カガリ・キラサイド

 

「お前はわたしの弟だからな。わたしが守ってやる。」
それはいつか言った言葉だったろうか、それとも今贈った言葉だっただろうか。カガリは少し、過去と現実が混ざって眩暈がした。
「うん、そうだね。」
そう言ったキラの言葉は、海の彼方に向けられていて、まっすぐカガリには届かなかった。だからカガリはがしっとキラの首を腕でとらえた。
「ほら、こっち向けよ。」
キラはびっくりしたような顔でカガリを見た。そこには少しだけ微笑があった。
「うん、分かってる。カガリ、君と話しているんだった。」
「他に誰がいるって言うんだお前は!まったくもう。ちゃんと話聞いてたのか?」
「うん、だから、僕もカガリが好きだって。」
それは優しい微笑みだった。ラクスから聞いたとおりの。
 

 今日の朝一番、まだ国の業務が始まらない時間、ラクスからカガリの私的回線に連絡が入った。
『カガリさん、わたくしだけではもう、どうにもなりませんの。』
そんな言葉からはじまったラクスの話は、朝一で聞くには少し重い話だった。
『カガリさん、キラの体調のことをご存知?』
「ああ、まあな。結構沈んでたぞ、この前わたしが会った時には。なんて言うか、こう、わたしと話していても、どこか遠いところにいるみたいだった、あいつは。でも、わたしが無理やりキラの思考に割って入ると、いつもみたいなキラに戻ってた。」
『そう、大体そのとおりですわ。ですが、最近キラは戻りにくくなってるんですの。』
「どういうことだ?」
もうすぐ誰かが呼びに来る。そんな時間だったが、カガリはおかまいなしに部屋に鍵をかけ、通信機の前にどっかりと座り込んだ。寝癖も寝巻きもそのままで。
『では、お話いたしますわ。ずいぶん前から、そう、戦争が終わってからのキラは、ずっと静かな暮らしがしたいと言っていましたのをご存知ですわね?』
「ああ、だからキラはこっちじゃなくてラクスのところに行けと、わたしもそう言ったしな。」
『ええ。でも静かすぎるんですの。キラはなんだか、かたい殻の中にどんどん入っていってしまっているようなんですの。はじめは、戦争の後でしょう?わたくしだってちょっぴりぼうっとして物思いにふけることがありましたから、ずっと見逃していましたの。でも最近、そんなキラの様子がおかしいんですのよ。夕暮れ時になると、かならず海の見える場所でじっと空と海を見ているんですの。そして、星空と海の区別がつかなくなるのも気がつかないようにずっとその場で何かに思い沈んでいますの。最初は、色々考える事があると思っていましたわ。だって、わたくしや子供たちが話しかけるとお返事くださいましたもの。でも最近では、そんな時、わたくしの声しか聞こえませんの。お返事はしますのよ、わたくしでなくても。でもそれは、心が入っていないんですの。そしてそのまま体が冷え切って、何度も体調を崩しました。わたくしはそれではいけないと思いましたわ。ですから、もうそんな時刻になると、無理やりわたくしはキラを部屋に引き入れるのですわ。まだ、わたくしの声は届くようですから。でも、それに反応するのも少なくなってきたように思いますの。本当に昨日などは、朝からそんな調子でしたわ。そして、いつかわたくしの声が聞こえなくなるのではないかと、それが怖いのですわ。』
「ラクス…」
思わずつぶやいたカガリの言葉を聞いているのかいないのか、ラクスは淡々といつもの穏やかで優しい声で続けた。
『ですが、外からお客様がいらした時、特にアスランが遊びに来る時は、とっても元気ないつものキラですの。普通の反応、普通の振る舞い、普通のキラですの。でも、夕暮れになると…。ですから、カガリさんにも来ていただけたら、少しでもキラの様子が変わるのではないかと思いますの。』
ほっと、小さな溜め息をついてラクスは話し終わった。眉を寄せて考え込んでいたカガリだったが、急に何か思いついたかのように立ち上がった。
「分かった、ラクス。そちらに行く。」
『え?でも、カガリさん今日のご予定も詰まっているとお聞きしていますわ…』
「関係ない。わたしには今、キラの方が大切になった。それはわたしに近いものたちは分かってくれる。だからこれからそちらに行く。じゃあまたな。」
そう言って、通信も切らずにカガリは服を着替え始めた。
『カガリさん…』
 

カガリが無理やり今日の予定を反故にして、本当に近くの者だけに行き先を知らせて、こっそりキラの元にたどり着くと、そこにはまさにラクスが話していた通りのキラがいた。カガリは、この事はアスランに話さなかった。アスランは今、カガリの身辺警護も引き受けてくれている。しかしアスランを連れて行けば、きっとキラは元気になってしまうのだろう。なぜかカガリはそんな風に思った。だから、キラの状況を知るためには自分一人で行くしかないと、そう思ってここまで来た。が、それはやっぱり一人で来なければよかったと思ってしまったのだった。
「それは当たり前のことだろう?お前はわたしを守ってくれた。何度も。だから今度はわたしがお前を守る。何度だってお前を助けるさ。」
そう話していても、キラの視線がどこかに行ってしまった。それを何度も自分に戻す。それでもキラの心はどこか彼方を漂っているようだった。
「何から、僕を救ってくれるの?カガリ。」
無理やり思考に乱入してきたカガリの、乱暴だけれどもやさしい言葉にキラは、まだどこかぼうっとしながら問いかけた。
「何から?そんなの知らないさ。でもいい。わたしはお前をそんな目のままにしておけるほど、人情なしでもなければ、自分でとことん治してやろうなんていうお人よしでもない。わたしにできる事と言えば、そんな目からお前を解放してやろうとあがいている大馬鹿者の尻をひっぱたいてやることだけだ。わたしも、お前のことが好きだからな。」
少しだけ、キラはそこで不思議そうな顔をした。
「いいや、今のことは忘れてもいい、キラ。でも、少しはちゃんとしたもん食べるんだぞ?」
「うん、分かってるよ、カガリ。ありがとう。」
そうして微笑んだキラの表情は穏やかすぎて、カガリは少し怖くなった。ラクスと同じ壁に、自分も阻まれていると、そう感じた。だからカガリはキラの肩を乱暴につかんで前後に振った。
「キラ、分かってるな。わたしはお前のことが好きなんだぞ。ラクスだって、アスランだってお前のことがみんな好きなんだ。だからお前は生きろ!分かってるな?お前は、生きて、生きて、それでも辛いなら、わたしがお前のことを守ってやる。」
「うん、それも分かってる。だから、悲しいのかもしれない。僕も、みんなのことが大好きだから。」
そうかすかな微笑みを浮かべて言ったっきり、もうキラが口を開く事はなかった。

「アスラン・キラサイド 海辺にて」に続く。