流行の国 1 Sine it !

 

私の名前は陸。犬だ。

 白くて長い、ふさふさの毛を持っている。いつも楽しくて笑っているような顔をしているが、別にいつも楽しくて笑っている訳ではない。瞳がアーモンド型なのも、その目が大きいのも、生まれつきだ。私はご主人様のシズ様と旅をしている。これは、ある時の、ある国の話だ。

 シズ様はいつもグリーンのセーターを着た青年だ。とある国の王家の生まれだった。複雑な経緯で故郷を失い、バギーで旅をしている。私は、いつもシズ様と共にある。

今日も私達は、旅を続けている。車高の低い、砂漠用のバギーに乗り、私達はある国に近づいていた。シズ様は運転席に、私は助手席にいる。シズ様はあまり口数の多い方ではない。それゆえ、私も静かにここに控えている。
「城門だ、陸。」
シズ様が静かにそう言った。
「はい。」
緑の草原のはるか向こうに、茶色く聳え立つ壁のようなものが、私の目にも見えてきた。
「燃料と食料などをきちんと補給できる、いい国だといいな。」
「そうですね。」
そうしてまた私達は黙り、シエノウスのバギーを走らせていった。
 

 シズ様は、砂埃と眩い太陽光を避けるための、色のついたゴーグルを片手で額まで持ち上げ、バギーを止めた。そこはこの国の入国審査所のような所だった。遠くから見るとなんてことのない普通の城壁に見えたのだが、近くで見るとそれはかなり斬新なものだった。城壁に描かれている文様は私には理解不能の芸術とやらに彩られているようだった。シズ様はそれを見上げ、
「新しいな、何もかも。」
と呟いた。それからシズ様はそこにいる人に言われるままになにやら書類に書き込み、簡単な手荷物検査を受けた。何も問題はなかったようで、それほど待たされることもなく、すんなりと国内に入ることができそうだった。
「よかった、治安のいい国らしい。」
シズ様が私に向かって小さくほほ笑んだ。
「それに、よく分からないんだが、どうやら燃料や食料を無償で配給してくれるらしい。」
そして、シズ様は少し考え込んだようだった。
「それほどに豊かな国の指導者に、一度会ってみたいものだな。」
そんなシズ様の呟きが聞こえたのか、私が何か答える前に、そこにいた人が目を輝かせてこう言った。
「それならばちょうどいいです。この国の長のところへ私がご案内いたしますよ。」
それはどこか浮かれているような、そんな声の調子だった。

 指導者の家へは、私も一緒に案内してもらうことができた。留守番には慣れているので、バギーの助手席に乗り込みいつものように見張りをしようとすると、シズ様が私を呼んだ。
「おいで、陸。お前も途中まで来て良いということらしいよ。そこまで理解があるなんて、すばらしい指導者に違いない。」
その長の家もまた、斬新なペイントのされた家だった。案内されるがままに進んでいった長い廊下に飾ってある置物もまた、今まで見たことのないようなものばかりだった。しばらく進むと、私はシズ様と離れさせられることになった。どうやら人には人の、犬には犬へのもてなしの仕方があるらしい。もちろん不服がある訳もなく、私は有難くご馳走をちょうだいし、ブラッシングをして頂いた。ただ、お湯をかけられて全身洗われたのだけは気に入らなかったのだが。
 

 そうして私の長い毛がふかふかと乾く頃、シズ様が私のいる部屋までやってきた。
「待たせたね、陸。お、綺麗にしてもらえたじゃないか。」
そう言ってシズ様は私の頭をぽんぽんとなでた。そして
「さ、行こうか。」
と、いつものように静かにそう言った。

 バギーに戻ると、それ自体も私のようにピカピカになっていた。そしてそこには整備士たちのメッセージと思われる紙が添えてあった。
「『尊敬する旅人様。わたくしたちの出来る限りの力を持ちまして、貴方様のバギーを整備いたしました。国内にいらっしゃる際に不具合が生じましたら、どうぞご遠慮なく下記の住所までご連絡下さいませ。』」
シズ様が声を出してそれを読んだ。そしてまた、少し考えごとをしているようだった。
 

 ちょうどよい宿を探して、比較的広い国の中をバギーで走りながらシズ様が言った。
「陸、この国をどう思う?」
珍しく問いかけられ、私は少し驚きつつ答えた。
「国の中も綺麗ですし、治安もいいです。それにどこもかしこも斬新なもので溢れかえっている。豊かで良い国だと思いますが。」
「そうか、私もそう思う。でも、少しだけ気になることがあったんだ。」
気になることとはなんだろうと、私が首を少しかしげると、シズ様は言葉を続けた。
「先ほど、この国の指導者に会ってきたのは陸も知っているだろう。その人が言うには、この国の人々は、とても流行に敏感らしい。何もかも、新しいものに激しく感性を突き動かされると言っていた。そして、今一番この国で流行っているものはこれだと教えてくれた。」
そしてシズ様が取り出したのは、一冊の本だった。なんの変哲もない手のひらサイズの本で、中にはびっしりと細かい文字が並んでいた。
「旅人の話らしい。これを読めば、あなたが優遇されている理由も分かると言われた。どういうことだろうな、陸。」
「さあ、私は文字が読めませんから。シズ様、今晩にでもお読みになってはどうですか?」
「そうだな、そうしよう。」
そしてシズ様は一件の宿に泊まり、もちろんそこでも大歓迎を受けた。
 

 次の日、シズ様はぶらっとすると言って荷物を宿に残し、私を連れて街に出た。いつも別に観光が目的ではないから、シズ様は特別な理由でもない限り、一つの国に長くはいない。でも、今回は何か気になるので少し様子を見ようと言っていた。もちろん、私はそれに従った。そして街中まで歩いてくると、どこから集まってきたのか、すごい人だかりに私達は囲まれてしまった。
「貴方が今度来られた旅人さんですね!」
「わあ、すごい!ホンモノだ!」
「握手をしてもらえますか?」
「名前はなんとおっしゃるのですか?」
「サインを頂けますか?」
「わたしも!わたしにもお願いします!」
シズ様は一気に色んなことを言われ、私は子供たちの手で触られまくった。シズ様はそんな中、とても冷静に一つ一つの質問に静かに答えていった。
「私はシズと申します。握手や、私の名前を書いた紙がほしいというのであれば、私には断る理由はありません。しかし、私はただの旅人です。何がすごいというほどのこともありません。あなた方の国で今流行している本も読ませていただきました。そこに出てくる旅人は確かにすばらしい。それにたいした魅力の持ち主です。私が以前、私の生まれた国で出会った旅人に少し似ているところがあるかもしれません。でも、私はその本に出てくる旅人ではありませんし、そのように惹きつけられるほどの旅をしてきたわけでもありません。私をその旅人と同一視するのはおかしいと思います。それに、私という一個人自身にあなたは・・・」
「シズ様。」
シズ様がこれから言おうとする言葉が、私にはなんとなく分かるような気がした。そして、その言葉がこの熱狂的な国民の中で発せられるとシズ様が危険なことも分かった。それゆえ、そっと止めた。
「ああ、そうだな。すまない陸。」
「いいえ。」
シズ様は、はっとしたように私を見て、少しほほ笑んで続きの言葉を飲み込んだ。そしてそこの国民に向き直った。
「とにかく、そういった理由で、私は私の名前を喜んであなた方に贈ることはできません。すみませんが、お帰りになってください。そしてあなた方のお知り合いで、同じように私のところに来たがっている方がみえたら、今聞いたことを伝えてあげてください。それでは。」
そこにいた人たちは、みな唖然としたようだった。その人たちに背を向けて、シズ様は立ち去っていった。もちろん、私も。
 

 次の日、私達は朝早くに出発することにした。シズ様がこの国では、特に見るべきものはもうないと言った。シズ様は愛用のバギーに燃料を補給して、必要分の携帯食料や水を積み込んだ。無償で、と言われていたにも関わらず、シズ様はその全てにきちんと代金を払った。そしてまた、私達は行き先の分からないどこかへと向かって旅を続けた。

続く。