21・ファラミアとボロミア

 

 ファラミア、と名乗った人間は、このホビットなる小さい人たちが、包み隠さず事実を述べているとは思えませんでしたが、少なくとも善良な者達だと分かったようでした。それにファラミアは兄の最期について考えることもあり、愛する兄を失った背景を語らずにはいられませんでした。ですからファラミアは、今までフロドを見下ろしていた視線を下げ、洞窟の中に無造作に転がしてある樽の上に腰掛けて話し始めました。
「わたしの国ではこういう事がよく言われている。『夜はしばしば血近き親族に便りをもたらす』と。わたしとボロミアのつながりは深く、まさにその通りの事が起こったとしか思えない。そなたは覚えているだろうか。ボロミアは立派な角笛を持って旅立った。東の国の野牛の大角であり、銀で巻き、古代の文字が書かれていた。その角笛はわが家の嫡子に代々受け継がれてきたものだ。ゴンドールの地であれば、その吹き鳴らされた音の元にはいつ何時であれ勇士達が駆けつけるであろう。わたしがこの地へ遠征する五日前のことであった。わたしはその音がはるか北から響いてくるように思えた。それはかすかな響きでしかなく、わたしの心の中だけに聞こえたのではないかと思えた。そしてわたしはそれを凶兆と考えた。なぜならボロミアが旅立ってから一つの便りもなく消息も絶えたままであったからだ。ボロミアはいつも遠出すると少なくともわたしにはなにかしらの便りをよこすのが常だった。しかし今回はそれだけではなかった。」
そこでファラミアは少し目線を上向けそっと目を閉じました。まるで瞼の裏になにか美しい風景を焼き付けたのを思い出すかのように。
「ある、美しい新月の夜のことだった。わたしは眠れず、夜半にアンドゥインの水辺に腰掛けていた。青白い月の光が水面をさらさらと撫でていた。静かな夜だった。わたしは自分が今、この空の下の全てと同じように眠りについているのか、それともはっきり目が覚めているのか分からなかった。それくらい曖昧な感覚だった。その時わたしは見た。いや、見たように思っただけやもしれぬ。一隻の小舟が月光に照らされ灰色の鈍い光を放ちながら河に抱かれていた。そのへさきの高い見知らぬ小舟は波もたてず、漕ぐ者も舵を取るものもいなかった。わたしは何かを感じて立ち上がり、その舟に駆け寄ろうとした。背中を何か冷たいものが走り抜けた。それなのにわたしは流れに足を踏み入れた。それはわたしの意思ではないようだった。引き付けられたのだ、何かに。すると舟はわたしの方へ向きを変え、少し手を伸ばせば触れるところまでゆっくりと近づいてきた。そう、それはボロミアが戦場から舞い戻り、わたしに近づいてくる時のようだった。」
フロドとサムは、ファラミアの淋しげな、それでいてどこか恍惚とした表情と語り口に今や心を奪われていました。ファラミアの、ボロミアに良く似た顔は滝から差し込む光だけでもどこかきらきらと輝いて見えていました。
「わたしはその小舟に手を触れることができなかった。それはあまりに美しく、触れるのをためらわれたからだ。舟の中は透き通る水で満たされ、その中に一人の戦士が眠ったまま横たわっていた。それはわたしの兄、ボロミアだった。彼の身体には無数の傷があり、痛ましくも美しかった。それに彼が抱く剣、盾、それに愛するその顔、全てがわたしの知っているボロミアだった。ただ一つないものはかの角笛であり、ただ一つ見知らぬものは金色の細工が施された美しいベルトだけだった。『ボロミア!』わたしは思わず叫んでいた。『あなたの角笛はどこにあるのです?あなたはどこへ行かれるのです?わたしをおいて。ああ、ボロミア!』わたしは声の限り叫んでいた。しかしその声はまるで月に吸い取られるように消えさり、彼は行ってしまった。闇の向こうに消えていったのだ。夢だと思いたかったが、それは覚めることがなかった。それゆえわたしは彼が死んで、海へ放たれていったのだと信じるに至ったのだ。」

 ファラミアの声が絶えても、三人は何も言わずまだその話の中に漂っているようでした。その沈黙を破り、フロドがそっと言いました。
「なんという悲しいこと!それはまさしくボロミア殿です。ボロミア殿のベルトはロリアンの奥方様があの方におあげになったものです。」
「それではそなたたちはロリアンの地、かつてラウレリンドレナンと呼ばれていた地から来たと言うのか。秘められた地にある黄金の森の、妖しの奥方と関わりこのようなことが起こったと。」
サムが一瞬ファラミアの言葉を聞きとがめましたが、口出しはしませんでした。それはファラミアの瞳が深い悲しみと哀れみに満ちていたからです。
「ボロミアよ、おおボロミアよ!かのひとはあなたに何を言ったのです?かの妃はあなたの中に何を見たというのでしょう。なぜあなたはラウレリンドレナンに行かれたのですか?どうしていつものようにあなたの道を歩み、ローハンの馬で故郷に帰ってみえなかったのですか?わたしが待つこの地に。」
そこでファラミアは思い出したように静かな声に戻り、続けました。
「そして角笛だけが戻って来た・・・真っ二つに割れて。今それはデネソール侯の膝の上にある。」
そう言うと、ファラミアはぷっつりと黙り込み、深い考えに沈んでゆきました。

「ヘンネス・アンヌーンの池」に続く。