舞いでしたが。仲間たちはこの変わった料理がとても気に入ったようです。中でも特にコメでできたお酒と、気持ち悪いはずのイカを干したものがアラゴルンとボロミアのお気に入りのようでした。しかし食事には
「温泉行くんやったら、そう飲みなさんな。」
と言ってオカミは少ししか出してくれませんでした。仕方がないので温泉を楽しむ事にした一行はテヌグイをそれぞれ持ってぞろぞろと露天風呂に向かいました。どこから見てもとんでもなく目立つ九人でしたが、幸い本日は客がこの九人だけのようでした。もしニホンジンが泊まっていたならさぞかしすごい騒ぎになっていたでしょう。

 

 さて、先ほどとはうってかわって露天風呂です。外はとても寒く、息が白く見えます。
「こんな寒い中外で風呂に入るなど、とても考えられませんなぁ。」
ボロミアがそんな事をガンダルフにこぼしていますがガンダルフは楽しんでいるようです。「おお、雪じゃ、雪じゃ!」
おや、本当です。先ほどのサルマンの声がやっと届いたかのようにちらほらと雪が舞い始めました。熱いほどの温泉に真っ白い雪。なんと風流ではありませんか。一行がわあいわあいと喜んでいるなどとは露知らず、サルマンは雪を降らせるのに一生懸命でした。寒いので九人はとても外に出ていられず、全員露天風呂につかりました。ガンダルフは長いひげを器用にまとめ、さらに後ろの髪をポニーテールにしています。それはとても何千歳か分からないようなイスタリには見えません。色っぽいサーでした(しぇろさんに差し上げます)。その横ではアラゴルンがどこから持ち込んだのか、温泉に浮く丸い木でできた板のようなもの(お盆ですね)にオチョコという器と、先ほどのコメの酒のアツカンが入ったトックリをのせて一人で楽しんでいました。
「うあ〜!羨ましいですぞぉ〜!」
アラゴルンの視線の先には哀れメリーとピピンにつかまって大暴れするボロミアの姿がありました。
「わたくしにもくだされ〜!」
「だめですよ、ボロミア!」
とメリー。その笑顔には余裕が見られました。
「お酒はあとあと〜!」
とピピン。実に楽しそうではありませんか!ガンダルフとアラゴルンは暖かくその姿を見守ってやりました。つまり早い話が助け舟は一切出しませんでした。もちろんひげをすりすりされているドワーフには誰も声もかけませんでした。かけたら最後、レゴラスの怒りに触れるに決まっています。この旅のメンバーにはそんな度胸のある者はおりませんでした。レゴラスは幸せそうでした。

 

 さて、どこからか変な音が聞こえます。ザック、ザック・・・それは露天風呂の大きな岩の後ろの方からでした。旅の一行は全く気がついていませんが、露天風呂の後ろでなんとベレゴンドがどこから来たのかシャベルで自家温泉を掘り当てていました。
「〜♪〜ファラミア様の〜為なら〜エンヤコラ〜」
・・・・・・ご苦労な事です。執政官の次男のためにこれほど働く男はいないでしょう。ファラミアはそれをぼんやり眺めながら、
「ああ、ボロミアよ。どこにおられるのか・・・」
と呟いていました。愛するおにいたまはすぐ側にいるのですが。報われていないベレゴンドでしたがそれでもいいようでした。

 

 話が少しズレました。旅の一行に戻りましょう。さてこちらは相変わらずなサムとフロドです。
「わぁ・・・雪だよサムや!」
「きれいですだ・・・。」
サムは雪を見ているのかフロドを見ているのか分かりませんが、とにかくそう言いました。しかしサムがフロドに見惚れてもそれはサムに責任があるわけではありません。フロドの真っ白な肌は温泉につかってほんのり薄桃色に染まっています。それに夜空と雪に映えるようにその肌が透き通って見えるようでした。細い肩や真っ黒の捲き毛、さらに長いまつげに雪がそっと降りかかるたび、サムの心臓は飛び上がりそうでした。それほど長い間お湯につかっていたわけでもないのにサムの顔はかぁっと赤くなりました。
「旦那、おら体でも洗ってきますだ。」
顔を隠すようにサムはばっと立ち上がって(少々の眩暈がしましたが、頑張って踏みとどまりました。)雪の中体を洗いに上がってしまいました。
「サムったら・・・可愛い。」
そんなサムのぽってりした後ろ姿を見ながらフロドは露天風呂の端に腕をかけ、その上に顎をちょこんとのせてそんなことを口にしました。色っぽさに含み笑った顔まで手伝って、とてもこの世のものとは思えない美しさがありました。フロドはどこまで行っても確信犯なのでした。

 

「もうそろそろわしは出るぞ。」
ガンダルフが泳ぎすぎでかなりのぼせているピピンを横目にそう言いました。
「そうですな。」
ボロミアも心配そうにピピンを覗き込んで言いました。
「このままでは小さい人たちがタコになってしまいますからな。」
ははは、と笑ったアラゴルンも出るようでした。
「さ、ではピピンを運んでくださいよ、ボロミア。」
有無を言わせないメリーにボロミアは今日も顎で使われているようでした。

 

 露天風呂から出ると皆はまたユカタに着替えました。脱衣所から出てすぐそこには、「遊戯室」と書かれた木の札が下がった広い部屋がありました。のぼせたピピンとそれを運ぶボロミア、「霧ふり温泉」と書いたウチワという火おこしの道具のようなものをオカミにもらったメリーはそこへは後で行くとして、部屋へまず向かいました。残った六人はさっそくそのなんだかわくわくする温泉独特の香りがするような気がする部屋へ入りました。
「お!卓球台がある。」
なぜだか知りませんが、アラゴルンは卓球を知っているようでした。
「さあ、皆でやろう!」
誰もやるとは言っていないのに、アラゴルンは勝手に卓球台を用意していました。そして用意しながらルールを説明しています。レゴラスは興味津々で丸くてでかいシャモジのような板についたゴムをふにふにと触っていました。
「景品は何ですかな?」
暖簾をくぐったボロミアが戻ってきてそう言いました。台を用意し終わったアラゴルンがにやにや笑ってボロミアに近づいてきます。ボロミアは一瞬まずいことを聞いてしまったような気がしました。アラゴルンは逃げようとするボロミアの肩をがしっとつかまえてぼそぼそと耳打ちしました。
「何って、決まっているではないか。フロドの隣に寝る権利だボロミア!これで勝てば堂々と隣で寝れる。そうでもしなけりゃあの庭師がいるだろう?それに勝負ならフロドも庭師から離れるだろう。」
「なんと!そんな事を・・・」
多少うしろめたい気がしましたが、ボロミアはまぁそれでいい目がみられるのならそれもいいかなぁと思ってしまいました。
「仕方ないですなぁ。」
「そうであろう?ふふふ・・・」
「では始めよう!」
実に嬉しそうなゴンドールの王であるはずの男を見て、ガンダルフはため息をつきました。

 

 ぱたぱた・・・うちわの音だけが広い部屋に響きます。敷かれた布団に大の字になって寝転がっているピピンがほけっとしたように目を開きました。
「あれぇ?メリー・・・?」
「やぁおはようピピン。」
涼しい顔をしてメリーがそう言いました。
「僕のぼせたのー?」
「そうさ!まったく仕方のないトゥック旦那だよ。」
「えへへ〜。もっとあおいでよメリー。すずしー。気持ちいー。」
もう冷めたでしょうに甘えるピピンにメリーは思わず「いいとも!可愛い僕のピピン!」と言いかけましたが面は冷静になんとか持ちこたえる事ができました。
「もう大丈夫だろ!さあ、みんながなんだか楽しそうなことをやるみたいだよ。僕らも行こう。」
そう言ってメリーは先に立って部屋を出ました。
「待ってよメリー!僕も行く!」

 

 メリーとピピンが遊戯室に到着すると、そこはかなりの熱気が立ち上っていました。ガンダルフは試合を棄権して「喫煙所」と書かれた張り紙がある場所でパイプをふかしていました。トーナメント第一回戦はアラゴルン対ギムリとサム対レゴラス、メリー対フロド、そしてボロミア対ピピンのようでした。アラゴルンは背が低く、ルールもろくに知らないギムリ相手に大人気なく全力でかかりました。もちろんハンデはあるのですが、もちろん目的に燃えているアラゴルンの圧勝でした。ボロミアも順調にピピンに勝ちましたし、フロドは
「わたしも遠慮するよ。年よりはいたわっておくれ。」
と言ってメリーが不戦勝となりました。それにレゴラスはもともと勝負においては何事も器用なのです。サムはあっさりと負けました。
「ふー、まずは緒戦。」
満足そうなアラゴルンの笑みと共に卓球大会は二回戦に突入しました。

 

 レゴラスがメリーをくだすとホビットたちは全員負けていました。フロドが一人でマッサージ椅子に腰掛けて楽しそうにみんなの様子を見ていましたので他の三人も自然とそこに集まりました。
「あ〜気持ちいい〜。」
見た目よりずっと年寄りくさいセリフを言いながら自動で肩もみをしてくれるその椅子にフロドは座っていました。
「僕も僕も!」
やっぱり今日もピピンはそう言いました。
「いいとも!サムもどうだい?」
ホビットたちはきゃっきゃっと楽しそうにかわりばんこでマッサージ椅子を堪能しました。なんて可愛らしい光景でしょう!ガンダルフはそれを見ながらやっぱりホビットはいいななどと考えていました。そのころ浴衣姿のガンダルフをパランティアで発見したサルマンはそこへ行こうとして、オークたちに必死に止められていました。
「離せ!わしはガンダルフの所へ行く〜!」
しかし多勢に無勢、サルマンはオルサンクからとうとう出られませんでした。

 

 やることがなくなったギムリは一足先に部屋へ帰りました。大きな部屋には一面に布団が敷かれていましたが、ギムリはそんなオープンなところで寝るのは嫌いでした。
「おお、こんな所にちょうどいい場所がある。」
ギムリが見つけたのは押入れでした。布団を引っ張り込んだギムリは押入れに落ち着き、ぴしゃっと襖を閉めて寝ました。ここならレゴラスも手が出せないと思ったのでしょう。しかしそれは甘かったようです。二回戦で燃えているアラゴルンに勝つ自身がレゴラスにはありました。しかし視界にギムリがいなくなったので急にやる気がうせたようです。レゴラスは適当に試合して、さっさと負けて、ギムリを追いかけることにしました。押入れの中からギムリが見つけられるのは時間の問題のようでした。

 

 さて、三回戦に残ったのはやはり大きな人たちでした。壮絶なる戦いを繰り広げています。やけに強いアラゴルンですが、ボロミアも負けてはいません。
「なかなかやるな・・・」
「そちらこそ。」
どちらも退きません。
「うりゃ!これでどうだ!」
かなりきわどい玉を打ってきたアラゴルンにボロミアは失点し、悔しそうに声をあげました。
「あ!そんな卑怯な!」
「勝負に卑怯もくそもないぞボロミア!わっはっは!」
実に楽しそうなアラゴルンでした。ユカタの裾は開き、袖はたくし上げられ、まったく温泉に入った意味のない二人なのでした。しかしボロミアの必死の抵抗にも関わらずとうとうアラゴルンが勝利を収めました。
「やった!勝ったぞ!」
「くうぅ・・・なぜわたくしが負けるのか・・・」
ぜいぜいと肩で息をしながらアラゴルンが勝利のポーズを決めました。側ではがっくりとボロミアが膝をついています。
「さあフロド、これで隣に寝ても・・・」
振り返ったそこにはもはや大きい人たち以外の誰もいませんでした。
「あれ?フロドはどこに?」
「もう部屋に帰りんさったなも。おみゃーさんたちそんな汗かいて。もっぺん風呂入りんせえ。新しい浴衣用意したったで。」
きょろきょろするアラゴルンに、ひょいとオカミが顔をのぞかせてそう言いました。だいぶこの変わった(ギフベンと言うらしいのですが)言葉にも慣れてきました。
「は、そうでしたか・・・。」
ボロミアは笑ってそう言いました。今度はアラゴルンががっくりする番でしたが、仕方がないと肩をすくめました。
「それでは仕方ないな。どうだボロミア。もう一度風呂に入りなおそうか。」
「そうですな。」
こうして勝負は平和に終わり、二人は笑いあいながら露天風呂にもう一度戻りました。今度はボロミアもアツカンにありつけたようです。

 

 二人が二度目の風呂から上がって部屋に戻ると灯りをつけたまま、みんなが寝ていました。押入れからひっぱり出されたギムリは、ぬいぐるみのようにレゴラスにしっかと抱え込まれてうなされていました。レゴラスは眠らないエルフですのでそのギムリの様子を楽しそうに寝転がって見ていました。ガンダルフはいろんな被害の少なそうな所を陣取って、もはや小さないびきをかいて寝ています。お疲れだったのでしょう。ホビットたちは四人くっついいて寝ていました。やはりフロドが壁際でその隣にはサムがいました。その横にはメリー、さらに横にはピピンがいました。どの顔も無邪気に見えました。端に寄せられた背の低い机にボロミアとアラゴルンは並んで座り、先ほどのコメの酒が入ったかなり大きな茶色で透明の器(一升瓶でしょう)を抱えこんでちびちびと飲んでいました。炙った干しイカ(スルメと言うものだとオカミに教わりました)をつまみに、二人は小さい声でしゃべりながらホビットたちの様子を見ていました。
「いや、可愛らしいものですなぁ。」
寝相が悪く、メリーを乗り越えてしまったピピンの様子に、ついボロミアがそんな事を言いました。
「おやおや、ホビットはこのような外見でもボロミア、あなたより年上の者もいるのだぞ?」
「ははは、分かっておりますよ。」
 ボロミアはちょっと笑って言いました。ピピンはサムをも乗り越えようとしていますが、サムは寝ていてもなお主人を、身を呈して守っているようでした。
「いや、ただですな・・・」
「何かな?」
「いえ・・・」
ボロミアは恥ずかしそうに頬をかきながら言いました。
「わたくしには五歳年下の弟がおりましてな。」
「おお、ファラミア殿だな。」
「ええ、この寝顔を見ていたらファラミアの幼い頃を思い出しまして。」
「そうかそうか。それは羨ましい。」
しみじみ言ったボロミアにアラゴルンは静かに答えました。ボロミアが家族のことを話すのは珍しいことでした。ボロミアの普段では見られない一面が垣間見れたようでした。

 

 夜もだいぶ深まり、アラゴルンは灯りを消しました。ボロミアは酒豪のアラゴルンにはもう付き合えないと、もう少し前に寝に行きました。しかしホビッツやガンダルフに布団をほぼ占領され、部屋の隅に追いやられていましたが。それでも眠れる執政官殿の長男なのでした。アラゴルンも今日は安全だろうと、少し眠ることにしました。静かに夜は更け、ただしんしんと積もる雪の静けさだけがあたりに漂っていました。

 

 あくる朝フロドが目を覚ますと、もう一行は旅支度をほとんど終えていました。みんな(うなされていたギムリはどうか分かりませんが)ぐっすり眠れたようです。それに温泉のおかげですっかり疲れも取れたようです。
「おはようごぜえますだ、フロドの旦那。」
「おはようサム。もう出発かい?」
「そうみてえです。もう少しゆっくりしてもいいんじゃねえかっておらは言ったんですが、ガンダルフの旦那がだめだと。フロドの旦那はよくお休みになれました?ピピン旦那が転がってきておらは一苦労でしただ。」
「はは!きっとそうだろうね!ん?お前の横はメリーのはずだけど。」
「ええ、でもメリー旦那も乗り越えておらのとこまで来たんで。」
「すごいねぇ、まったくピピンの寝相ときたら!メリーもご苦労だったろうね。」
笑いながら着替えをサムに手伝ってもらっているフロドの所に旅支度の終わったメリーがやって来ました。
「ほら、あなたもはやく用意してくださいよ、フロドさん!サムは他にもすることがあるんですからね!ピピンのことはいいですよ。僕慣れてますから。」
「はいはい、分かったよ。ありがとうサムや。」
そう言ってフロドもサムが支度してくれた荷物を背負いました。

 

 元の旅の仲間の様子に戻った九人は、オカミをはじめ霧ふり温泉の旅館の人々に見送られて玄関を出ました。
「またおいでんせえ。」
オカミはそう言ってにっこりと笑いました。
「ありがとう、ありがとう!」
ホビットたちは名残惜しそうにオカミとこの一風変わった宿に手をふりました。
「さあ、行こう!」
ガンダルフとアラゴルンの声につられてホビットたちも前を向きました。滅びの山はまだ遠く、前には長い道が横たわっていました。フロドは、もう一度そっと振り返ってみました。しかしそこにはもう、何もありませんでした。
「宿が、ない・・・」
みんなもその声に振り返ってみましたが、やはりそこには何もありませんでした。
「何だったのだろうなぁ。」
「面白かったよね!それにおいしかった。」
「こんな事もあるもんじゃな。」
それぞれ口にした言葉は違いましたがみんなちょっとした切なさと清々しさを感じているようでした。旅は今日も続きます。今日は雪もなく、良い天気になりそうでした。

 

おわり