夜明けのない国 purple 1

 

 高くそびえる山の裾野を、一台のモトラド(注・二輪車。空を飛ばないものだけを指す)が蛇行しながら走っていた。
「ちょっと、ちょっと!キノってば!」
少年のような声が聞こえた。
「何さ、エルメス」
別の声がどこか楽しそうだが気の無い返事をした。少し高めのその声の持ち主は、小柄な身体に黒いジャケットをはおった旅人だった。腰にまいた茶色のコートを自らがたてる風に煽らせ、そのはためきの隙間からはハンド・パースエイダー(注・パースエイダーは銃器。この場合は拳銃)がのぞいていた。
「キノ!もう少しさ・・・」
少年のような声が何かを言いかけた瞬間、モトラドは大きく傾き、旅人も身体を傾けた。ざりざりとタイヤと地面がこすれる音がして、大小の石が道の脇に飛び散った。
「ちょっと!いいかげんにして!」
悲痛な響きを持った声をあげられ、キノと呼ばれた旅人は少しだけグリップを戻して速度を落とした。
「別にいいじゃない。この道は結構滑りにくいし、今までだって一回しか転んでないし、怪我だってしていないし」
「よくない!もう一回も転んだんじゃないか!山道でそんな走り方したら、いつかどこかに飛んでいくに決まってる」
「大丈夫」
「大丈夫じゃないよ!まったく。キノはいつも無茶苦茶。モトラドのことなんて、これっぽっちも思っちゃくれない」
少しだけ憤慨したように、キノが答えた。
「そんなことないさ、エルメス。ボクだって、ちゃんと自分の腕前と、のぼり道だってことと燃料の残りを分かってやってる。エルメスが壊れることなんて、まあ、多分ないような気がするくらいな感じで運転してるさ」
「そんなセッションな・・・」
「・・・まさかとは思うけど、殺生な?」
一応聞くだけ聞いて、キノは少しだけ満足そうに前を見た。
「ほら、もう入り口が見えてきた」
そこには、山の中にぽっかり口を開けたような暗い場所があった。

 

 だんだん暗くなっていく道を、今度はさっきより多少慎重になりながら、キノはエルメスと下っていった。下の方は陽の光が入らず真っ暗に見えたが、そこには無数の光が瞬いていた。
「この前の国で出会った旅人が教えてくれたんだけど、この国は一年中天然のお風呂が入り放題なんだ。燃料もくれるんだ。タダで」
嬉しそうにキノが言った。
「モトラドにはあんまり歓迎できない場所だね」
エルメスがぶすっとした声で答えた。
「硫黄は車体によくない影響を与えるし、燃料の質だって悪いに決まってるさ」
「そんなことないかもしれないよ。それに、タダなんだ」
また嬉しそうに、キノは言った。
「ここは一日中陽が射さないんだって。それでも生きていけるなんて面白いと思わないかい、エルメス。それに、あったかいし」
ついでのようにキノが言うと、今度はエルメスが気の無い返事をする番だった。
「ふーん」

 

 ずいぶん入り口から下ってきた場所に、一つだけ大きな門があった。道はそこに吸い込まれており、そこには数十箇所の受付と、数十人の事務員たち、それに受付を待つ人々がいた。
「ようこそ、旅人さん」
数十箇所あるうちの一番空いている受付に、エルメスを牽いて歩いてきたキノを見て、事務員のうちの一人が言った。
「この国に滞在をご希望ですか?」
「はい、一人と一台。三日の滞在を希望します。ええと、それであの・・・」
少しだけ、キノが上目づかいに事務員に問いかけた。
「あの、燃料が頂けると聞いたんですが」
「ええ、もちろん。わが国では無料で燃料、温泉施設等を提供しています」
事務員が、書類に何かを書き込みながら言った。そして出来上がった書類を機械に通し、キノとエルメスの方を向いてにっこりと笑った。
「改めて、ようこそわが国へ。ただ今、旅人さんへの提供施設や設備、その他燃料などの手配をしております。ほんの数分で済みます。お待ちいただけますでしょうか。」
「ええ、もちろんです」
「うん、いいよー」
返事を聞いて、事務員はまた小さく微笑んだ。
「では、待っている間にわが国の話でも少しいたしましょう。ご説明させていただいてもよろしいでしょうか。」
丁寧な口ぶりは手馴れており、キノはそれにつられるように、にこっと笑った。
「是非、お願いします」

一呼吸おいて、事務員は慣れた口調で話し始めた。
「わが国はこの山の火口深くに大昔に作られました。もう記録にあるかないかという程の遠い昔に一度だけ、この山は噴火しました。その時に出来た火口に国が作られたのです。もうここまで降りてきてお分かりかと思いますが、この国は、その火口の山陰にあり、一日中陽が昇りません。土地も硫黄や火山ガスによって痩せています。しかし、豊富な地熱エネルギーと、ガスから燃料を作る技術ができたおかげで、かなり裕福な生活が全国民に保障されているのです。さらにここには良質の温泉が湧いており、観光には高貴な方々も大勢おみえになられます。そしてあなた方のような旅人さんも大勢いらっしゃいます。そして、わが国の観光産業の発展に貢献していただける旅人さんは優遇されています。ですからどうぞ、わが国でごゆっくりなさって、楽しいひと時をおすごし下さい」
流れるような説明を聞き、キノはつられた笑顔を少しだけ崩して問いかけた。
「あの、火口とおっしゃいましたよね?ということは、ここはもし山が噴火したら、真っ先に飲み込まれるわけですよね?」
「ええ、そういうことになりますね。でも、近代観測史上、一度も噴火は起きていません。ここは休火山から死火山への移行時期の山とみて間違いないと思われます。ですからご安心下さい。ここは安全な国ですよ」
「そう・・・ですか」
「それに万が一噴火の兆しがわずかでもございましたら、すぐに避難指示が出される事になっております。わが国の地熱や地震に関する研究は、とても発達していますから。さらには、非難ルートも半年ごとに整備され、国民への避難訓練も徹底しておりますので、誰一人欠けることなく国外へ逃れる事ができます。もちろん、旅人さんも」
「へえー」
「そうですか」
エルメスとキノがそう言うと、さっき書類を通した機械から、何か別の書類とカードが出てきた。
「はい、手続きは完了いたしました。このカードをお持ちくだされば、どこの温泉宿でも無料でお泊りいただけます。それから、燃料やエネルギー類の供給も受けられます。この地図は、あらゆる非難経路を記したものです。まあ、使う事はないと思いますが、これもきまりですから。それでは、よい滞在を!」

続く。