坂のある国 What
I learned 1
彼女は、まだ旅に出たばかりだった。
旅人は、後輪脇に箱が取り付けてあり、その上にも荷物がくくりつけられているモトラド(注・二輪車。空を飛ばないものだけを指す)に乗っていた。体に合わないほど大きな茶色のコートを身にまとい、余った裾は両腿にまきつけてとめている。髪は短く黒い。目の色はふちの銀フレームが剥げかけたゴーグルで覆われており分からない。たれのついた帽子はあごの下でとめられ、その口元は引き締まっていた。
「運も、これまでなんじゃない」
少年のような声がした。
「砂漠でひからびかけたこと、忘れた訳じゃないよね、キノ」
キノと呼ばれた旅人は、表情を変えずに答えた。
「とりあえず、水と燃料と食料は、次の国までもつよ」
「ギリギリだよ。お師匠さんがいつも言ってたよ、『余裕を持て』って」
「・・・・」
「余裕がないから、次の国で止まらなきゃなんないんでしょ」
「・・・・」
「知ってる?あそこに見えてる山みたいな国はさ、人売りと人買いの国だって。そんな国を避けるためにも、余裕はあった方がいいに決まってる。もしかして取引されてるのは人だけじゃないかも。モトラドだってばらばらにされかねない。ずいぶん治安が悪いって噂だよ。それに」
「分かってる。分かってるから黙ってる!」
憮然としたように、キノが答えた。
「分かってない。『旅は計・・・」
「『旅は計画的に。何が起こるか分からないのだから。』」
「分かってんじゃん。なら」
「でも今回はしょうがないよエルメス。おとなしく目立たないようにしてて、必要なものを手に入れたらすぐに国を出るさ」
「そう願いたいね」
そうして、一人と一台は夕闇の中、その国に入っていった。
その国は、坂の多い国だった。というより、大きな丘、それは木のない山のように広大な丘が、まるごと一つ城壁に囲まれた国だった。夜目にも、その様子がよく見えた。頂上付近は明るく輝き、城門近くは暗くてよく見えなかった。城門には、いかにもガラの悪そうな兵がいて、キノをじっとりと見た。
「よう、ぼうや。本当に入国するつもりなのかい?」
兵は、キノに言った。取引材料(この場合人間)なしで、この国に入国する旅人は珍しい。出国は自由だが、この国に入るには金がいると。入国時に払った金額如何で、宿や国の中での対応が決まるのだと。この国は、丘の頂上に近いほど、金持ちの家があるとのことだった。貧乏人や、金のない旅人は、丘の裾野にしか寝泊りできないのだと。そして今、国で一番の金持ちは、当然丘の頂上の家に住んでいるのだと。そこは旅人が近づくようなところではないのだと。それに、ここでは人身売買が法律で認められているのだから、それに口出ししないようにと。そして、国内で旅人に何があっても政府は一切関知しないと。
「それでもいいのかい、ぼうや。」
「ぼうや、じゃありません。ボクはキノです。お金がいるなら用意します。ここに毛皮や羽毛などを換金できるところはありますか?」
「おーおー、あるとも。どんなもんがあるんだい?とっとと見せな」
兵がそう言った瞬間に、キノは右腿のハンド・パースエイダー(注・パースエイダーは銃器。この場合は拳銃)を抜いて、真上に向かって撃っていた。
ずどぉぉーーーーん
地響きのする音に続いて、パリンというガラスが割れる音がした。二つの音は城壁中に広がった。あっけに取られたような顔をしている兵の目の前に、数秒後に大きく立派な猛禽類が落ちてきた。
「これで、宿は用意してもらえますか。天窓を壊してしまってすみません」
「あ、・・・ああ。どうぞ・・・こちら、です」
ガラスの破片が髪の毛に刺さったまま、振り落とすこともせずに兵が答えた。
キノがあてがわれたのは、丘の裾に建てられた、ほとんど屋根などついていないに等しいような小屋だった。
「これじゃ、野宿と同じだよ、キノ。みごとにボロボロ」
「でも、とりあえず食料も燃料も水も手に入ったし。明日さっさとここを出ればいいさ、エルメス」
「それでまた野宿・・・。これ以上この国の立派な鳥が、キノの餌食にならないことを祈るよ」
城門を出てすぐ、キノは食料などがごっちゃになって売られている店にやってきた。夜も更けてきて、裾の方で開いている店はそこしかなかった。店の主人は言った。品物がほしいなら、武器かモトラドを売れ、と。
「だめだよキノ。その、なんとかいうやつ」
「カノン」
「そう、それ。そのカノンを売っちゃったら、その瞬間にキノが商品になるんだからね」
「分かってる」
そうしてキノは一歩店を出て、また空に向かって発砲した。今度もまた、たいそう立派な鳥が落ちてきた。店の主人はびっくりしたが、黙って携帯食料を差し出した。そして水を手に入れるのにも、燃料を手に入れるにも金が必要だった。そして深夜までにキノは、数回、狩りとは言いがたい狩りをした。
「あー、これよりも、さっきの鳥の方がおいしそうだった」
もそもそする携帯食料を食べ終えて、キノが言った。
「ああぁ、もう寝よう。あとはよろしくエルメス」
「はいはい」
キノの手には、パースエイダーが握られたままだった。服もそのまま、靴もそのまま履いていた。
続く。
|