26・新しい世代へ
ある日突然のことでした。サムはフロドの所にやってきてこう言いました。
「ねえ旦那。おら、すっかり忙しくって忘れちまってましただ。せっかく今まであったのに、どうしたこってしょう。この馬鹿サムワイズを叱ってやって下せえ。」
そうしてサムがフロドの前に取り出したものは、ガラドリエルの奥方にもらった小箱でした。
「あけてごらん。」
フロドはやさしくそう言いました。サムはその言葉をずっと待っていたかのようにいそいそと、それでも出来うる限りの丁寧さで、そっと箱のふたを持ち上げました。するとそこにはやわらかくて細かいそしてどこか美しささえ感じられる灰が沢山入っており、その真ん中に銀色の光を放つ種子がひとつだけ入っていました。
「これを一体おらはどうしたらいいでしょう?」
サムは喜びと興奮で頬をうっすらと染めながらフロドに聞きました。
「お前はどうしたらいいと思うんだい?お前の持てる限りの知識と知恵を持って、どうしたら一番いいか考えるんだ。これはこの一粒全てに奥方様の恩恵を授かっているのだからね。」
「ええ、ええ。おらこれを独り占めしちまうのはとってもできねえこってす。これを使ってみんなに喜んでもらえるようにしようと思いますだよ。」
「そうだね、やっぱりお前はすばらしいホビットだよ。お前の思ったとおりにするんだ。」
そうして微笑んだフロドに、サムはまるでガンダルフの花火をこっそりもらった子供のような顔をして笑いました。
サムはそれから、ホビット庄の木々全ての根元にそれを置いてゆきました。ここの美しい緑が続くように。ここの木陰がずっとみなを休ませられるように。そして銀色の種を誕生祝の原に植え、大切に大切に育ててゆきました。そしてそれは驚くべきはやさで成長し、春が来ると銀色の幹に長い葉をつけたその木には、金色のマルローンの花を咲かせました。この木はその美しさであまねく知られるようになり、そしていつかこの地にある最後のマルローン樹となっていました。その年は、まことに豊穣の年となりました。果物は余りあるほど収穫でき、パイプ草の出来高は最高のものとなりました。そしてその年に作られたビールの出来は後世まで伝えられるほどのものになりました。
サムは毎日、袋小路屋敷と村と、それからコトン家と、それにとっつぁんの家を言ったり来たりしていました。それはサムが村中から頼りにされ、家の仕事もし、そしてフロドの身の回りの世話もしているからなのでした。それではあまりにサムが忙しすぎます。見るにみかねたフロドは、ずっと言えなかった、あることをサムに提案することを決意しました。それはビルボがいる間にはとても言い出せなかったこと、そして自分の行く先がはっきりと見えない時には言おうとも思わなかったことでした。ただ、フロドはこの地での自分の時間がもうそんなに長くないことが分かっていました。エルロンドの言葉の日はもうすぐやってくるでしょう。それならば、フロドはこの屋敷にサムとその愛するものたちを迎え入れようと、ひそかに思い続けていました。ですからそんなある日、フロドはサムに言いました。
「サムや、お前この袋小路屋敷に引っ越してはこないかい?」
サムにしてみれば、それは驚くべきことであり、それにちょっとだけばつのわるいことでした。今まで一緒に暮らしていなかったからこそ、保たれてきた色々なものが崩れることも頭をよぎりました。それにサムにはもう一つ、フロドを苦しめることを心に抱いていたのでした。複雑なサムの顔を見て、フロドはそっと付け足しました。
「もちろん、お前が来たくなきゃ来なくてもいいのだよ。ほら、そんな顔をしないでおくれ。」
するとサムは、少しだけ頬を紅色に染めてうつむきました。とてもフロドのその目を見ては言えませんでした。サムはフロドを愛していましたし、フロドはきっとそれ以上の愛情でサムを見ているのでしょう。でもサムには、もう一人だけ幸せにすべきホビットがいたのでした。
「そうじゃねえのです、フロドの旦那。ロージーですだ。あの娘はおらが帰ってくるのをずっと待っていたんですだ。昔のビルボ大旦那の誕生パーティーを覚えてらっしゃいますだか?ダンスの時、旦那がおらをロージーの方へとやったでしょう?その時も、今までも、ずっとおらは気持ちを打ち明けたわけじゃなかったんですだ。それでもあの娘は、分かっちまったと言いました。そしてそれが嬉しいと。おらは・・・」
サムはぽろぽろと涙をこぼしました。それはなぜ出てきたのか分からない涙でした。それはあまりに幸福で、それはあまりに切ない瞬間でした。
「おらの気持ちはふたつに引き裂かれて・・・」
フロドはふっと瞳の中に暗い影を落としましたが、すぐにそれを振り払いました。そして出来ることなら明るい声で、そっとそのサムの背中を押してやれるような祝福の調子で言葉を出そうとしました。しかしそれでも震える声を抑えることはできませんでした。しかし思ったよりはうまくできたようです。フロドは確かに微笑んでいられることができました。サムの目の前に立っている今の瞬間だけは。
「分かっているよ、サムや。お前は結婚したいんだね。ロージーはいい娘だ。わたしのことも、お前のこともとってもよく分かってくれている。それに何よりお前を大切にしてくれる。お前はそれでもわたしと一緒にここで暮らしたいと思っているんだね?」
はっとしてサムは顔をあげました。
「何を迷っているんだい、わたしのサムや。ロージーと一緒にここに越しておいで。ここには大家族が住めるだけの広い場所があるのだから。」
そうしてサムは、ロージー・コトンと結婚し、二人で袋小路屋敷に引っ越してきました。新しい生活は、こうして静かにはじまったのでした。
「癒えない傷」に続く。 |