同じ国 love her 1

 

 肌までその色に染まりそうな緑の深い森の中を、一台のモトラド(注・二輪車。空を飛ばないものだけを指す)が走っていた。見渡す限り木ばかりで、タイヤの下にある道とは言い難い道は、今にも消えてなくなりそうなくらい細かった。そんな道を器用に縫ってゆくモトラドの運転手は黒いジャケットをはおっており、右腿にはハンド・パースエイダー(注・パースエイダーは銃器。この場合は拳銃)がホルダーに収まっていた。ところどころふちのはげかけたゴーグルをつけた顔つきは精悍な印象を与え、黒く短い髪がたれのついた帽子の隙間から覗いていた。
「やっぱり迷ったんじゃない」
モトラドが言った。
「そんなことないさ、エルメス。地図に書いてあるとおりに来てるんだから」
「でもさ、キノ。もう何日目?・・・先に言っておくけど、野宿」
「うーん、もうそろそろ数えるのも飽きてきたくらい」
キノと呼ばれた旅人がそう答えた。
「いいかげん、迷ったって認めたっていいじゃない。もう十分立派な迷子だよ。地図が間違ってたにしても、磁石が狂ってたにしても、キノが道を間違えたにしても」
「・・・認めたくない」
キノがぶすっとした声を出したその時だった。緑ばかりだった視界に、ちらっと蒼い色が横切った。
「何かあるみたいだよ、エルメス」
うってかわって嬉しそうな声でキノがそう言った。
 

エンジンを止めたモトラドを牽き、がさっと木の間をかきわけて出てきたそこには、蒼い色をしたかなり高い壁があった。上を見ると、空と城壁の区別が付きにくいほどだった。
「やった、国みたい」
「国みたい、じゃないよ、キノ。こんな高い壁、越えられないよ」
「越えなくてもいいじゃない。ぐるっと回れば、きっとどこかに門があるさ」
「この前みたいに、とーーーってつもなく大きな国だったらどうすんのさ」
「うーん、その時は・・・その時さ。さあ、行こうエルメス」
「あーあ、もうしーらないっと」
エルメスのぼやきをよそに、キノは再びエンジンをかけ、そして壁に沿って走り出した。
 

 夜になっても、まだ門らしきものや壁の途切れた場所が見える気配はなかった。
「だから言ったじゃん」
壁に沿う少し開けた場所から離れ、再び森の中に入ってテントを張っているキノに、エルメスが言った。
「きっとここは、ものすごく大きな国なんだよ。きっとずーっと行っても壁ばっかりだよ」
「そうかもしれないから、あと一日だけ壁に沿って走ってみよう」
組み立て終わったテントの中に入り、寝袋に包まりながらキノが眠そうな声で言った。
「あー疲れた。おやすみ、エルメス」
 

次の朝、パースエイダーの整備と、抜き打ちの練習をし、お湯をわかしてお茶を飲み、古くなりかけた携帯食料をかじってから、また昨日と代わり映えのしない壁伝いに一人と一台は走っていた。壁の中からは何の音も聞こえてこず、キノもエルメスも何も言わないまま走り続けていた。辺りには、エンジンの音と、それが壁と森に反響する音しか聞こえなかった。
「キノ」
走り出して、半日くらいたった頃、エルメスが言った。
「何?」
「さっきのところ、壁がもろくなってた」
急ブレーキをかけて、モトラドが砂埃をたてて止まった。
「うわっ!急に止まらないでよ」
「ごめんごめん。で、どこ?」
軽い口調でキノが言った。
「心がこもってない」
「ごめん」
今度はゆっくりと、キノが言った。
「後ろに向かって五分くらい走ったところ」
「もっと早くに言ってくれたっていいじゃないか、エルメス。さっきのは取り消す」
「・・・酷い。せっかく教えてあげたのに。せっかくキノがこれ以上野宿しないですむようにしてあげようとしたのに」
「・・・」
「何か見つけるたびに、あんな急ブレーキかけられる身にもなってみてよ・・・っと、うわ!」
キノが今度は急に全速力で発進させ、一瞬モトラドの前輪が浮いた。
「そういうのもやめてー」
エルメスの声は、あっという間に後ろに流れていった。

 五分よりはるかに短い時間でその場所に着いたキノは、エルメスをサイドスタンドで立たせて、壁を軽く叩いてみた。
「うーん」
少しうなって壁に耳をあて、もう一度キノは壁を叩いてみた。今度はもう少しだけ力を込めた。すると、そこにあったはずの壁が、ぼろっと一箇所崩れて、キノの顔くらいの穴が開いた。
「あーあー、やっちゃった」
「そんなにボクが怪力みたいに言わないでほしいな。もともとここの部分は弱ってたんだ」
そう言いながら、キノは今できたばかりの穴から中の様子を見てみた。
「こっちにも、森が広がってる・・・」
壁の前にも後ろにも同じように森があったが、壁の中の方が少しだけ木の高さが低かった。さらにキノは顔を穴に突っ込んで、手に持ったスコープでよく中を見た。
「エルメス、遠くに街みたいなものが見えるよ。かなり遠くだ。それに、この国はすり鉢状になってるみたいだ。真ん中が低いところにある」
「ふーん」
「じゃ、行ってみようか」
「行くって、どうやって?」
スコープを腰に付いた小さな鞄にしまい、キノが小さく笑った。
「もう少しだけ穴を広げれば、エルメスも通れるよ」
そうしてキノは素早く火薬を仕掛け、エルメスを森まで引っ張っていった。
「やめときなよ、キノ。それはいくら何でも・・・」
エルメスの言葉は煙と爆発音に紛れ、それがやむ頃には、壁にエルメスもキノもどうにかくぐれるくらいの隙間ができていた。
「あーあ、絶対に後で怒られる」
「さあ、行こうか」
エルメスを無視してキノが満足そうに言った。

「せっかく国に入ったって言うのに、これじゃ野宿と同じじゃん」
どうにか夜中までには街に辿り着き、ある家の裏庭にテントを張るキノにエルメスが話しかけた。
「同じじゃないよ、エルメス。ちゃんとこの家には人が住んでて、そしてここにボクがいるのを知ってる。それに、食料だってもらえたし」
「うーん、でもさ。さっきの女の人、少し変じゃなかった?なんかキノが捨て犬みたいな言い方してたじゃん」
「よくも知らない人のことを、簡単決めないことにボクはしているんだ、エルメス」
そこでキノは少しだけ考えて、少し首をかしげて小さい声で言った。
「でも確かに、あの言い方はちょっと気になるかも」
「でしょ?」
「まあ、でもここで考えたってしょうがないよ。食料があるだけでもましだと思わなきゃ。燃料すら売ってないみたいだし。一体どんな国なのか、あと二日もいれば分かるよ。おやすみ」
「おやすみー」

キノが街へ辿り着いたのは、もう空に星が瞬く時間だった。街には沢山人間がいたが、誰もがみんな同じ服装をしていた。家もみんな同じ建て方がしてあり、店は一軒もなかった。主婦の姿もなければサラリーマンの姿もない。キノが
「あの・・・」
と話しかけようとすると、みんなびっくりした顔をして、大概は何も言わずに逃げ出した。
「何なんだ一体・・・」
車も走らない大通りで、キノが呆然としていたその時、後ろから話しかける声があった。
「あなた、不思議な服を着ているのね?」
「はい?」
振り向いたそこには、とても綺麗な女の人が一人いた。その人もみんなと同じように、同じ服を着ていた。
「あなたの認識番号は何番なのかしら?」
「えっと・・・一晩泊まるところと食べるものと燃料がほしいんですが・・・番号とは何でしょうか?」
口ごもるキノに、女の人はにっこり笑って手招きをした。
「番号も分からなくなってしまったのね。いいわ、明日管理室に連れてってあげるわ。そしたら、ちゃんとあなたも検索してもらえるわ。たまにいるの、あなたみたいな人。わたしには分かってるわ。ここでの暮らしが長いから。番号も分からないって事は、色々分からなくなってるのね。一つだけ教えてあげるわ。森には、入っちゃだめよ。怖い事が起きて、戻れなくなるわ。他には危ない事は何もないわ。知らない認識番号の人を家にあげてはいけないという決まりがあるの。でも、生き物を拾うのは奨励されているわ。だから、どうぞお庭にいらっしゃいな。あ、そうそう、わたしは28939601-2500474-Cよ」
「はあ」
訳が分からなかったが、とりあえず寝るところだけは確保し、キノは女の人に従って歩き出した。

続く。