夜明けのない国 purple 2

 

 燃料を手に入れ、要らないものを売り、必要なものを買い、あとは泊まる場所を探すだけとなった一台と一人は、街灯に照らされた道をゆっくり進んでいた。
「なかなかいい質だった・・・」
エルメスが不本意そうに言った。
「よかった。これで当分燃料の心配はしなくていいわけだ。燃料はタダ、食事は安くて多くておいしい。今のところ文句は一つもないかな」
そうしてぱんぱんにはちきれそうに積んだ荷物を満足そうに見たキノは、あたりを少し見渡して口を開いた。
「それにしても、一体今はどれくらいの時間なんだろう。ずっと夜みたいで妙な気分だよ。ずいぶん夜遅い気もするし、まだ普通なら明るい時間の気もするけど」
そう言って、キノは首を上に向けた。そこには火山の壁がおおっている、真っ暗な『屋根』があった。
「空には星がなくて、地面に星があるみたいに見える」
今にも後ろにひっくりかえりそうになって上を見続けるキノを、呼ぶ声があった。
「旅人さん、うちへ泊まりに来てもらえないかね?」

 ひょいと顔を元の位置に戻したキノは、声のする方を見た。そこには、人のよさそうな腰の曲がった老人がいた。
「わしのうちは、温泉のある小さな宿をやっとるんだ。古いけどな」
「へえ、じいちゃんちも温泉宿なんだ」
エルメスの問いに、少しびっくりしたような顔をして、老人はそれでもにっこり笑って答えた。
「長く生きとると、面白いモトラドに会えるもんだ。そうだよ。間欠泉が近くにあってな。昔は流行った時もあったが、最近めっきり客足が途絶えてな。どうだい、旅人さん?」
キノは、うーんと考えて、ほんの数秒で宿を決めた。
「はい、お願いします」
カードを取り出したキノを見て、老人はにこっと笑って言った。
「そんなもんは、いりゃせんよ。うちのばあさんに、旅の話を聞かせてやってくれればそれでいい」

 キノが案内されたのは、質素な、でもしっかりした作りの宿だった。少し町外れにはあるものの、手入れが隅々まで行き届いており、清潔な感じがした。それに、あたたかい灯がたくさんともっていた。だが客は、キノ一人とエルメス一台だけだった。
「とても気持ちのいいところですね。ご夫婦で宿をやってらっしゃるんですか?」
荷物を部屋に置き、老人にこっちに来てくれと言われてその後に従ったキノが聞いた。どこもかしこも草や木でできた床だったので、エルメスは部屋から庭への出先の軒に置かれていた。
「いいや、今はわしだけだ。ばあさんはずいぶん前から身体のあちこちが悪くてな。ずっと寝とるんだ。だから、外の話を聞かせてやると喜ぶんだよ。でもな、最近の旅人さん方は忙しい方が多くてな、ちっともゆっくりしていってはくれんのだよ。あんたは、ゆっくりしてってくれるといいと思っとるんだがね」
そうしてにっこり笑った老人は、少しだけ淋しそうだった。
「そうですか」
少しだけ首をかしげたキノはそう答えた。

 キノが案内された部屋には、人だったものがベッドの上に横たわっていた。
「ほれ、ばあさん。久し振りにまた旅人さんが来てくれたよ。」
そうして白骨に話しかけた老人は、そっとその布団の端をめくって、そこから覗いた白い指だったものを愛おしそうに触った。
「旅人さん、どうかそこに座ってくださらんかね。ばあさんも、嬉しそうだ。こんな嬉しそうな顔は、久し振りに見た」
老人の顔は、とても幸福そうに見えた。差し出された椅子に座ったキノは、少しだけ老人を見つめ、そしてゆっくり口を開いた。
「そうですね、では・・・」
淡々と紡ぎだされるキノの声は、宿と同じように清潔にされた、主のいない部屋に夜半すぎまで響いていた。

「おかえりー」
大きな窓のすぐ外から、声がした。
「・・・ただいま、エルメス」
「ずいぶん遅かったけど、何かおもしろいことでもあった?」
「・・・・・・」
返事はなく、かわりにどさっとベッドに倒れる音がした。
「エルメス、どういう事が・・・って言うのかな・・・」
「え?」
「なんでもない」
そして、それきり静かになった。

 次の日、キノは真っ暗な中で目を覚ました。外を見ると、そこにはいつも見えていた朝日はなかった。かわりに、街の灯が小さく沢山見えた。それは地上に降りてきた星空のようだった。手元のランプに灯をつけ、キノはパースエイダーの整備をし、何度も抜き打ちの練習をした。少しだけ汗をかく頃、携帯食料を出して少しだけかじった。エルメスは起こさなかった。そしてまたキノは、老人とその連れ合いだったものに話をしに出かけた。

「おかえりー」
また昨日と同じようにエルメスが言った。
「・・・ただいま」
「今日はどうしちゃったのさ。起こさないでくれたのはいいけど、一日中ほおっておかれたからつまんなかったよ」
「・・・・・・」
また、答えはなかった。少しだけ荷物をいじる音がごそごそと聞こえ、やがて止んだ。

続く。