守られている国 Which
side you on?
緑が体に染み込みそうな明るい森の中を、一台のモトラド(注・二輪車。空を飛ばないものだけを指す)が走っていた。辺りに響くはずのエンジン音は全く聞こえない。運転手は黒いジャケットをはおっており、大きな目と精悍な顔立ちをもつ。歳は十代なかば。右腿にはハンド・パースエイダー(注・パースエイダーは銃器。この場合は拳銃)のホルダーだけが見えた。
「あー。」
旅人がなんとも言いがたい声を出した。タイヤが落ち葉を踏みしめる音に混じって、はっきりとその妙な声が聞こえる。
「あー。」
聞こえることを確認するように、旅人はもう一度声を出した。
「一体なんなのさ、キノ。」
しびれを切らしたように、モトラドが言った。
「さっきからそんな声ばっかり出して。いいかげんやめてほしいんだけど。」
「調子が出ないんだよ、エルメス。」
キノと呼ばれた旅人が答えた。
「エンジンの音が聞こえないと、なんだか調子が出ないんだ。やっぱりさっきのを断って、エルメスをひっぱってこればよかった。」
「だから嫌だって言ったのに。今さら遅い。」
うーん、と言いながら顔をしかめるキノに、エルメスが答えた。
「キノはいいさ、調子が出ないくらいですむんだから。こっちの身にもなってみてよ。モトラドじゃないみたいで気持ち悪い。その上キノの妙な声は聞かなきゃならないし。」
「あと少しかな。」
キノが、エルメスをほとんど無視して言った。一人と一台の目の前で、森が途切れ、田園風景が見えてきた。
日差しの中、モトラドが昼の太陽の傾く方向へと順調に走ってゆく。今まで続いていた草原の中に、突如として大きな森が現れた。明らかにきちんと手入れがされており、うっそうと茂っている様子はない。
「人工の森だね。」
「そうみたいだ。」
「回り道もできるよ。数日でまわり込めそう。」
「このまま真っ直ぐ行こう。何かかわいらしいものが見られるって、この前会った人が言ってた。」
「ああ、まるでおとぎ話のよう!ってやつね。」
「そう。」
「キノにそんなかわいい趣味あったっけ。」
ばごっとタンクを叩く音がして、モトラドは静かになった。
森の中には細い道があった。たまに使われているのか、うっすらと人の通った跡が見える。そのまましばらく森を進むと、小さな小屋が見えてきた。その小屋から、体のパーツのどこもかしこも大きい人が二人出てきて、一台と一人に止まるように言った。
「ここから先は、モトラドのエンジンを切って進むか、もしくはこの騒音除去装置をつけなければ入ることができません。」
キノの二倍ぐらいの背の高さの人が、キノに綿のような白い詰め物を渡そうとした。どこの国にでも見られる兵士のようだった。
「入国審査ですか?」
「いいえ、入領域審査です。」
少しうーんと考えたキノは、まあ同じようなものかとつぶやいてそれを受け取った。
「それから、武器の類は全てここではずしていただきます。」
もう一人の大きい人が言った。
「理由を聞いてもいいですか?」
「もちろんです。わたしたちの仕事は旅人さん方にそれを説明することなのですから。」
大きい人たちは、にっこりと笑ってそう答えた。
「ここから先、つまりぐるりとこの森に取り囲まれた所は、我が国の被保護領域です。正確には我が国の領土ではなく、我が国の守る領域の中に、もう一つの国があるのです。その国に入るものは、全て我が国の監視を受けています。パースエイダー等武器の持ち込みは禁止されており、騒音をたてる機械類はこの騒音除去装置をつけるか、エンジンをかけずに引っ張るのでなければ入ることはできません。安全は我が国が保障いたしますので、どうぞご安心ください。実際ここで危険な目にあった旅人さんはこの数百年間で一人もいらっしゃいません。」
「武器は分かりました。そのような国はよくありますから。でも、どうして他の国に入るのに、騒音まで取り締まるのですか?」
「それは、あちらの国に入国されたらよく分かると思います。」
「どういうこと?」
エルメスが口をはさんだ。
「モトラドさんにはちょっとご理解いただけるか分からないのですが・・・」
大きい人たちは、エルメスを横目でちらっと見て続けた。
「我が国には、小さいものを尊重しようという歴史的風潮があります。ご覧の通り、わたしたちの体は大変大きいです。それゆえ、ほとんどの国民が小さいものを愛でる気持ちが大変強いのです。そしてこの領域の中に住む国の人は、とても小さく美しいのです。わたしたちは彼らのことを単に小さい人と呼んでいます。彼らの生活ぶりは、まるでおとぎ話のように純粋で美しく、古い物語の中のように静かで慎ましいのです。その静かな暮らしぶりを、わたしたちは壊したくないのです。ですから、音を消す素材の開発がかなり古くから行われており、今やその技術は並ぶものがないほどになっています。このようにして、わたしたちは彼らを守っています。」
「じゃあ、その小さい人たちの国と、大きい人たちの国の間に、条約か何かで取り決めがあるってこと?」
エルメスが聞いた。
「いいえ、そんなものはありません。交流もありません。わたしたちは一歩たりとも小さい人たちの国に入ることは許されていません。大きすぎるわたしたちが彼らの国に入ることは、彼らの小さな美しさを損なうことになると、立ち入りが法律で禁止されているのです。旅人さんたちは自由に出入りできます。わたしたちのように、極端に大きい人はめったにおりませんから。もちろん、あなたも入国なさっても構いません。そして我が国では、小さい人の国を守るための費用に、毎年の国家予算の数%が充てられるのです。」
「へえ、そんなにも。」
またエルメスが言った。
「ええ、足りないくらいです。防音の素材を研究開発したり、人工の森を広げたり、森のあちこちにわたしたちのような兵を置いたり。森に入り、常に小さい人たちの国に脅威となる者が入らないようにしているこの仕事は、国の中でも一番名誉な仕事なのです。そしてわたしたちを含め、我が国の国民ができることは、森の中からそっと彼らの美しさを愛でることだけです。」
「入れもしない国を守るのですか?」
少し驚いたようにキノが聞いた。
「あのかわいらしさを見ればきっとあなたも分かりますよ、旅人さん。」
「そうですよ。あのしぐさの小さくてたまらなくかわいらしいこと!」
「そんなわけですから、この装置を付けていただけますね?」
また少し考えたキノは、手元の綿のようなものを見ながら頷いた。
「はい、分かりました。」
「えー。」
「たまには静かなのもいいかもしれないよ、エルメス。」
「嫌。」
「あ、気にしないでください。その装置、確かに付けて、小さい人たちの国に入らせていただきます。」
「はい、どうぞ。」
「いってらっしゃい。」
「それにしても変な仕組みだね。」
人工の森を抜けて、まるでミニチュアのような田園風景を見ながらエルメスが言った。そこにはのんびりした空気が漂っており、そこで働いていたり遊んでいたりする誰も彼もがキノの半分くらいの背の高さしかなかった。見渡せる景色の中には機械類が一切なく、手作りの細かく美しい細工がされた家や道具などがあった。質素な暮らしの中にどこか懐かしい雰囲気が漂っている。老若男女共に容姿は大変美しく、今まで見たこともないような顔立ちをしていた。
「そうかな、なんだかボクにはあの人たちの気持ちも分かるような気がする・・・」
少し、ぼーっとしたような口調でキノが答えた。
「どこが。ただサイズが小さいだけの田舎の景色じゃん。こんなのどこにでもあるよ。」
キノとエルメスを見つけたのか、あちこちから小さい人たちが集まってきた。
「違うよ。小さくて、・・・なんてかわいいんだ!」
「あーあー、つまんない。」
心底だるそうにエルメスがそう言った時にはもう、一人と一台はすっかり小さい人たちに囲まれていた。
「旅人さんかい?」
キノのそばにいた小さなおばあさんが首をちょこんとかしげながらそう言った。
「ええ、そうです。3日間の滞在を希望します。」
「そうかい、ゆっくりしておいき。」
「あの、入国審査などはしなくていいんですか?」
「そんなものはないよ。」
そばにいた小さな男の人がにこっと笑って言った。
「ここは安全で静かないい国だよ。そんなものはなくたって平気なんだよ。」
その隣にいた小さな女の人や、その周りの人たちも口々にそう言った。
「そうですか。ではあの、早速ですが、シャワーがついていてそれほど高くない宿はありますか?えっと、ボクが入れるぐらいの大きさで。」
入国してから3日が経ち、キノとエルメスはまた森の入り口に立っていた。
「お世話になりました。とても楽しかったです。それに、なんだか心が癒されました。」
「そうかい、よかったねぇ。」
「本当にもう行くのかい?」
「ええ、旅を続けます。」
キノは、少し残念そうにそう言った。
「じゃあ早く行こうよ。モトラドがエンジン音を忘れないうちにさ。」
「ああ、そう言えばそうだった。音がないのも気にならなくなってたよ。」
「こっちは気になってたけどね。それに、またあの変な入領域審査をしてた大きい人たちと会わなきゃいけないし。」
大きい人という言葉が届いた瞬間、今まで温厚でのんびりしていた小さい人たちの目に狂気が浮かんだ。
「大きい人だって?」
「あんたたちも大きい人たちに何か言われて来たのかい?」
キノが、『ええ、森に入る時に。』と答える前に、周りにいた小さい人たちがいっせいにしゃべりはじめた。
「そうかい、やっかいなのにつかまったねぇ。」
「全くだ。外の大きい人たちは何を考えているか分からないよ。」
「いいかげんに我らに干渉しないでほしいものだよ。」
「国の周りから出て行けばいいんだ。」
「あんな醜い×××××に囲まれているのは嫌だ。」
「そうだそうだ、あんな×××××な奴ら、どっか行っちまえばいいんだ。」
段々と酷くなっていく言葉を、キノは表情を変えずに聞いていた。そして何か言いかけて口を開いたがすぐ閉じ、しばらくしてからエルメスにまたがって音のしないエンジンをかけた。そんなキノの様子に全く気が付かず批判論をぶちまける小さい人たちを背に、一人と一台は森の中へと去っていった。
森をしばらく行くと、また小さな小屋が見えてきた。そしてそこからまた大きい人が二人出てきた。
「どうでしたか?わたしたちの仕事の大切さを分かっていただけましたか?」
預かっていた最後の一本のナイフをキノに手渡しながら、大きい人の一人が嬉しそうに言った。
「ええ、貴重な体験ができました。それに目の保養も。」
「そうでしょう、そうでしょう。それは良かった。こちらとしても何よりです。それから、その騒音除去装置は、しばらくすれば自然に分解される仕組みになっています。捨てていただいても土に還ります。我が国としては、もうしばらくそれを付けていただけるようにと推奨しています。ええと、それで旅人さん・・・」
「それでは。」
まだ何か聞きたそうな大きい人たちを残して、キノはエルメスを走らせた。
再び外に森を抜けて草原に戻ると、まだ静かなエンジンに、とても不満そうにエルメスが言った。
「ねえー、キノ。いいかげんにこれ取ろうよ。」
答えはなく、短い沈黙があり、またエルメスが言った。
「それにしても無用心な国だったね。城壁も兵隊も武器も入国審査もない。国を守るものが何一つない。あれで、あの変な国策の大きい人たちがいなかったらどうなることやら。いつかは見放される気がするけど。」
それにも答えはなかった。草がタイヤを撫でていく音だけが、さらさらと聞こえてきた。そのまま静かに走り続け、森が見えなくなった頃に、もう一度エルメスが言った。
「守られてる国と守る国、どっちの国の人になりたい?」
「どっちも嫌だな。」
やっとキノが口を開いた。表情は読み取れなかった。
「でも、どっちかの国に住まなきゃいけなかったら?」
ほんの少しの沈黙の後、キノが答えた。
「ボクは旅人だよ、エルメス。」
そう言うとキノはエルメスを止め、エンジンにつけた綿のような装置を取り外し、ぽいと捨てた。そして久し振りに大きなエンジン音をそこらじゅうに響かせた。
「うん、やっぱりこっちの方がいいや。」
キノの呟きは、エンジン音に紛れて誰にも聞こえなかった。
おわり
|