24・新しい時代

 

サムは、まだ時の流れについて行けないでいました。フロドはそれが分かっていたことのような、それでいてまだ実感のわかないような、不思議な感覚に襲われていました。
「だって、信じられますだか、フロドの旦那?」
フロドとサムはすっかり汚れた身体を洗い流し、木漏れ日の複雑な模様のかかるなめらかな地面を歩いていました。石でできた白き都、ミナス・ティリスの王の戴冠式に向かっているところなのでした。
「なんだかよく分からねえことだらけですだ。どうしてメリーの旦那やピピンの旦那がどこかでっかくなっちまってるんだか、おらにはどうしても分かりませんだ。それにお二人が違う服やら鎧やらを着てたのも、おらは見ましただよ。あれはどう見ても大きい人たちのもんですだ。ずいぶん立派になられちまって、おらはどうしたらいいんだかと思いましただよ。ガンダルフ旦那は相変わらずですだがね、なんだか白くなっちまって、ちょっとだけ遠い気がしますだよ。人使いが荒いのも、目をきらっとさせて片目をつむるのも前とおんなじですだがね。それに馳夫さんですだよ!王様って言われて、すぐにおら分かるわけねえですだよ。でもね、旦那。おら思ったですだ。ああ、王様なのかって、そう思った瞬間に、妙に納得しちまったんですだよ。なんてこった、畏れ多いとか思う前に、ああ、そうなんだ。安心したって思っちまった。不思議なお人ですだ。なんだか、エルフみてえなお人になっちまっただかっておらは思いましただよ。レゴラスの旦那とギムリの旦那だけは、どっこも変わっちゃいねえですだね。おら、思わず笑っちまいましただよ。だって、お二人とも相変わらず仲がよくって、つまんねえ維持の張り合いをしてても嬉しすぎて浮かれてるみてえなんですだ。おら、それも楽しくって仕方ねえって思いますだよ。」
フロドは黙って、静かに微笑みながらサムの話を聞いていました。時折うなずいては、サムににっこりと笑いかけました。その笑みはあまりに美しく、そしてあまりに透明でした。サムはそのえも言われぬ表情に思わず引き込まれそうになり、そして涙が出そうになりました。立ち止まってフロドの目を見つめて止まってしまったサムに、フロドはおかしそうに笑って言いました。
「ほら、どうしたんだい、サムや。行こう。みんなが待ってる。」
そうしてフロドはサムに近づき、そっとサムの唇に触れるだけのキスをしました。ぽっと、サムの頬が音を立てて赤くなったようでした。フロドの頬にも、ほんの少しだけ朱がさしていました。サムはそんな自分を見られぬよう、顔を前に向けました。そしてフロドの手を半ば強引に掴んで、先に立って歩き出しました。もうすぐそこは、みなの集まるミナス・ティリスの白い木のもとでした。
 

そこにはもう、大勢の人々が集まっていました。そのどの顔もが過去を背負い、それでもなお未来に希望を見出し、そして新しき御代とそこにいるものたちを祝福していました。ホビットたちは、その式典がどう行われているかあまり見えませんでした。ただとうとうと流れるアラゴルンの声は、耳に心地よく響き、そして頬をなでる風が運んでくる白い花弁は甘く匂い、髪をかすめてふわりと地面に降り立ちました。
「今こそ王の御代は来たれり。」
ガンダルフの声が朗々と響き渡りました。その御代のはじまりを喜びたたえ、幸福ではちきれんばかりの拍手が沸き起こりました。ホビットたちも、そのあまりに荘厳で美しく、心を揺さぶるこの始まりに巻き込まれ、ぼうっとする頭を懸命にしゃきっとさせようとしていました。ホビットたちは何も言いませんでした。幸せと誇りでいっぱいで、胸がふさがって何も言えなかったのでした。ふと、目の前の大きい人たちの群れが自分たちの前でぱっかりと分かれました。何事かとホビットの誰もが不思議に思って首をかしげると、そこには立派な王が、なじみ深い馳夫が、そのどちらでもあり、そのどちらでもない人物が立っていました。その横には今まで見た中で最も美しく光輝く宵の明星、アルウェン・ウンドミエルが佇んでいました。はっとして、フロドたちは頭を下げました。ほんのちょっぴり寂しさを抱えてです。今ここにいるのは確かにあの馳夫には変わりないはずでありますが、それ以前にかれはもう、この地の王なのでした。しかしホビットたちは次の瞬間、あまりにびっくりしすぎて今度こそ言葉をなくしてしまいました。
「わが友人たちよ!」
アラゴルンの声がすぐそばから聞こえました。不思議に思ってそっと目だけ上を向いてみたホビットたちは、そこに膝をつく王を見ました。
「君たちは、だれにも頭を下げることなどしなくてよいのだよ。褒め称えよ!真なる勇者、小さき人たちを!」
はっとして顔をあげたホビットたちは、そこに信じられないものを見出しました。そこにいる全ての人々が、自分たちを取り囲み、いっせいに膝をついて首を垂れたのです。その顔のどれもが微笑み、そして喜びと涙が共に溢れ、その静寂は滔々と流れてゆきました。

  「別れと帰郷と」に続く。