同じ国 love
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次の日、キノは女の人に連れられて、国の中央にある小さな白い建物に連れて行かれた。そこには「管理室」と小さな標識が出ており、一人だけ人間がいた。その人は、街の人とは違う服装をしていた。まるで、兵隊のような服装をした男だった。
「28939601-2500474-Cです。昨日連絡しました、認識番号不明の方をお連れしました」
「はい、どうもありがとう。いつもすまない」
機械に向かって何かを打ち込みながらそう言った男はふと顔をあげ、女の人の顔を見、そしてキノの顔を見てから表情をこわばらせた。
「・・・!」
それから、ごほんと一つ咳払いをして続けた。
「あー、もう帰っていい、28939601-2500474-C」
「はい、帰宅いたします」
そうして女の人が完全に建物から出て行くのを見守り、男は急いでドアを閉めて鍵をかけ、キノに向き合った。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
しばらく沈黙が流れた後、
「やっぱり穴を開けたのがマズかったんじゃない?」
エルメスの声が部屋に小さく響いた。ばごっと音がし、エルメスは黙った。
「あなたは、一体・・・どこから・・・」
男の表情は不自然なほど青ざめていた。
たっぷり数十秒黙り込んだ後、男はキノに椅子を勧めた。
「ええと、少しお聞きしてもいいですか?」
男はさっきまでとは違って丁寧な口調で尋ねた。
「え・・・ええ」
相変わらず訳が分からないといった表情でキノが答えた。
「お名前は?それから、なんでこの国に入れたのですか?」
「やっぱりそこきたかー」
エルメスが答え、キノもそれに続いた。
「ボクはキノです。ここに来たのは、ええと、少しトラブルがありまして。この国の外にある森で迷ってしまったんです。それで、蒼い壁を見つけ、それから城壁に沿って進んでいたら、壁が脆くなっているところを見つけたんです。それで、少し様子をみようとしたら壁が崩れて・・・」
「少し、ねえ」
ばごっ、がきっと音がして、再び沈黙が作られた。
「それで、いつこの国に入ったんですか?何か『外』の事を誰かに言いましたか?誰か何かあなたに尋ねましたか?その穴は、まだ放置してあるのですか?」
駆け込むような口調で男が真剣に言った。キノは正直に答えた。
「この国に入ったのは昨晩遅くです。誰に話しかけようとしても逃げてしまうので途方に暮れていたところ、先ほどの女の人に庭に泊まってもいいと言われたのでお世話になりました。他の人とは誰ともしゃべっていませんし、彼女とも会話もほとんどしませんでした。穴は一応枝などで隠れていますが、まだ塞いでません。・・・それで、ボクたちはこれからどうなるんですか?」
「まさか、どこかにへ連れて行かれて、死刑!なんてことはないよね?こっちだって困るんだから」
はあー、という壮大な溜め息をついて、男が顔を上げた。そこには、真剣な光が宿っていた。
「いいえ、そんな事はありません。ただ、ここから出ていただいて、もう二度とここへは来ないと誓っていただければ結構です。壁の修理も今日中に済むでしょうから、今度は来られないと思いますが」
「その訳を、お聞きしてもよろしいですか?ここはあまりに・・・変わった事が多すぎます」
「ええ、構いませんよ。『外』の情報が、この壁の中の住人に漏れない限り、旅人さんには知る権利があると思います。それに、万が一この先の旅でわが国にいらした時には全て分かる事ですから」
「わが国?」
「ここじゃないの?」
「いいえ、違います。ここは、わが国のクローン保存所です」
キノを正面から見、机の上に置いた手の指を組んで男は話し始めた。
「わが国では、医学と生物工学が大変発達しています。十数年前、わが国では生きている人間から完全なるその人のクローンを作る事に成功しました。幼児の未発達な細胞からサンプルとしての細胞を採取し、その細胞の情報を元に簡単にクローンを作れるようになりました。そして、クローンは国民の臓器移植やその他の生きた材料の提供者としてここに集められるようになりました。城壁から来たあなた方にはお分かりかと思いますが、この国の周りは深い森になっています。人為的に磁場も狂わせてあり、ここへ旅人がやってくることはまずありません。あなたがいらっしゃったのは、この国が出来て以降初めての事です。この国はすり鉢上をしていますが、その中央にあるのがここです。そして外への出口はこの建物の地下からのトンネル一本しかありません。そのトンネルで、直接本国とつながっているのです」
「じゃあさ、どこまで城壁の周りを回っても門なんてないんだ」
エルメスの言葉に男が答えた。
「はい、そうです。ここには城門はありません。ここは完全に封鎖された国なのです。ここは、完全に管理されたクローンたちの国なのです」
「管理・・・とは一体どういう事ですか?」
キノが無表情なまま聞いた。
「頭の良すぎる、この環境をおかしいと思ってしまうようなクローンを作らないために、クローンには多少の感情制御の操作が加えてあるのです。ですから彼らはとても純粋で、人を疑う事を知らないのです。城壁に近いところは森になっているのをご覧になったと思いますが、彼らには森に近づくなという命令系も教え込まれています。ですから彼らは何の疑いもなく、この森よりも中で静かに暮らしているのです。万が一、あなたの空けてしまった穴から外にクローンが出てしまう事があったとしても、『外』の情報を何も持たない彼らには、旅人のあなたですら迷うあの森を抜ける術はありません。つまり、彼らの記憶も思い出も、本国の『本物』のものとは異なります。ですから脳の移植はできません」
「・・・もし『本物』に移植などの必要ができたら、彼らはどうなるんです?」
「必要な臓器を摘出した後、処分されます。幼児の頃に採取する細胞は、一つではありません。凍結保存し、何度でも同じクローンを作る事ができるので、わざわざ欠陥のあるクローンを生かしておく理由はありません」
「そうですか」
男の顔は、完全なまでに無表情だった。
しばらく沈黙が続いたが、男はふとキノから視線を逸らして再び口を開いた。
「わが国の仕組みをお分かりいただけたでしょうか。あなたの行動により、クローンたちに必要のない情報を与えているかいないかは、二日ほどデータを整理すれば分かります。ですから、ここに二日ほどいて頂くことになります」
「ここって?」
エルメスが聞いた。
「この建物の地下にある部屋です」
そうして案内されたのは、まるで留置所のような部屋だった。
「ここは少しでも疑いを持ってしまったクローンや、認識番号を忘れたようなクローン、それに身体に移植不能なほどの障害を持ってしまったクローンの一時保管場所です。これ以降、万が一情報がクローンたちに漏れると困りますので、この部屋の鍵は外から閉めさせていただきます。こんな所で大変申し訳ないのですが、鍵のかけられる部屋が、この国の中にはここ一箇所しかないのです。食料と水は提供いたします」
そうして手渡されたものは、きっちり二日分のいつもと変わらない携帯食料と、容器に入った水だった。
「燃料は本国に出てから入手してください」
キノが何も言わないうちに、重い音をしてドアが閉まった。
「あーあ、閉じ込められちゃったね」
エルメスの声だけが、地下に短く響いてそして消えた。
次の日、キノは一日中荷物の整理をし、パースエイダーの整備をしていた。
「せっかく暇な時間があるんだから、色々綺麗にしておこうと思ってね」
誰も聞いていないのにキノはそう言った。
「それなら部品でも磨いてよ」
「うーん、それはまた後で」
「酷いや、どうせヒマなんでしょ?」
「まあね」
そして一日は何事もなく過ぎ、二日目の夜遅くに男がキノの元へとやってきた。
「データの確認と壁の修復は終わりました。情報の流出はありませんでしたし、壁もすぐに直せました。よってあなたにはもう出ていただいても構わないと、本国からの連絡もありました」
「やった、これで自由だ!」
「ええ、そうですね」
エルメスの言葉に、男は少しだけ苦しそうな顔をした。
「では、こちらへどうぞ。これに乗って一時間ほど進めば、本国の管理センターに通じています。一本道ですが、今日は私の代わりの管理員が来ていますので、私が本国までご案内いたします」
そうして男とキノとエルメスは、地下の薄暗いトンネルを通る幅の広い屋根の無い乗り物に乗り込んだ。
道の半ばに来た頃、ずっと黙っていた男が口を開いた。
「旅人さん、少しお聞きしてもよろしいでしょうか」
「ええ、構いませんが、まだボクに何か用があるんですか?調べはちゃんと済んだはずですが」
「はい、管理センターは完全に本国に管理されていまして、めったな事は口にできないのです。ここには、監視カメラも盗聴器もありません」
「てことは、あの部屋にもあったんだ」
「ええ、申し訳ありません。それが決まりなのです」
男は、苦しそうにそう言った。
「旅人さん、ええ、キノさんとおっしゃいましたね」
「はい」
「その、この国を見て、何か思いましたか?何でもいいんです。正直な所をお話していただけませんか?」
男のうなだれた様子は、今までの事務的な口調とはずいぶん違って聞こえた。
「そう・・・ですね」
キノは少し考えるように言った。
「この国の人たちは、とても純粋で心が綺麗に見えました。誰もが純粋で、そして怖がりでした。ボクを見て影で何か言う人は一人もいませんでしたし、逆に構ってくる人もいませんでした。何も知らないあの人たちは、この国で一生懸命生きているような気がしました。でも・・・」
「でも?」
「少しだけ、ボクには歪んで見えました」
「歪んで・・・ええ、そうです!歪んでいるんです!」
突然、男は声を大きくし、乗り物の壁をダンッと叩いた。
「キノさん、そうお考えでしたら、私の考えている事もお分かりかと思います。私は、もうここにいる事に、この国で生きていく事に耐え切れなくなりそうなのです!」
そうして男は、顔を覆って震える声で続けた。
「この管理センターには、私のような管理員が一年に一人ずつ宛がわれます。それは、クローンを幼児の頃に親が製造しなかった国民からランダムに選ばれます。自分のクローンがいる場所で働きたいと思う人間はいないでしょうから。私の親は、この制度に反対しており、私にはクローンはいませんでした。まさか自分がここの管理員に選ばれるとは思っても見ませんでしたが、私は特に国の政策に反対しているわけではありませんでしたので、偶然今年は私が選ばれたのでした。選ばれた時、親は当然泣いて反対しました。そんな子供に育てた覚えはないと、勘当寸前でここに来たのです。私は別に平気でした。給料は普通の仕事の三倍はあり、やる事と言ったらデータの整理だとか、書類をまとめる仕事だけで、それほど辛い事が待っているとは考えられないからでした。ただ、ここの管理員には事細かな決まりがあります。それをめんどくさいとは思っていました。そしてその中に、クローンに好意を持っていはいけないという大原則がありました。私はそれも分かっていたはずでした。しかし・・・私は彼女に出会ってしまったのです」
そう言って溜め息をつくと、男は再び話し始めた。
「28939601-2500474-C、それが彼女の認識番号でした。彼女は、他のクローンとは少し変わったクローンでした。操作されているにも関わらず、何事にも興味を持ち、他のクローンに親切で、優しくて、そして純粋だったのです。彼女はよく怪我をした小鳥を拾ってきていました。そして嬉しそうにその事を私に話してくれたのでした。わたしは、そんな彼女にいつの間にか惹かれていたのです」
「ボクをあなたの所に連れてきてくれた女の人ですね」
「ええ、そうです。そして彼女は、ここに一番長い間いるクローンでした。クローンは移植が必要になると、大抵若い頃にですが、他のクローンが気づかないうちに処分されます。クローンからは執着心も取り除いてあるため、誰がいなくなっても分からないのです。ですが彼女は違いました。彼女は、認識番号が分からなくなってしまったクローンや、何かに気がついて暴れだしたクローンを、なだめて私のところに連れてきてくれました。あなたのお仕事のお手伝いになるからと言って。そのクローンが処分されて、新しいクローンを作る次の準備を私がするとは知らずに・・・。そして彼女もいつかその必要ができたら、処分されてしまうとは知らずに・・・」
男の声は、長いトンネルの中に響いて、遠くの方まで聞こえていた。しばらく沈黙が続いていた。
「今朝、私の代わりの管理員がこの国に来たと、先ほど言いましたよね?」
「ええ」
キノが男をじっと見ながら言った。もう男は震えてはいなかった。
「実は、私のこの仕事も、今日で終わりなのです」
「良かったじゃん」
エルメスの声に、男はぴたっと身体の動きを止めた。
「はい、私も喜ぼうとしました。これでもう、彼女とは離れられる、忘れられると。でも、私の代わりの管理員は、彼女を殺すためのデータを持って、今朝ここに来たんです。『本物』は、本国の有名人です。私はそんな事全く知らなかったのですが、どうやらここ一年ほどで、国民的アイドルと言ってもいいくらいになるほどに急成長した女性のようでした。そんな『本物』が、今必要としているのは皮膚でした。『本物』は昨日、火傷を負ってしまったのです。そして、その痕を残したくないという希望を国に申請し、国はそれを受け入れました。『本物』を、私は知らないんです。私には、ここにいる彼女が本物なのです。だから、彼女を『本物』のために死なせたくないと思いました。たった、皮膚だけのために!痕を残したくないだけのために!そんなもののために、たったそれだけ、それだけの事で、彼女を死なせなくてはならないのです。そんなこと、私には耐えられません!・・・でも、私には何もしてやれることはありません・・・」
「そうですね」
キノが抑揚のあまりない声で言った。
「ですが、どのクローンたちも、その運命を辿る事を分かっていて、あなたはこのお仕事を選ばれたんでしょう?」
「ええ、ええそうです。分かっているんです。彼女は、今まで偶然に『本物』が何も事故に合わなかったから生きてこれた。偶然が重なって、私と出会う事ができたんです。偶然がなければ私は他の細胞から作られた『彼女』と出会っていたかもしれないんです。その時は、私はただ自分の仕事を全うして、満足できる給料を手に、今日悠々と帰って、親にまた叱られもしたのでしょう。でも・・・。キノさん、無理だと分かっています。分かっていますが、どうか、彼女だけでも逃がしてやってはいただけないでしょうか?お願いします。私が彼女と接する事ができるのは、もう今日しかないのです。もう一度戻れば、私は彼女を連れてくる事ができます。ですから、どうか!」
キノは、縋るような目の男を、すっと目を細めて見た。もう、トンネルの出口が見え始め、光が前方から差し始めていた。
「ボクはあとここを抜ければ、無事に外に出られます。あなたと彼女の事は気の毒に思いますが、ボクにできる事はありません。モトラドには一人しか乗れませんし、次の国まではどう考えても十日はかかります。何も知らない彼女に、そんな旅は無理でしょう。あなたがついているならまだしも」
「そうですか・・・分かりました。無理を言って、すみませんでした」
男はキノの言葉を聞いてうつむいた。そしてキノをトンネルから本国の管理センターの人間に引き渡すと、うなだれて去っていった。
続く。
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