影響のある国 Reservoir
見渡す限りの砂漠の中を、一台のモトラド(注・二輪車。空を飛ばないものだけを指す)が多少の砂埃をあげながら走っていた。
「エルメス、砂漠ってさ」
モトラドの運転手が言った。小柄な身体に不釣合いな茶色のコートを全身にまとい、そのコートが風であおられると、黒いジャケットをはおっているのが分かった。腰にはハンド・パースエイダー(注・パースエイダーは銃器。この場合は拳銃)がちらりとのぞいている。顔全体は、たれのついた帽子にゴーグル、それに口と鼻をマスクのようにした布で覆われていて表情は分からない。十代の半ばであろうことが予想されるような声だった。
「砂漠が何さ、キノ」
先ほどとは別の、少年のような声が聞こえ、キノと呼ばれた旅人がそれに答えた。
「うん、砂漠ってさ、もっとこう・・・さらさらーっとしていて、じゃりじゃりーっとしていて、前時代的な雰囲気の漂ってるものだと思っていたんだけど」
「は?何それ」
「ええと、この砂漠は固い」
「ああ、砂があまり巻き上がらないってこと?」
「そう、以前に砂漠を通った時は、体中のあらゆるところに砂が入り込んですっごく嫌な感じだったのに、ここはそんなでもない」
「まあそうだね。ありがたい限り」
「でもね、エルメス。それだけじゃなくて、国もすごいと思ったんだ。この辺りの国はいくつかあるけど、どこへ行っても医療技術がすごい発達していた。それに、その技術を色々応用して、この砂漠を硬くしたって聞いた。ボクは、世界に対する先入観が少ないと思っていたのに、その認識を改めなくちゃいけないと思ったんだよ」
「さいで」
そっけない答えにも頓着しないように、
「すごいや、すごい」
と、興奮したような口調でキノは呟いていた。そして会話はここで終わり、次の国が見えてくるまで、辺りはただエンジンの音だけが響いていた。
太陽が真上に来た辺りで、キノはエンジンを今までよりもずっと技術が発達しているように見える城壁に着いた。
「ここもなかなか綺麗そうだね、キノ」
「うん、前みたいに何かタダでもらえるものがあるかもしれない」
「・・・だからここのところ、砂漠ばっかり走ってたってわけ」
「そうだよ。悪い?」
「いや、快適に走れるならどこでもいいけどね」
「そういうこと」
「誰かさんに似てきたのかな、いや、もう似てるか」
「何?」
「何でもない。」
そんな会話を繰り広げながら、一人と一台は城壁に書かれた「入国管理センター」の入り口にたどり着いた。そこはガラスの仕切りがたくさんある部屋で、キノはまずその最初の仕切りに入った。隣の仕切りには、役人らしき人が白衣を着て、たくさんの機械に囲まれて座っていた。
「ようこそ旅人さん。この国に入国を希望されますか?」
機械を通したような声が聞こえた。どうやらガラスの向こうとは、完全に仕切られているようだった。
「はい、一人と一台で、3日間の滞在を希望します」
キノは、いつもどおりの受け答えをした。すると役人がにこやかな笑みのまま言った。
「入国される前に、簡単な血液検査およびワクチネーションを行うことが義務付けられておりますが、よろしかったでしょうか」
「血液検査、ですか」
聞きなれない単語にとまどったように、キノは首をかしげた。
「はい、この国に入られる方は全員、抗体の検査を行っています」
「ええと、どういうことか説明してもらえますか?」
「はい、もちろんです」
役人は、穏やかに微笑みながら丁寧な口調で続けた。
「もうこの砂漠の他の国に入国済みであればお聞きかもしれませんが、我が国ではある種のウイルスが常在しており、それに対する抵抗力のない方が入られると年齢を重ねてから身体に障害が起こる可能性があります。ですから、そのウイルスに対する抵抗力を測る目的で、全ての人に検査を義務づけています」
「身体に障害・・・と言いますと、この国の方は歳を取ると何か病気になるんですか?」
「いいえ、違います。我が国の住民は、母親から子に伝わっていく抗体を持っていますので、全員そのウイルスに対する抵抗力があります。ですから感染していても、何の影響も受けません」
「そうなんですか。では、その検査はその・・・痛いですか?」
「え?」
「いえ、その・・・」
困った顔のキノを見て、役人はやさしくほほ笑んだ。
「いいえ、血液検査は指の先をほんの少し傷つけるだけでできますので、ほとんど痛くありませんよ。ただ、抗体を持っていなかった場合、ワクチンを接種しなければなりませんので、そちらは皮下注射程度の痛みを伴いますが、それほど痛くはないと思われます。どうなされますか?」
うっと詰まったキノに、エルメスが口をはさんだ。
「それくらいいつも怪我してることに比べたら何でもないじゃん。さっさと検査でもして入ろうよ。いくら砂埃が少ないからって、隙間には砂が入ってくるものだよ。早く取りたいよ」
そんなエルメスをきっと睨んで、キノが続けた。
「あー・・・と、では、そのワクチンを打ったら、そのウイルスにはかからないんですよね」
「ああ、そういうわけではないのです」
役人は、少し困ったような顔をして言った。
「我が国のワクチンは、発症を抑えることしかできないのです」
「?」
訳が分からないという顔をしたキノに、役人は辛抱強く続けた。
「ここでワクチンを打っておけば、病気にはなりませんが、ウイルスには感染します。つまり、ウイルスを持ったまま、元気でいられるというワクチンなのです。我が国では医療技術がかなり確立されておりますが、これ以上のワクチンはウイルスの構造上不可能だと言われています。ですから、この国の住民やこの国を訪れた旅人さん方は、この砂漠一帯にウイルスを運んでいく役目を自動的に担ってしまうのです」
「ふーん、つまりこの国に入ると、自分は元気だけど、汚染されていない地域にウイルスを運ぶことになるってことだね」
エルメスが聞くと、役人は分かってもらえて嬉しそうな顔になった。
「ええ、そうです。ですが、それは悪いことばかりではありません。このウイルスは変異が激しく、隣の国に行くまでにこの国の型とは別のものになって、その国が新たに我が国のようなウイルスを運ぶ原因になるということはありません。さらに、もともとこのウイルスは、そう強くない病原性を持っておりまして、さらに発症が老齢になってからということもあり、周りの国々にも急速な医療技術の発展をもたらしました。その技術は様々な分野に応用され、今ではこの砂漠は、世界一進んだ地域であると言われるようになりました。まあ、よほど未開の地に行けば、多少の犠牲は免れないのかもしれませんが。しかしその影響が出るのも、何十年も先の話で、それまでにはその地でも、技術が進むことでしょう」
言葉を切った役人は、務めを終えて満足げに息を吐きながらそう締めくくった。長かった説明に、疲れ果てたようなキノは、一言
「いえ、やはりやめておきます」
と言った。
「そうですか、残念です。それでは引き続きよい旅を」
役人は、またにこやかに微笑み、一人と一台を見送った。キノの後ろでは、もう既に腕まくりをして検査を受けようとしている旅人が控えていた。
見渡す限りの砂漠の中を、一台のモトラドが多少の砂埃をあげながら走っていた。しばらくはエンジンの音だけが回りに響いていたが、次の国が見えた時、少年のような声がした。
「そんなに痛いのが嫌だったんだ」
「違うよ」
即答したキノは自分の影を見て、少し考えてから続けた。太陽は傾き、もう影がずいぶん長くなっていた。
「まあ、それもあるけど」
「じゃあ何でさ」
「なんとなく、次の国に行きにくいかな」
「マカの種は生えぬってやつ?」
「・・・まかぬ種は生えぬ。最近ひねりが少ないよエルメス。」
「じゃあ、チャックが大曲ってやつ?キノも偉くなったもんだ」
「・・・違うと思うけど。それに・・・えっと、どこが違うのか分からないんだけど」
「まだまだだよね、キノも」
「うるさい。だいたい、ボクにこれ以上ボキャブラリーを増やさせてどうしろって言うんだい、エルメス。言いたいことは分かるよ。でも、そんなんじゃないんだ。」
キノは、少しゆっくり瞬きをしてから言った。
「ボクは、何かに影響を与えるような旅人にはなりたくない。それだけさ」
おわり
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