12・エルフのマント

 

 フロドはサムが落ちた地点をぱっと見つけてそちらへ行こうとしました。ところがまずいことが二つ起こりました。まずはじめにサムが細かく崩れやすい砂利にかなり深く埋まってしまったのでした。さらには東夷のうち何人かがサムの落ちた時にあげた砂埃に気がついたのです。そしてフロドが見る限り二人がこちらにまっすぐ向かってくるようでした。しかし幸いだったのは、まだそれが何なのか、彼等は気がついていないことでした。フロドは小さな岩に隠れながらも、できうる限りの速さでサムの所へ駆けつけました。声をかける時間はありませんでした。フロドは必死でサムの周りの砂利をかき分け、サムはそこから逃れようともがきました。しかし慌てれば慌てるほどサムは埋まってしまうようでした。フロドがはっと気がつくと、鼻の上まで覆面をした人間が、もうすぐそばまで迫っていました。もう逃げ道はありませんでした。フロドはサムだけを置いてゆくなど考えつきもしませんでした。ですからフロドはサムの肩にそっと手を添え、心の中で――ギルソニエル ア エルベレス!――と唱え、灰色のマントをばっとふたりの上にかぶせました。それはもう間一髪と言うやつでした。フロドはサムにぴったりと身を寄せて、灰色のマントの下でうずくまりました。

 その人間たちにはそこにあるものが岩にしか見えませんでした。先ほどの砂煙は何だったのだろうかと思いましたが、結局この大きめの岩が上から落ちてきたという結論に達したようでした。しかしその岩に見えるものを目の前に、じっと見つめられるフロドとサムの気持ちはたまったものではありませんでした。お互いの頬が触れ合うくらいの距離で、ふたりは息をひそめていました。エルフのマントの力は素晴らしいものですが、もしここでどちらかひとりでも動いてしまったらそれはもう一貫の終わりでした。マントのすそはひらひらと風に揺れるようです。ここで強い風が吹いていなかったのは幸いでした。しかしサムは風よりも、もっと困ることがあると思いました。自分の心臓の音でした。緊張で高鳴る鼓動は余りに強く速く、耳がドクンドクンと痛いほどでした。その緊張が、恐怖によるものだけならば、サムはこれほど困りはしなかったでしょう。サムは自分の顔が引きつっているのを感じました。

 フロドはマントをふたりにかぶせると、サムの砂からかろうじて出ている上半身を包むように身を丸めました。顔はサムの顔のすぐそばです。敵が近づくにつれてフロドはぎゅっと力を込めてサムにほとんど抱きついたような姿勢になりました。サムはフロドのとっさの行動にも驚いたのですが、このとんでもない対処法にびっくりしてしまいました。フロドの緊張した手がサムの肩に触れ、細く紡がれる吐息はサムの頬にかかりました。サムの顔のうぶ毛や、耳の辺りの捲毛がフロドの息がかかるたびにふわっと揺れました。サムはもう、心の中でパニックに陥っていました。サムからはフロドの顔が見えませんから、フロドがどれだけ緊迫した表情をしていたのか分かりませんでした。『あぁ!もうだめだ・・・敵に見つからなくてもおらが耐えられねえ!』サムが心底困ってそう思い詰めたすぐ後でした。敵は遠ざかり、フロドがばっとマントを剥ぎ取りました。そしてすぐにサムを引っ張り出し、そばの岩まで這うようにかけ出しました。とんでもなく焦っていたサムは、フロドの素早さに一歩遅れてしまいました。

 冷静にこの状況を判断すると、もう黒門が閉まり始めていました。今駆け出して敵の最後尾に追いつかないと、せっかくの機会をみすみす逃すことになってしまいます。フロドは後ろにやっと来たサムに緊張した声をかけました。
「わたしはお前についてこいとは言わないよ、サム。」
「ええ、分かってますだ、フロドの旦那。」
サムはその声でやっと現実に引き戻されたように答えました。そしてフロドが言った言葉の意味も理解したのでした。
「あすこへ行けばエルフのマントもおらたちを隠しちゃくれねえですだ。分かってますだ。」
そうです、それはすなわち逃れられない死を意味するのでした。しかし行かなければならないとフロドには分かっていました。こんな入り口で見つかっていてはとても使命を果たせないのです。フロドは、サムが必ずついてくると分かっていましたが、どうしてもそう言わずにはいられませんでした。自分が進む道に、サムを連れて行きたくありませんでした。それなのに、サムはそんな風に答えてくれたのです。死ぬと分かっているのにです。フロドは緊張の中にも喜びが混じるのが分かりました。決心が、さらに固くつきました。
「今だ!」
ふたりは黒門に向かって走り出そうとしました。
 

「だめだよ、だめだよ、旦那!」
走り出そうとしたフロドとサムを後ろから強い力で押しとどめるものがいました。ゴラムでした。ゴラムは泣き声をあげながら両手でフロドにすがりつきました。
「だめだよ!あいつは旦那を捕まえるよ、あいつはわしらを食べちまうよ!いとしいしとをあいつのとこに持っていかないでよう!あいつはいとしいしとをほしがってるよ、あいつはいとしいしとを探してるよ。いつもいつも探してるのよ!いとしいしともあいつのところに帰りたがってるよ、でもわしらはあいつに渡しちゃなんねえのよ!」
フロドもサムもそれを振り切って走ろうとしましたが、ゴラムはそれをさせませんでした。
「だめだよ!」
そうしてゴラムはまたふたりを引き戻しました。
「別の道があるよ、そうよ、ほんとにあるよ、別な道だよ。もっと暗くて、もっと見つけにくくて、だーれも知らない道だよ。」
「別の道だと!」
サムは疑わしげに叫びました。
「何でそれを前に話さなかっただ!」
「ないよ、旦那は聞かなかったよ!」
ゴラムも同じように叫びました。どちらも必死でした。サムはそんな言葉は何があったって信じられないと思いました。フロドだってそう思ってくれるでしょう。
「旦那!こいつは絶対に何か隠してますだ!」
フロドは怒りに燃えるサムを見つめ、それからゴラムを見、そして黒門を見ました。
「お前は前にはそのことを話していない。しかし本当にその道があると言うのだね?」
「そうよ、あるよ旦那、ほんとうよ。道があるよ、いくつか階段と、それにトンネルよ。」
そうゴラムが言うと、ちょうど門が音をたてて閉まりました。
「わたしはもう一度お前を信用しよう。」
「フロドの旦那、だめですだ。」
フロドの口調はあまりに静かでした。サムも静かにそう言いました。しかしフロドはゴラムから目を離さずに強い視線でゴラムを射て言いました。サムの言葉は聞き入れられませんでした。
「わたしはお前を信用することにしよう。実際そうせざるを得ないようだし。お前は今まで何度だってわたしたちを迷い込ませたり殺したりする機会があったはずだ。でもお前は何も危害を加えなかった。お前のいとしいしとを取ることもしなかった。願わくば次も最善のものに終わりますように!」
「だめですだ!」
サムは囁くようにそう言いました。しかしそれ以上は何も言いませんでした。サムにはフロドの顔つきだけで十分でした。かれは自分の言葉が役に立たないことを知っていました。もちろんサムはこの旅に希望を持っていたわけではありません。しかし元気のいいホビットの常として、絶望が先に延ばされている限り、くじけないだけでした。かれはそれでもずっと主人にくっついてきました。そして主人から離れないということこそが、かれがここまでやってきた主な目的でもあったのです。これからだって離れるつもりはありません。
 

『旦那を一人でモルドールになんか行かせてたまるか。サムが一緒に行きますとも!たとえあるかないか分からねえような道でもな。でもおらはあいつを信じちゃいねえ。あいつの中にはふたつあいつがいる。スメアゴルとかいう「こそつき」に、ゴクリっちゅう「くさいの」だ。あいつが旦那を助けるのは他でもねえ、あいつのいとしいしとのためだ。旦那のためなんかじゃねえ。指輪のためだ。あの悪党の半分はどっちもいとしいしとを敵に取られたくないだけだ。だから「こそつき」と「くさいの」が今は協力してるだけなんだ。いつ「くさいの」が勝っちまってあれを取るか分からねえ。となると、あいつがフロドの旦那は何をやろうとしてるか知らねえのがよかったってもんよ。もしあいつのいとしいしとを永遠になくしちまおうとしてるだなんて分かった日にゃ、あいつは早速旦那を殺すだろうよ。少なくともおらはそう思うな。そりゃ旦那は誰よりも賢いお方だ。だがお心が優しすぎるのよ。でもそれが旦那なんだ。旦那が次に何をなさるのか当てることは、ギャムジーにはちとできねえこって。』

「わたしたちを案内しろ、スメアゴル。」
サムがつらつら考え事をしていると、フロドがそうはっきりと言いました。
「スメアゴルはとてもいいスメアゴル。いつもいつも助けてあげるよ。」
そうしてフロドとサムは、スメアゴルの導くままに、黒門を離れ、影の山脈の西へ向かって歩き出しました。

「指輪の力」に続く。