遠い国 High technology

 広い広い、どこまでも続く平原を、一台のモトラド(注・二輪車。空を飛ばないものだけを指す)が走ってゆく。そのモトラドに、一人の旅人がまたがっていた。黒い髪に、精悍な顔つきをもつ。右腿にパースエイダー(注・パースエイダーは銃器。この場合は拳銃)のホルダーが見える。年は、10代のなかばごろ。モトラドの荷台には荷物が満載されており、ぞんざいに、だがしっかりとくくりつけられた茶色いコートが風にはためいていた。
「もういいかげんに食べたら?」
モトラドがたずねた。
「あと少し。」
旅人が答えた。
「朝からずっとそう言ってる気がするんですけど。いいかげんに目測を誤ったって認めたら?キノ。」
「そこに見えてる。あと少しだよ、エルメス。今まで広い場所にいたから、距離感がなくなっていただけさ。小さい国なんだよ。それに今まで半日以上走ってきたんだから、きっともうすぐ着くはずさ。それに、」
キノと呼ばれた旅人は、そう答えてゴーグルを少し額に上げ、また戻した。
「それに?」
「こんな白骨だらけの場所で、ご飯なんか食べたくないし眠りたくもないね。」
「またお腹が減りすぎて倒れても知らないよ。あ、まさかおばけが怖いとか言うんじゃないだろうね、キノ。そんなに嫌ならあの国に行かなきゃいいのに。」
「あの国は、旅人にとても快適な環境を与えてくれることで有名なんだ。宿も、食料も、必要なもの何もかもを提供してくれる。話を聞いた旅人たちは、みんなそう言ってた。それに、お腹がすいたからってこの前の二の舞はしないさ。」
「本当だろうねぇ。キノはよくても」
「こっちが困る、かな?」
「分かってるんじゃん。」
まだ何か言いたそうなモトラドの言葉を沈黙でさえぎって、旅人は前に広がる景色をにらんだ。
 

 キノとエルメスがその国に着いたのは、その日の深夜のことだった。(結局キノは、陽が沈んでしばらくしてから嫌そうにエルメスを止め、少しだけ携帯食料をかじった。)へとへとに疲れ果てたキノを、城門にいた警備兵がにこやかな笑顔で迎えた。
「ようこそ旅人さん。よくお着きになりましたね。」
「・・・はい。」
一言だけようやく答えたキノに、警備兵が言葉を続けた。
「今夜はもう遅いですから、どうぞ国の施設でお泊まりください。この城門のすぐ脇にある建物です。お代は結構です。わが国では旅人さん専用の建物をご用意させていただいています。もちろん食事もお世話させていただきます。リストにして出国1日前までにここに提出していただければ、入用な品も全てご提供させていただきます。それにしても、よくお着きになりましたね。」
キノから入国手続きの書類を受け取りながら、警備兵はもう一度そう言って微笑んだ。
「ええと、よろしければ、こんな・・・ええ・・・」
「こんなやっかいな城壁」
ばこっとエルメスを叩いたキノは、言い直して質問した。
「この不思議な城壁についてお話していただけますか?」
キノは少し考えた後、こう付け加えた。
「いいえ、やはり明日にします。明日、お話を伺いに来てもよろしいですか?」
「ええ、もちろんですとも。」
そう言って、警備兵はキノを宿となる施設に案内した。キノはありがたくその申し出を受け、
「どうしてさー、今聞こうよ。」
というエルメスを無視し、部屋に入ってベッドに倒れこんだ。
「靴くらい脱ぎなよ。」
「・・・・・・」
返事はなかった。

 次の朝、日が昇る前に、いつもどおりにキノは起きた。右腿に吊ってあったパースエイダーの掃除をし、抜き打ちの練習をしている間に、少しずつ日が昇ってきた。キノの立つ窓際から、朝もやに包まれたその国が見えた。昨日は暗くて分からなかったが、かなり広い。それに相当技術が発達していることが、見ているだけでよく分かるような国だった。キノはパースエイダーを元の場所に戻し、朝ごはんが食べられるようになる時間まで、しばらく外を眺めていた。

 キノはお腹いっぱい朝食を詰め込んで部屋に帰ると、エルメスを叩いて起こした。
「んぁ?」
「朝だよ、エルメス。さあ、行こう。」
起こし方が悪いだの、まだ旅の汚れがついたままだのと文句を言うエルメスを押して、キノは城門へと歩いていった。

「おはようございます。」
「ああ、おはようございます、旅人さん。それにモトラドさん。」
昨日と同じ警備兵が、キノたちを待っているかのようにそう答えた。
「ええと、昨日ボクが言っていたことですが、教えていただけますか?」
「ええ、もちろんですとも。」
そうして、警備兵はもう一度微笑んだ。
「旅人さんたちは、もう見られてお分かりかもしれませんが、この国は大変科学技術が進んでいます。」
警備兵は少し誇らしそうにそう言った。
「ええ、そのようですね。ボクたちは、この国があと少しの距離にあるはずだと思って走ってきたのにちっとも着かなかった。それから考え直して小さい国だと思ったのに、想像した以上に大きな国だった。これはどういうことなんでしょう。」
「それはですね、この城壁に組み込んである、映像システムのおかげなんです。」
「・・・はぁ。」
旅人が理解しかねる顔で相槌をうった。
「簡単に説明しますと、この城壁には映像装置が一面にはりつけてあるのです。それによって、周りの景色に溶け込むように、つまり国自体が見えないようにすることもできますし、遠くにあっても近くに見えるようにすることもできます。」
「なるほど、目のハッサクってやつだね。」
「・・・錯覚。」
「そう、それ。」
「ええ、そうです。その視覚効果を利用した、城壁のつくりになっているのです。これは、敵国に攻め入られないようにするために数百年前に作り出されたシステムです。」
「そんなに前にですか。」
「ええ、そうなんですよ。それで私たちはこの何百年もの間、大変安定した暮らしをすることができていました。しかし、ひとつだけ困ったことがありました。」
「困ったこと?」
「ええ、それは一旦城壁の外に出た住人が、戻ってこられなくなることでした。このシステムはあまりに精巧にできていて、よっぽどの帰りたいという意思がない限り、自分の視覚にだまされてしまうのです。つまり、いつまでたっても国に戻れる気がしない。果てには戻る気が失せるんです。ですからある時期、それはわが国の歴史では大冒険時代と呼ばれる時代なのですが、国の人口が激減しました。安定した生活を捨て外へ出て行きたい、外にある有益な情報を国に持ち込みたい。そう思って次々と国民が城壁の外に出て行ったのです。しかし、その中で国に戻ってこられたのはほんの2、3人だけでした。あとはみな、遠い隣の国まで行くか、もしくは野で死ぬしかありませんでした。捜索隊も結成されません。捜索隊自体が行方不明になる可能性があまりに高いからです。システムを壊して普通の城壁にしようという考えも出ましたが、いつも国民投票では反対多数で可決されませんでした。敵国に襲われる可能性があるよりは、出て行った国民が戻らない方がいい、そう思ったんです。そういうわけで、現在わが国では国民の出国が禁止されています。それでも時折出てゆく国民がおりまして、その国民は厳罰に処せられます。」
少し警戒した顔つきになったキノに、警備兵はにっこり笑って付け足した。
「もちろん旅人さんの出入国は自由ですけどね。大切な情報を持ってきていただける旅人さんたちは大歓迎です。よろしければ、次に出会う旅の方にも、わが国のことを伝えておいてくださいね。」
ほっとした表情になったキノは、うーんと少し唸った。そしてキノが口を開く前に、エルメスが言った。
「すごいね。なかなかここまで大掛かりで丈夫なシステムを作るのは簡単じゃないよ。しかもそんな前に。」
「ありがとうございます。」
警備兵は嬉しそうに答えた。
「でも、」
そこへキノがやっと口を開いた。
「でも、この辺りには、敵国となるような他の国がひとつもないと聞いていますが。」
「ええ、そうでしょうね。でも、念には念をってやつですよ。」
「そうですか、よく分かりました。それでは。」
そう言って、キノは城門を離れた。そして思う存分休養をして、燃料などをタダで補給し、旅の準備をして、また3日目に城門に戻ってきた。
 

「色々とありがとうございました。」
「いいえ。こちらこそ。」
警備兵の笑顔に見送られて、キノはまた草原にエルメスを進めていった。
 

 広い広い、どこまでも続く平原を、一台のモトラドが走ってゆく。モトラドは道とは言いがたい場所をすごいスピードで走ってゆく。時折何か白いものを踏み潰して、その破片が後ろに飛んでいった。ふと、モトラドにまたがっている旅人が口を開いた。
「エルメス。」
「なにさ。」
「こんなにだよ、こんなにたくさんのあの国人の死体がここにあるのに、どうしてあれをやめないんだろう。」
「でも、あれは素晴らしいものだと思うよ。まさに完璧な防衛システムだ。」
「それは分かってる。でも、有りもしない敵国から身を守るっていうのがよく分からない。周りの国は、あるとしてもみんな遠くて、あの国よりも技術が進んではいないし、大きくもない。怖がる必要はどこにもないと思う。」
「だから前言ったじゃん。不安が国を作るって。」
「そんなものなのかな。」
そう言って、旅人はまたモトラドのスピードを上げた。
「ちょっと、キノ!スピード出しすぎ。」
「夜までにこの草原を抜けたい。」
旅人が感情のにじまない声でそう答えた。
「やっぱりおばけが怖いんだ。」
「・・・・・・」
答えはなかった。

おわり