Encounter
with the wizard
これは、小さなサムとガンダルフの出会いのお話です。
ぱちぱちと、暖炉の火が時折気持ちのいい音を立てる晩でした。暖炉の前にはどこにでも居ると言うには綺麗すぎるホビットと、この穴には少々サイズが合わない灰色の魔法使いがゆったりと椅子に座っていました。少し離れた台所では、サムが夕食の片づけをしていました。サムは、自分のたてる水音と食器の触れ合う音、それから会話の内容までは聞き取れませんが、暖炉の方から楽しそうな話し声が聞こえていました。静かな夜でした。時々、とても楽しそうな少し高めの主人の笑い声と、地に響くような大らかなガンダルフの笑い声がします。サムは、早く片付けて話が聞きてえな、と思いました。
「あなたがビルボに色々と吹き込んだおかげで、ビルボの放浪癖がなかなか治らなくって。わたしはとても困っているんですよ、ガンダルフ。」
楽しそうに、フロドがガンダルフを見てそう言いました。何かをとがめるような口ぶりですが、その声の調子はどこか嬉しそうでした。そして、それに受け答えるガンダルフも、どこか楽しそうでした。
「そうか?お前さんだってあちこちふらふらと出回っておるようじゃがな。」
「わたしはそうでもありませんよ。限度をわきまえていますからね。でもビルボはどうだか。現に今日はあなたがいらしてるのに、ビルボは帰ってこなかったじゃありませんか。」
「まあそうだが、魔法使いがいつ現れるかは、誰にも分からんもんじゃて。」
「そうですけどね。」
そうして、二人はまた笑いました。
「そうそう、覚えていますか、ガンダルフ?」
急に、フロドが話題を変えました。いつもこんな風に話を突然切り替えてしまうのは、この魔法使いの専売特許(なるものが中つ国にあったとは思えませんが、とにかく!)でしたので、ガンダルフは少々びっくりしてフロドに答えました。
「何をじゃ?」
ちょっと驚いた顔をしたガンダルフを見て、フロドはくすっと笑いながら言いました。
「サムがあなたにはじめて出会った時のことですよ。」
ガンダルフは、ちょっと嬉しそうに微笑むフロドの青い目をちらっと見て、それから少しだけ瞳をきらっと光らせて言いました。
「あーあー、覚えておるとも。いや、あれは傑作じゃったな。」
「ええ、本当に。でもそれをサムに言うと怒るんですけれどね。」
「まあ、無理もあるまいな。」
「サムはいつもこう言うんです。おらは何も知らねえ子供っこだったんですだよ。ホビットしか見たことのねえ、ちっこい子供だったんですだよ、ってね。あの日も、今日みたいな日でしたね。ビルボがいなくて、静かな夜でした・・・」
フロドがお屋敷に来て間もない頃、サムは綺麗で優しい若旦那に会うのが嬉しくて、毎日毎日袋小路屋敷に来ていました。仕事が終わった後でも、夕食のお手伝いだとか、皿洗いだとか、なにかに理由をつけて、夜遅くまでお屋敷にいたのでした。そんな日々でも、今日は特別でした。どうしてだか幼いサムは知りませんでしたが、今日はビルボがいませんでした。ですからサムは、夕食の後のフロドを独り占めできると思っていたのです。皿洗いもあと少しで終わりそうです。暖炉でくつろいでいる(実際は小さなサムの皿洗いがうまくいってるか、お皿を割ったりして手を切ったりけがをしたりしないかと、フロドは内心どきどきしていたのですが)フロドに、本を読んでもらえる約束をしていたのです。
さて、一枚もお皿を割ることなく、手も指も切ることなく、サムは上手に片づけをすませました。そして置いてあったエルフのたくさん出てくる本を小脇にかかえて、暖炉へとサムは歩いていきました。暖炉の前には大きな椅子が置いてありました。フロドはいつもそこに座っています。ですからサムは、後ろからその椅子に向かって本を差し出して
「どうぞ、よんでくださいまし。」
と言いました。そっと本をフロドが受け取って、にっこり笑ってくれることを期待して。しかし、そこにはフロドはいませんでした。フロドの微笑みのかわりに、サムに投げつけられたものは、確かこんな言葉でした。
「んんっ!?何じゃ、わしに何か用か?」
サムには、何が起きたんだかさっぱり分かりませんでした。突然椅子が大きくなったかと思うと、天井まで届く灰色の影がサムをすっぽりと覆いました。しかも腹に響く大きな声で半ば怒鳴られて、もじゃもじゃの眉毛の下からきらっと光る目でにらまれていたのです。
「ひゃぁぁーーーー!」
サムは、あまりの恐ろしさに間の抜けたような悲鳴をあげました。しかし勇敢で小さなサムがしたことはそれだけではありませんでした。ここは旦那方のお屋敷です。怖いものがいたら、それから旦那方をお守りせねばなりません。サムは自分の役目をそんな風にも思っていました。ですから、恐怖に忠誠心が打ち勝ち、手に持っている本を思いっきりその影に投げつけました。
ばごっと音がして、その本は影に命中しました。そして本が床に落ちる前に、影はその本を大きな手で受け止め、ひょいとしゃがみました。そして大音響でこう言ったのです。
「このちっこいやつめ!カエルにして食ろうてやろうか!」
それは、鼻の頭に本が命中して、顔を赤くした魔法使いでした。そしてその目の中には、もう「だんな!」と叫ぼうにも声も出ず、動くことすらできない青くなったサムがいました。もうだめだ、おら、かえるかなんかにされちまって、こんなとこでこんなやつにくわれちまうんだーー!サムがそう思って目を瞑ったその時でした。
「ははははっ!」
この緊張感にはとても不釣合いな笑い声が、暖炉のある部屋に響き渡りました。それは聞きなれた声で、しかもとても愉快そうな笑い声でした。
「あなたはカエルなんか食べるんですか、ガンダルフ?」
それはフロドの声でした。まだ声の出せないサムは、ええっと思って声の方を向きました。そこには確かに主人がいて、片方の眉をちょっとだけあげて、楽しそうにこちらを見ていました。
「ああ、そうじゃった。もちろんわしは食わんよ。だが、庭のヘビはどうかな?」
「ははっ!やめてくださいよ。お願いですからね。」
サムはもう頭の中がごっちゃごちゃになって、ガンダルフと呼ばれたその影に向き直りました。そしてじいっとその大きな茶色の瞳で影を見つめると、そこにはホビットとおなじような顔と、それに立派な髭の大きな顔がありました。
「サム、こちらはガンダルフ。ビルボの古い友人だよ。ホビットじゃない。大きい人でもない。灰色の魔法使いだよ。」
ガンダルフを見つめたまま、固まってしまったサムの肩をぽんぽんと叩きながら、フロドは両者にお互いを紹介しました。
「ガンダルフ、こちらはサムワイズ・ギャムジー。わたしの将来の庭師ですよ。可愛いでしょう?」
ガンダルフは、赤くなってしまった鼻を押さえて立ち上がり、再びサムを一瞥してから椅子に腰掛けました。
「可愛いかどうかはともかく、忠誠心だけは有り余っておるようじゃの。」
「ええ、自慢の子ですから。」
臆面もなくそう言ったフロドに、ガンダルフはちょっとびっくりして、それから大きな声で笑いました。
「はーっはっは!こりゃ傑作じゃわい。そうか、自慢の小さな庭師か。では庭師のサムワイズ・ギャムジー、お望みどおり本を読んでやるぞ!」
サムはまだ固まっていました。なぜなら今度はフロドではなくて、ガンダルフがサムの肩をつかんだからです。そして、
「わたしは本よりあなたの話が聞きたいのですけれど。」
というフロドの抗議をあっさりと無視して
「この小さいのの方が先約じゃ。さて、どこから読もうかの。」
ガンダルフは機嫌よくそう言い、おっかなびっくりのサムを膝に乗せて本を読み始めました。
「これは、ある美しいエルフの乙女のお話です・・・」
「あれからずいぶん経ちましたね。」
「そうじゃな。どうだ、フロド。あやつはお前さんの自慢の庭師になれたか?」
「ええ、もちろんですとも。サムはわたしの大切な庭師です。素敵でしょう?」
「素敵かどうかはともかく、忠誠心だけは有り余っておるようじゃの。」
そう言って、フロドとガンダルフは大笑いしました。ちょうど、サムの皿洗いも終わったようでした。
「何を笑ってらしたんで?ガンダルフの旦那、フロドの旦那?」
サムが腰に巻いたエプロンで、濡れた手を拭きながらやってきました。フロドとガンダルフはふっと視線を合わせて、にっと笑い、サムにそろって向き直りました。そしてフロドが一言こう言いました。
「内緒だよ、サムや。」
とても美しく、静かな晩でした。そして、とても愉快な晩でした。
おわり |