この物語は、登場人物の行動・描写が暴力的かつ過激になっております。15歳以下の方の閲覧を禁止いたします。また、悲劇的要素を多々含みます。そういった表現が苦手な方にはお勧めできかねますのでご注意下さい。
Lament
Angel 24
「交換開始だ。三分間だけ、時間をやる。」
男の声が響いた。それは最後の審判の声。男に与えられた時間は、男の良心から出た言葉か、現状を冷静に分析した結果か、それは誰にも分からなかった。アスランは、それに導かれるように一歩ずつゆっくりとキラへと向かって歩いていった。キラも、時折よろけながら歩き始めた。一歩ずつ、二人の距離は縮まっていった。そのたびに、冷たいほどの光を放っていたアスランの目に涙が溢れて温もりを与えていった。思わず早くなる歩みは、もう歩いているとは言えなかった。頭がそれに気がつく一瞬前に、銃声が鳴り響いた。それは、警告だった。従うより他ない絶対的な警告。それはわざと急所を外してアスランの右胸を貫いた。
はっと、誰もが息を呑んだ。カガリは呆然とし、ラクスは口に手を当てて目を見開いた。それでも静かに見守るしかない。彼女達に与えられた選択権は、ただそれだけだった。キラの表情はまだ見えない。それでも、動揺は身体に表れていた。急に遅くなる足取り、膝が震え、手は痙攣しているように前に差し伸べられていた。アスランの方へ。そして頬を伝う涙が、薄暗い雲間から微かに零れる陽の光で輝いて地面に落ちた。アスランはまだ、歩みを止めたわけではなかった。胸から真っ赤な液体を滴らせながら、アスランはまだ、歩いていた。真っ直ぐ、キラの方へ向かって。
もう、ゆっくりしか歩けなかった。どうしてもっと早くキラの元に行けないのか、足が動かない自分に苛立った。もうそこにキラがいるのに。そこにキラが生きているのに。ふらついた足元の地面と、キラの顔が見えた。アスランと言っている。叫んでいる。泣いている。もう、十分だった。そうアスランが思った瞬間に、世界は反転した。膝から崩れ落ちるようにアスランは倒れたが、覚悟したような衝撃はなかった。その代わりにあるのは細いが暖かい、生きている者の身体だった。
キラは、アスランに抱きついて泣いていた。それはまるで、力尽きた親に縋る子供のようだった。掠れる声を精一杯張り上げて、キラは名前を呼んでいた。
「アスラン」
と。ぎゅっと握り締めたアスランの指は冷たく、それでもキラを見上げたアスランの目には、笑顔があった。悲しくて、優しくて、暖かいのに遠い微笑みだった。キラは、もう言うべき言葉が何も見つからなかった。ただ、景色とアスランの笑顔が涙で滲むだけだった。せめてこの冷たくなってゆく身体を温める力と時が、自分にあったらと願う気持ちは無残に打ち砕かれた。もうそんな時など、ありえなかった。流れ落ちる時は止まらず、声も希望も緩く吹く冷たい風に掻き消され、ただアスランを抱きしめるだけしか、キラにはできなかった。
アスランの唇が、言葉を形作った。キラは、はっとしてその口に耳を寄せた。それは、確かにこう聞こえた。
「俺・・・も、帰る・・・遠い・・・月。」
何の事だと、考えるまでもなかった。アスランは帰りたがっていた。あの平和な時に。戦って手に入れられるはずもなかったあの時に。それはこの先にあるはずのない楽園。それはキラの言葉を奪い、キラは息をするのも忘れてアスランを力の限り抱きしめるだけしかできなかった。
「・・・ラ、・・・キラ。帰れる、よ。必ず・・・一緒・・・に。だから、お前・・・は、生きて・・・。」
はっと、キラがアスランの身体を離し、その美しい緑の目を見つめた。そこにあるのはいつもと変わらない、彼の微笑み。心に食い込む様な美しい微笑みだった。いつまでも、このままで・・・その願いは男の声と現実に引き裂かれた。
「時間だ。代表は人質を取りに来い。」
はっと、カガリは声に動かされるようにキラの元へと歩き始めた。色めきだつ背後の兵に、厳しい一瞥と、絶対動くなとの命を下して。キラはアスランから離れようとはしなかった。胸が痛かった。悲しかった。それでも、カガリはキラを無理にアスランから引き剥がした。それは、思ったよりずっと簡単な動作だった。キラにはもう、カガリの腕に縋りついて立ち上がるだけしか体力が残っていなかった。そしてカガリはその耳に、そっと囁いた。
「なあ、キラ。帰ろう?皆の所へ。」
キラには、その言葉は届いていないようだった。ただ地面に膝を付いて項垂れ、辛うじて倒れないでいるアスランを、音もたてずに流れる涙越しに見ているだけだった。それでもカガリは歩き出した。皆のいる方へ。アスランのいない方へ。数瞬後、やっと現状を把握したかのように、キラがばっと後ろを振り返った。その顔は血の気が引いて蒼白で、震える歯の根が合わなかった。それでも、叫ばずにはいられなかった。
「アスラン!」
それは今まで口に出来なかった答え。全ての瞬間にあったのに、認められなかった心。近すぎて耐え切れなかった感情。それらは一気にキラの心の堰を破り、溢れ出してもう止まらなかった。それは、遅すぎる心の露呈だった。
「大好きだよ!君の事が!ねえ、君は?アスラン!」
ふっと、アスランが顔を上げるのが見えた。そしてその視線は、真っ直ぐキラの方へと向いていた。
「好きだよ。」
その声があまりに静かに、穏やかに響いて、それはいつまでもキラの耳の中で木霊していた。
続く。 |