Color of spring

 

 これは、フロドと小さなサムのちいさなお話です。 

 冬のなごりの小さな寒さが完全に和らいできたホビット庄に、新緑の季節がやってきました。あらゆるところにちいさな緑の芽がふき、灰色や茶色だけだった世界が色を取り戻してきました。眠っていた種たちが、一斉に空を目指して立ち上がる、ホビット庄の一番良い季節です。
「うん、いい気分だ。」
珍しくサムに起こされず、一人で目覚めたフロドが言いました。かれは朝日の入る寝室の窓を大きく開き、部屋に入ってきた光とやわらかな風にうっとりとして目を閉じていました。
“トントン”
小さな音が聞こえました。フロドは、ああサムが来たんだな、と思いました。それから、今日はきっと残念そうな顔をするんだろうな、とも思いました。そして、起きているフロドを見てちょっと悔しそうにおはようごぜえますだと言う、小さなサムを想像して、フロドはふふっと笑いました。
「お入り、サム。」
フロドがそう言うと、案の定、少し困ったような顔をした小さなホビットが一人入ってきました。
「おはよう、サムや。」
フロドは寝巻のまま、後手に何かを持っているサムに視線を合わせるためにしゃがみました。
「おはようごぜえますだ、わかだんな。」
サムはまだよく回らない口でそう挨拶をして、ちょっとうつむきました。小さなサムの朝一番の仕事は、フロドを起こすことでした。今日はそれがなくなって、サムはちょっぴり悔しそうでした。
「ほらほら、こっちをお向き。」
フロドがそんなサムに、言葉を続けました。
「床なんか見ていないで、わたしにお前の綺麗な目を見せておくれ。」
主人にそう言われては、サムは従うしかありませんでした。ですからそっと上目遣いにフロドを見ました。そこにはいつもと変わらない、美しいフロドの瞳がありました。いつもフロドはサムの目が綺麗だと言います。小さなサムにはそれが不思議でたまりませんでした。フロドの澄んだ青い瞳以上に美しいものはないのに、フロドはサムのありふれたホビットの持つ茶色い目をきれいだと言うのでした。ですから、今日もなんだかサムはどこかくすぐったいような表情をしていました。サムがそんなことを考えているとは知らず、フロドは方眉をちょっとあげてサムに話し掛けました。
「今朝はどんな花を持って来てくれたんだい?」
いつの頃からでしょう、サムは毎朝家からお屋敷に来る途中で見つけた花を一輪、フロドの寝室に持ってくるのが習慣になっていました。そんな素敵な心遣いに応えるために、フロドの寝室には小さな花瓶が置いてありました。たいていいつもは野に咲く名も無い花を、サムは持って来ていました。しかし今日はなんだか違うようでした。
「ほら。」
こう言って、楽しそうに花を催促したフロドに、サムはちょっとためらって、それから手を前に差し出しました。そこには、まだつぼみのチューリップの花がありました。緑の中にほんのり薄いピンク色が混じって、もうすぐで咲きそうな、きれいなつぼみでした。
「これは・・・」
フロドはちょっとびっくりしてそう言いました。これはとっつぁんがビルボの寝室の窓の下に、たくさん植えておいたチューリップのひとつです。しかもまだつぼみです。いつもなら、サムはこんなことを絶対にしませんでした。とっつぁんの花畑から花を持ってくることも、つぼみのままの新しい命を奪うことも。ですからフロドは驚きました。そしてちょっと悲しい顔をしました。何も言わずに。しかし、目の前にいる小さなホビットの口から出てくる言葉は、そんなフロドの気持ちを救ってくれるものでした。
「フロドのわかだんな、おらをゆるしてやってくださいますだか?こいつは、はたけでおれまがってたんですだ。こいつは、せっかちだったようですだ。あんまりはやく、おひさまにちかずこうとしたみてえなんです。それで、ほかのみんなより、ずぅっとせがたかくなっちまったんです。だから、おおだんなのまどにはさまって、ぽっきりとおれちまったんですだ。さっきみつけたんですだ。おら、まよいました。このままにしておいたほうがいいんじゃねえかって。でも。わかってくださいますだか?このままじゃ、こいつはつぼみのままでおわっちまいますだ。でも、おらがとってきて、わかだんなのかびんにさしときゃ、もしかしてきれいにさけるかもしんねえって・・・」
サムの言葉はつたないものでしたが、そのまっすぐな瞳は一生懸命でした。あまり一生懸命になって、どうにかしてフロドに分かってもらおうとしたので、サムのほっぺたは赤くなっていました。
「そうかい、そうだったのか。」
途切れてしまったサムの話を、フロドは笑顔で受け止めてやりました。
「お前はやさしいね、サムや。」
そうして、フロドはなんだか暖かくなった自分の心を感じました。それからサムの頭をそっと撫でて、小さなサムの体をぎゅっと抱きしめました。
「だ・・だんなぁ?」
突然の柔らかい感触にびっくりしたサムが声をあげましたが、フロドは嬉しそうに笑うばかりで離してくれませんでした。
「いい子だね、本当にお前はわたしの自慢のホビットだよ!」
それからサムをひょいっと両手で持ち上げたフロドは、くるくるっとたかいたかいをしました。
「あははっ!」
そうやって笑うフロドに、サムは自分の言葉が通じたのだと、やっと分かりました。そこでやっと、サムは今日はじめて、えへへと笑いました。
 

「あ!」
まだサムを抱えて嬉しそうにしているフロドに、サムが大きな声をあげました。
「はやくしねえと、つぼみがだめになっちまう!」
そこでちょっと、はっとしてフロドがサムを床に降ろしました。
「そうだったね、まったくわたしはなんてまぬけなんだろうね!」
今度はフロドが照れたように笑い、綺麗な水の入った花瓶をサムの前に差し出しました。そうしてちいさなつぼみは花瓶に生けられました。それを見て、サムがなんだか満足そうににこっとしてフロドに微笑みかけました。フロドは、その笑顔があまりに可愛らしくて、あまりにいとおしくて、思わずサムのその小さな鼻のてっぺんにキスをしました。
「・・・!?」
まだちいさいサムには、それがどんな意味を持つのか分かりません。しかし、なんだか嬉しくなりました。そしてフロドをもう一度見て、今度はつぼみを見て、にっこりとしました。そして、チューリップのそのつぼみに、さっきフロドがサムにしたように、小さくキスをしました。
「おら、フロドのわかだんながおらにこうやってしたとき、うれしかったですだ。だから、おらもこいつにそれをわけてやりましただ。きれいにさきますようにって!」
びっくりするような可愛らしい仕草と言葉に、フロドはしあわせではちきれそうになりました。
「ああ、サムや!」
そうしてもう一度サムを抱きしめて、今度はほっぺたにキスをしました。
「えへへ、くすぐってえですだ。」
サムはそう言ってちょっと顔をしかめましたが、フロドの幸せそうな顔を見ているうちに、なんだかまた嬉しくなってきました。そして、フロドにぎゅっと抱きつきました。そして、今度こそきちんと朝の挨拶をしました。
「おはようごぜえますだ、フロドのだんな。きょうもいいひでありますように!」

 次の日の朝、そのチューリップは静かに花びらを開きました。他のビルボのチューリップたちと同じように。それはそれは美しい花でした。ふわっと膨らんだ花弁と、かすかな良い香り、そしてやわらかくて淡いピンク色が、部屋の中に春を運んできたようでした。そしてホビット庄では、春の色がそこかしこで花開いてゆくのでしょう。今日も、いい天気になりそうでした。

おわり