Frodo

 

 これはホビット庄でのある夜の物語です。

 ある雨の夜でした。春の嵐がホビット庄を駆け抜けているようでした。風は強く、窓を叩く雫が不安定な短調を奏でていました。その響きは、確かにひとを狂わせうる何かを持っていました・・・。

フロドは嵐の中にいました。心は重く、一人ぼっちでした。誰もいない暗闇をフロドは歩いていました。
『誰か』
と、フロドは呟きました。応えは、ありません。傷ついた体はもはや疲れ果て、足が地面を踏む感覚もありませんでした。雨音は聞こえるのに、濡れているかどうかも分かりませんでした。
『誰か』
フロドはもう一度、今度はもう少し大きな声で言いました。それでもやはり応えはなく、一筋の光も見えませんでした。
『どこへ向かって歩いているのだろう』
とフロドは思いました。
『わたしはそっちへ行きたくないのに!』
フロドは恐怖に捕えられました。大きな力と、残酷な響きがフロドをおぞましい闇と死だけの世界へ引き寄せていました。
『嫌だ!誰か!わたしををここから救い出しておくれ!帰りたい!』
 

「帰りたい・・・?」
ふと、フロドは目が覚めたことに気がつきました。夢から覚めても雨音が聞こえました。ただしそれは窓の外から聞こえていました。ベッドの上に起き上がったフロドは額の汗をぬぐいました。
「どこへ帰るのだい、フロド?」
フロドは自分に向かって小さく問いました。
「わたしはここにいるのに。このホビット庄に。今も、これからもずっと。」
フロドはおかしな夢だと思いました。そして、ただの夢だと思いました。一筋の稲妻がフロドの横顔を青白く染めました。一瞬、ホビット庄が真っ白に浮き上がりました。何かにひきつけられるように、フロドはふらふらと窓辺に近づきました。窓を開くと雨が待ちわびていたかのように部屋の中に染みを作りました。瞬く間にフロドの顔と髪は濡れ、顎から幾筋も水が滴り落ちました。窓枠にフロドは手を掛け、嵐の闇を見つめました。水は冷たいのに、体は寒くありませんでした。
「来いよ!」
もう一度白い光がフロドの頬を照らしました。見開いた瞳はどこまでも澄み、何を、どこを見つめているのか分かりませんでした。
「・・・来い?」
フロドは、はっと自分の口を掌で塞ぎました。
「わたしは何を・・・?」
誰に向かっての言葉だったのでしょうか。それに何を求めての言葉だったのでしょうか。フロドは自分にもよく分かりませんでした。そしてフロドは首を軽く振り、窓をそっと閉めました。そして寝ようと思いました。こんなおかしな晩は寝てしまえば明日が早く来る事を、フロドは知っていました。
 

 サムは夜中過ぎに目が覚めて以来、どうしても寝付けないでいました。それは雨音が大きすぎたせいでしょうか。それとも何か別に理由があるのでしょうか。ともかくサムはベッドに肘をついて横たわり、目を開いてじっと窓を叩く雨粒たちを見つめていました。真夜中過ぎのことでした。カッ と真白い光がサムの目を眩ませました。
「おらを呼んでる・・・」
誰がどこで呼んでいるのか、サムは考えませんでした。
「おらが行かねえと・・・」
常にはない光が、サムの瞳の中に灯っていました。

 サムは何かが自分の中でざわめくのを感じました。足が勝手に体を運んで行きました。しかしサムは自分に疑問を感じませんでした。まるでこれが定められた道であるかのように、サムの足どりは確かなものでした。

ふと気がつくと、そこは主人の部屋の窓辺でした。昨日手入れしたばかりの花々が、風と雨に弄ばれていました。明日もう一度植え替えだ。サムはそんなことをぼんやり考えていました。しかしそれもサムの脇をすり抜けた一陣の風にさらわれ、サムは自分の中の何かが命じるままに、窓に手をかけました。

ガタっと、小さな音がしました。風でしょうか。・・・ガタガタと、今度は明らかに風の仕業ではない音が、うとうとし始めたフロドの耳に届きました。
『何?』
フロドは本能的な危険を感じてばっと上半身を起こしました。
『わたしはさっき鍵を閉めただろうか?・・・閉めていない気がする。』
外は暗くて何も見えません。フロドは鼓動が早くなるのを感じました。
『無法者であれば叫ばなければ。ビルボに知らせなければ。』
フロドが震える手をぐっと握りしめ、口を開こうとした瞬間でした。また、雷が一つどこかに落ちたようでした。フロドは自分の目を疑いました。が、そこに見えたのは、まごう事なき彼の庭師でした。全身に春の雨を浴びた、フロドの庭師でした。
 
「おらをお呼びになりましただね――分かってますだ――わかってる」
そしてサムはフロドのかたわらにひざまずき、フロドに触れました。

 サムはフロドのベッドにどさっと腰掛け、雨に濡れた腕を座ったフロドの身体にまわしました。その手に力を込めるとおずおずと自分の体に同じように腕をまわした主人を感じました。雫の滴る金に近いその髪をフロドの頬に押し付けるように、サムはフロドの首に口付けを落としました。フロドが息を呑む音が聞こえました。雨音は意識の外に取り払われ、全ての神経は主人と主人のたてる音だけに集中していました。
「分かってますだ。」
サムはフロドの耳を唇でなでるように食みました。触れている者にしか分からないくらい小さく、フロドが身震いしました。
「何も考えないでくだせえ。」
サムは息と共に言葉をフロドの耳に押し込めました。ぶるっと、今度はさっきとは違った感覚がフロドの全身を突き抜けました。
「フロドの旦那。」
呟くようにサムがそう言い、体を少し、ほんの少しだけフロドから離しました。フロドの目は離されるのが嫌だと強く訴えているような色をしていました。しかしその色はすぐに狂喜の色へと染め替えられました。サムはフロドの上着を、たった一枚しか羽織っていない夜着をフロドから取り去ろうとしたのでした。暗闇にぼうっと白く浮き上がる肌が肩から胸まであらわになりました。均整の取れた、それでいてどこか壊れそうな華奢なフロドの身体があまりに美しく、サムは自分の咽喉が音を立てて唾液を飲み込むのが聞こえました。
「旦那、横になってくだせえ。」
サムの息は熱を帯びていました。
 

 何かがおかしい夜でした。サムはそんな自分を止められないでいる自身を責めようとも思いませんでした。ただ、何かを求めるようにフロドに触れるだけでした。フロドの身を横たえると、二人の視線が上と下で絡み合いました。頭の芯が焼かれるような感覚を覚え、サムは唇に触れる前に、フロドの肌と胸を手の平と舌でまさぐりました。はじめはかすかだった二人の吐息が今ではもうはっきりとし、お互いを煽るものになっていきました。声はどこからも聞かれません。雨の音も、雷の音も光も、暗闇も、今は全てが意識の外でした。
「はぁ・・・はぁ・・・」
と、途切れてはまた思い出したように唇から静かな、それでいてよく響く吐息が漏れ出ていました。サムの胸の奥で何かがぱちんと燃えたような感覚が下肢に伝わり、サムは自分をフロドに押し付けるように身を捩りました。
「・・・あっ!」
それがフロドの出したはじめての声でした。サムは自分の濡れたシャツやズボンを脱ぐのも忘れてフロドに触れていました。はちきれそうなサムを、フロドはズボン越しに感じたのでした。サムは体を主人に擦り付けて自分自身を慰めました。そのたびにフロドは
「あぁ   ――あぁ」
と声を漏らすのでした。もたげてきたもので痛くなったサムは惜しみながら一旦フロドの胸に触れていた手と目を離し、ズボンを脱ぎ去ろうとしました。そしてシャツも。それは思ったよりも難しい作業でした。 
「この、ちくしょうめ!」
サムは思わずそう言い捨てました。外れそうで外れないボタンを何度も何度も手にかけました。慌てれば慌てるほど、どうにもならなくなりました。フロドがサムの服に手をかけると、それは今までの苦労が嘘のようにするりとサムの体から脱げ落ちました。サムは主人に礼を言う余裕もなく、重くなった衣類を投げました。びしゃっという重い音が冷たく床に響きました。サムは視界の端に入ったフロドのそれが自分と同じように、硬く常にはない様子になっていることに気がつきました。それどころかその先端は既に透明の液体で濡れて光っていました。
「・・・フロドの旦那・・・」
サムはここでやっとフロドの唇にキスしました。体をフロドに寄り添わせたままずりずりと頭の位置を上げ、せわしく唇をついばみました。深く味わいたいと思うのに、浅くなってしまった息が続かないサムは漏れる息の合間にしかフロドに口付けできませんでした。その間に、サムの先端も濡れて雨ではない雫がしたたりました。
「あ・・・お・・・落ち着くんだ、サム。」
フロドがそう言わなかったら一晩中まともなキスもできないままだったでしょう。サムは小さく息を吸いました。そしてその働き者の両手でフロドの頬を包みました。その頬は暗闇が透けて見えるくらいほの赤く染まっているようでした。薄く開いた唇の中から小さな濡れた舌がのぞいていました。それらを全て食べ尽くすように、サムはフロドの口を自分の口で塞ぎました。唇の下、それに上、それから舌、さらには歯の裏側から頬の内側まで、サムはフロドを味わい尽くそうとしました。
「ぅん、・・・むぅ・・・」
息の間に小さくうめくような声があがりました。『息を』と言おうとしても、サムはそれだけの時間もフロドに与えてはくれませんでした。食べても食べてもおさまらない餓えのように、サムはフロドを貪りました。
 

いつの間にか絡まったお互いの舌をしゃぶっては舐め、噛み付いては捻りまわしました。泡立ってしまった、混じりあった唾液がフロドの口の端から溢れ出てシーツに吸い込まれていきました。まだ名残惜しそうな舌をサムは離しました。もっと甘いものがこの先にあることを、サムは知っていました。濃厚な糸が、二人の口をつなぎました。つぅっと伝ったその糸は下にいるフロドの顎に垂れました。サムはそれをたどるように顎から唇までもう一度舐めあげました。いつもならこんな恥ずかしい仕草は絶対にしませんでした。なぜ今宵はこうなのか、サムは考えることもしませんでした。そうしなければならないような気がしただけでした。

 サムは自分をフロドに擦り付けながら、今度は下に向かって体をずらしていきました。すっかり息のあがってしまったフロドは、少し曲げた右手の人差し指をサムの唇がわりに軽く咥えていました。いつの間にかサムの髪は半乾きになり、ふわふわとフロドの胸から腹までを撫でました。
「ぅ・・・ふ・・・あふ・・・」
その羽根で触れるような表面だけの感触に、フロドは恍惚とした溜息を漏らしました。しかしそれもサムがフロドを口に導き入れるまでの事でした。
 

「ああっ!」
強烈な快感にフロドは思わず咽喉を鳴らしました。サムがフロドの先を舌で強く擦ったのでした。
「あぅ・・・っ・・サムぅ!」

フロドはいきなり弱いところを攻められる苦しさに必死で声をあげました。
「そこは・・・まだ・・・!はぁっ」
サムは少しだけ視線を上げてフロドの表情をちらっと見ました。容赦のない光がありました。
「やめ・・やめてくれ!お願いだから・・・ぁっ・・・」
フロドの目の端から一筋の涙が零れ落ちました。それを聞き入れるだけの理性は、まだかろうじてサムの中にも残っていたようでした。
「もっと、ゆっくり、サムや。」
その要求も応えられたようでした。サムは腰をシーツに擦り付けながら、ゆっくりとフロドの根元から手と舌と唇を使って舐め上げました。
「あぁ・・・いいよ、サム・・・」
フロドは自分のよいところにもっていこうと腰を揺らめかせることを惜しみませんでした。
 

 フロドはもっとこの状態を感じたかったのですが、それはサムの限界によって遮られました。サムは自分のものとフロドのものを指で掬い取り、サムを受け入れるそこに塗り付けました。きゅっと、反射的にそこは一瞬閉じましたが、次の瞬間サムの指を求めてひくっと小さく開きました。
「・・・っ旦那・・・こんなにほしかったんで?」
返事はありませんでした。かわりにいっそう甘い息が上のほうから聞こえてきました。サムが指を一本差し込むと、それは驚くほどすんなりとフロドに入りました。すぐにサムはその指を抜き、次に二本入れてみました。
「あっは・・・」
連続的だった息が一瞬詰まり、吐息は喘ぎ声に変わろうとしていました。二本の指を抜き差ししながら中でぐるりと回しました。壁のある一点を避けて、サムはフロドを解してゆきました。きっとまだ早い。サムは心のどこかで自分がそう言うのが聞こえたように思いました。しかしもうそんなにもたないだろう事がサムには分かっていました。左手でフロドを、右手で自分を持ち、サムはフロドと自分を乱暴に繋いでいきました。
 

「ひっ・・・!」
痛みにフロドが咽喉を鳴らしても、もうサムにはそれを聞き入れるだけの思考能力がありませんでした。
「い・・・痛い!ねえ!サム!」
フロドの懇願は聞き入れられず、かわりにサムの異様な光を含めた視線だけがフロドに与えられました。
 

 部屋を一歩出るとそこはただ雨の音が響くだけでした。時折ホビット庄中を染め替える稲妻と、単調になりえない吹き狂う風が、雨に彩りを加えていました。しかしフロドの部屋にはもっと違った時間が流れているのでした。艶を含んだフロドの喘ぎ声と、どこか苦しそうなサムの呼吸、それに粘着音が少し。さいごの音は次第に濃厚になり、二人はいつしかこの甘い甘い毒を含んだ音に魅せられ、流されてゆきました。
「―――あぁぁっ!」
一際高い声をフロドが放ち、同時にサムも極まった表情を暗闇に残してゆきました。
 

ぐったりと折り重なるように二人はベッドに横たわりました。しばらくはお互いの、呼吸を整える息遣いしか聞こえませんでした。しかしふいに、窓を叩く雨音が二人の耳に戻ってきました。雨は既に小降りになり、空は白み始めてさえいるようでした。まだ繋がったまま、フロドはサムに話し掛けました。
「今夜は酷い雨だったね。」
「そうでした?」
サムは不思議そうにフロドにそう言いました。そして一瞬のちにフロドから自分を引き抜き、フロドを驚かせました。
「おらにはちっとも聞こえませんでしただ。」
ふふっと、フロドは含み笑いました。サムがこんなことを言うなんて。今ならいつもはサムが許してくれない淫猥な中流階級の言葉遊びもできるのでしょう。
 

――外よりもわたしは濡れてしまったね――

その瞬間でした。雨は一斉にあがり、朝日が、ぱあっと部屋にさしこみました。そのあたたかな光がサムの茶色の瞳に入りました。かしゃん と、サムは自分の中の何かが崩れて落ちる音を聞いたような気がしました。それはまるで隠しておきたい夢が目の前から取り外されたような感覚でした。
「え?・・・」
サムは朝日に包まれてかすかにオレンジ色に染まったシーツと、薄桃色に染まって所々に鬱血の花の咲くフロドを交互に見てうろたえたような声を出しました。さっきまでの妖しげな光はサムの目からすっかり剥がれ落ちていました。
「あ・・・あの・・・」
「なんだい?」
フロドはそれを見てどこか楽しそうにサムにこたえました。ふふふっと、またフロドが笑いました。それは嬉しそうに。
「よかったよ。お前じゃないみたいでね、サム。おかげで起き上がれないけど。」
「は・・へ?・・・あ!」
どうやらサムはやっとこの状況を理解できたようでした。たわんだシーツの波がフロドとサムを浚っていくように見えました。微かな血の匂いがまだ見たことのない海を思わせました。
「す・・・すみませんですだ!旦那!」
サムはフロドの身体を慌ててシーツでくるみ、半泣きで許しを請いました。もう許されているというのに。そうしなければサムは自分を責めてすぐにでもこの場から逃げ出してしまったでしょう。
「いいんだよ。今日一日。お前が看病してくれるんならね。」
「も、もちろんで!」
慌てて答えたサムに、フロドが口付けをねだり、サムが真っ赤になって応えました。それはいつもの風景、いつもの関係でした。春の嵐に感謝しよう。フロドはこっそりとそう思いました。

おわり