雨の日の話  ascetic day?

 雨が降っていた。しとしとしとしと、とぎれなく空から糸のように水滴が落ちていた。その水は雲から零れ落ちて、木の葉に当たり、さらに旅人とモトラド(注・二輪車。空を飛ばないものだけを指す。)の上に広げたタープに当たり、音を何倍にも響かせていた。それ以外の何の音も聞こえない、静かであたたかい晩だった。  

「雨だなぁ。」
旅人が、誰に言うでもなくそうつぶやいた。
「まったく、嫌になっちゃうよ、この雨は。」
モトラドが心底嫌そうにそう言った。
「ねえ、キノはそう思わないの?いつもだったらもうそろそろぼやきはじめるのに。」
「うーん、そうだなあ。」
キノと呼ばれた旅人が、少し言いよどんで答えた。声は、まだ若い。十代の半ばくらいに聞こえる。旅人は黒いジャケットをはおり、右腿にハンド・パースエイダー(注・パースエイダーは銃器。この場合は拳銃。)を装備していた。腰の後ろにももう一丁、自動式のものがあった。しかし今はどちらも雨に濡れないように、しっかりとカバーされており、旅人も濡れないように器用に座っていた。
「うーん、ボクも雨の日は困るかもしれない。」
キノはエルメスに一応同意した。
「寒いし、いろんなものが濡れるし、いくら気をつけても火薬がほんの少しだけだめになるし、泥道を走るとエルメスが文句を言うし。」
「キノ・・・」
少しだけ恨みがましい声で、エルメスが言った。それにキノは少し笑ってから言葉を付け足した。
「でもね、エルメス。ボクはそれでも、雨の日も悪くないかなって思うんだ。」
「どうしてさ?」
「雨の日は、世界が静かな気がする。一切の音がなくなるんだ。」
「でもそれは相対的な話だよ、キノ。世界はいつも音に満ちてる。今だって、いつもよりうるさいじゃん。」
「それはそうだけど。でもボクは思うんだ。雨の日は静かだってね。」
不規則な雨脚が次第にそろい始め、雨の音はとぎれないレコードの終わりのような音を立て続けていた。キノは少しの間、目を閉じてその音に耳を傾けた。
「分かったよエルメス。静かなのは生き物たちなんだ。雨の音しかしない。それがボクには音がないように聞こえるんだ。濡れるのが嫌なのか、それとももっと大きな理由があるのかは知らないけど、生き物たちは雨の日にはなんだか慎み深くなるような気がする。ボクはその感覚が好きだ。」
「へえ、キノもたまにはそんなこと考えたりするんだ。」
「そうさ、旅人は時には詩人になるものなのさ。」
「・・・どこかで聞いたせりふなんですけど。」
一人と一台の言葉が途切れると、また雨の音が聞こえ始めた。それ以外の音は何も聞こえない。しばしの沈黙は、快い空間を作り出していた。
 

ふと、キノが口を開いた。
「前の国で、聞いたことがある。」
「何を?」
「ある国の修行僧は、滝に打たれて精神統一をするんだって。そのわけが、ボクには分かったよ、エルメス。滝に打たれると、音が聞こえなくなるんだ。自分の周りが、全部水音だけになるんだ。それはきっと静かな世界だよ。そうして、心を鎮めるんだ。今のボクみたいにね。」
「さいですか。」
エルメスは、たいして興味がなさそうにそう答えた。キノは少しエルメスをにらんだが、すぐにまた穏やかな顔に戻った。そして
「雨だなぁ。」
もう一度、そうつぶやいた。相変わらず、空からは雨が降っていた。しとしとしとしと、とぎれなく空から糸のように水滴が落ちていた。

 その頃、同じ時刻、キノたちに意外に近い場所で男が一人と犬が一匹、雨に打たれていた。
「シズ様・・・」
「なんだい、陸。」
怪訝そうに、乾いていれば白いふさふさの毛をしているであろう犬が言った。顔は笑っているように見えるが、声の調子は嬉しいわけではなさそうだった。
「わざわざ雨の中、何をやっていらっしゃるんですか?」
男は、タープを荷物だけにかけ、バギーを降り、ずぶ濡れになって雨の中にたたずんでいた。
「何って、修行だよ、陸。」
「修行・・・ですか。」
「そうだ。前に寄った国で、賢者やヤマブシはこうして水に打たれて精神を鍛えるということを聞いた。だから俺もそうしている。」
うーん、と陸と呼ばれた犬が唸った。
「言いにくいんですけれど、シズ様。それは極寒の地で、滝に打たれながらするものではないんでしょうか・・・」
そう言われて、男はふと陸を見た。確かに今は、あたたかく降り注ぐ雨も肌に心地よく感じるくらいの気候になってきている。こんな状況で雨に打たれていても何になるとも思えない。
「・・・そうか?」
「そうですよ。」
「そうか。じゃあやめよう。」
「はい。」
今日のシズ様も勘違い甚だしい、と思いながらも、陸は黙っていた。そんな旅人たちを包み込みながら、静かに雨が降っていた。しとしとしとしと、とぎれなく空から糸のように水滴が落ちていた。

おわり