15・アルゴナスの門
翌日、一行は小船でロスロリアンを去ることになりました。もはや別れの杯が飲み交わされ、ガラドリエルの奥方からそれぞれ贈り物を頂きました。アラゴルンには自分の生まれた時に名乗る事になるであろうさだめられたエルフの石を。ボロミアには金のベルトを。メリーとピピンには小さな銀のベルトを。レゴラスにはガラズリムたちと同じ、エルフの髪が張ってある弓を。そしてドワーフであるギムリは奥方様の髪の毛をいただきました。それはエルフとドワーフの、森の山の友情の印でもありました。サムは
「庭師であり、木を愛するそなたには、ほんのささやかな贈り物しかありませぬ。」
そう言って奥方様からルーン文字でGと書かれた小さな木の小箱をいただきました。ガラドリエルの奥方は言いました。
「これはそなたを旅の危険や恐怖や不安からそなたを守るものではありません。しかしこの土の一粒一粒にはガラドリエルが今尚与えられうる恵が授けられています。エルフの春や夏はもはや終わりました。しかしそなたがもしこの小箱をそなたの故郷へ持って帰り役立てる事ができたなら、そこがどれほど不毛な荒地と化していても、ここロスロリアンを髪間見る事ができるほどの芳醇な大地となるでしょう。」
サムはフロドに見つめられた時と同じように耳まで赤くなり、聞き取れない言葉をもそもそと言いながら箱をぎゅっと握り締め、精一杯のお辞儀をしました。そして奥方様は最後にフロドに向き直りました。
「指輪所有者よ、そなたにはエレンディルの光を。そなたの周りが夜で覆われる時、暗き場所で闇にのまれ、他の光がことごとく消え去った時、これがそなたのあかりとなりますように。」
そう言って壜を受け取ったフロドは一瞬それがまぶしいほどの光を放ったと思いましたが、そのむこうに見える奥方様はもはや怖ろしくありませんでした。フロドもサムと同じように、言うべき言葉が見つからず、ただ頭を下げました。
3艘の小船で一行は大河アンドゥインを下り、ロスロリアンを去りました。メリーとピピンはボロミアの船に。レゴラスとギムリは二人で、フロドとサムはアラゴルンの船に乗りました。小船は大河の流れに沿って進みだしました。辺りが暗くなる頃にはロスロリアンはもはや遠く、エルフたちの歌声ももう届きませんでした。フロドは船に打ち寄せる水の音を聞いていましたが、やがてサムにもたれかかり、不安な眠りに落ちていきました。フロドは朝になるとサムに起こされました。気がついてみるとかれは毛布にすっぽりとくるまれ、大河アンドゥインの西のほとりにいました。しかしまた朝日がしっかりと昇ってしまう前に一行はまた南へ出発しました。しかし南へ行きたいと願っていたものは大多数ではありませんでした。ともかくかれらはラウロス滝のぎりぎりのところまでは共に行こうとしていました。河の流れはみなの想像していたよりもはるかに速いものでした。サムはその船の中で、色々な事を感じていました。サムは船なるものが、自分が信じ育ってきたよりは危険ではないにせよ、大変居心地の悪いものだと決め付けて体をこわばらせて惨めな気持ちでいました。河の両岸の森は秘密の目を持ち、待ち伏せする危険を隠し持っているかのように敵意の満ちたものに見えていました。それにサムにはもうひとつふたつ気にかかることがありました。
それはボロミアのことでした。ボロミアはロスロリアンを出た頃から様子がおかしかったのでした。ボロミアは突然アラゴルンの船の真後ろに船を漕ぎ進めたりしていました。そんな時、サムはボロミアのフロドに注がれる視線に異様な光を認めました。なぜかはサムには分かりませんでしたが、その視線にフロドをさらしたくないと思いましたので、たえずフロドの後ろへかばうように座っていました。もう一つのことは船の後ろから流れてくる一つの丸太ん棒でした。サムははじめは夢かと思っていました。丸太はロスロリアンを出てどれくらいたったか知らない頃に現れ、それ以来ずっと船と同じ速度で河を下っていました。それにとうとうサムはその丸太に目があるように思えたのです。不安が募ってサムはとうとうフロドにその事を野宿するために岸へ船をつけ、毛布にくるまってフロドの隣に横になった時に言いました。
「ごめんなせえまし、フロドの旦那。おらおかしな事を見たような気がするだ。」
サムはなんと言ったらよいのか分からずに、自分の不安をできるだけ主人に伝えようと口を開きました。
「もしかしたらおらの夢かもしんねえですし、おらの見間違いかもしんねえです。でもおら。目のある丸太ん棒をここ何日も見たような気がしてしょうがねえです。おかしな、というか奇妙なもんですだ。おらたちは船で、それもおらには好かないもんですが、河を下ってるです。丸太も下るのが筋ですだ。ですがそいつはおかしいんで。まるでおらたちと同じように下ってるんで。ずっとおらの夢だと考えておりましたが、今ではその自信もねえです。フロドの旦那、旦那はどうお考えで?」
フロドはサムもこの事に気がついていた事に多少驚いていました。
「わたしもお前が寝ぼけていたと思っただろうよ。もしこれをはじめに言い出したのがお前だけだったらね。だがわたしは森のエルフにも同じ事を言われていたのだよ。それに私自身もそいつを見たような気がしている。」
「そいつはゴクリっちゅう名じゃなかったですかい?」
サムは思い出すのも嫌そうにビルボの話に出てくるぬるぬるの生き物の名をあげました。
「そうだ。そいつだよ、わたしの恐れていたものは。」
フロドはそう言いました。
「わたしが思うに、あいつとわたしたちの距離は今までになく縮まっている。」
「そんなら馳夫さん方を煩わせる事でもねえ。今日はおらが目のある荷物を見張りますだ。」
「それなら頼むよ、サム。だがね、必ず朝になるまでにわたしと変わるんだよ。お前も休まなくてはいけない。必ずだよ。」
フロドはそう言ってサムの膝元に横になり、サムは起き上がってフロドの隣に座り、見張りをしました。
真夜中ごろ、フロドは深い眠りから覚めました。サムに揺り起こされたのです。
「旦那をお越ししたりして面目ねえです。でもおいいつけでしたので。なにかぽちゃっと水のはねたような音と、くんくんにおいをかぐような音まで聞こえたんで。でもまたおらの空耳かもしんねえです。」
そうしてサムは横になりましたが、フロドは暗闇を見つめ、時がたつのを待っていました。するとどうでしょう。黒くて夜の光にぬらぬらと光るものが河からあがろうとしていました。フロドはつらぬき丸を抜きました。するとそれは急に姿を消しました。その水音にアラゴルンが飛び起きました。
「われわれはもっと早く船を漕がねばならんようだ。」
そう言ってアラゴルンはフロドに眠るように言いました。見張りを頼み、フロドはサムの横になってまた不安定な眠りに落ちて行きました。それ以来ゴクリを見たものはいませんでした。
何日もの船旅でみな疲れていました。サムの言うほどではありませんが、この不安定感が心を落ち着かないものにしていた事は確かでしたので、アラゴルンがフロドの方をたたくまで、誰もアルゴナスの門のすぐ側にきていることに気がつきませんでした。
「フロド、あれがアルゴナスの門、王たちの柱だ!」
フロドとサムはアラゴルンと二つの石像というにはあまりに大きなアルゴナスの門をかわるがわる見ました。そこにいたのはいつもの野伏の馳夫ではなく、イシルドゥアの末裔アラソルンの息子アラゴルン、エルフの石エレスサールでした。その絶壁に作られた王たちの姿は今尚偉大な力と威厳をとどめ、とっくに消滅した物言わぬ国の守り手になっていました。サムとフロドは畏怖の念に襲われて、身を縮めるよりほか仕方ありませんでした。3艘がこの門をくぐりぬけるとそこは長円形の湖、水うす青きネン・ヒソイルでした。これで一行は立ち止まらざるを得ませんでした。ロスロリアンから出てはや10日が過ぎようとしていました。ここでかれらはこれからの行く先を決めなければなりませんでした。
「一行の離散」に続く。
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