Phase
CAGALLI
「お前は満足か?アスラン。お前は永遠にキラを手に入れたんだ。」
アスランだけが眠るその部屋でカガリは、今は開けられる事のない瞳の向こうに向かって言った。
「キラはな、撃たれたあの日の事を覚えていないんだ。まるで記憶に目隠しをしたみたいに分からないんだ。何度か、思い出しかけた事があった。そうしたら、あいつ、真っ青になって倒れたんだ。それで、起きてみたら全部忘れてる。それから、また繰り返すんだ。『アスランはどうしたの?』って。キラは今、お前の事しか頭にないんだ。わたしの事なんて、もう、忘れかけているんじゃないかと、わたしは毎日、毎日…」
急にこみ上げた嗚咽に言葉を遮られ、カガリはぐっと歯を噛締めた。
「お前、キラが目を覚まして、始めに何て言ったか知ってるか?お前の名前を呼んだんだ。わたしでも、ラクスでもなく、お前の名前を。ただ、お前の事だけが心配そうだった。その側で、わたしがどれくらい長い間心配していたかも知らないで。わたしがどれくらい、キラを想って泣いたかも知らないで。」
不思議と、カガリの瞳から涙は出なかった。そして今は何故か逆に冷え冷えと冴えた頭で、カガリは淡々と話を続けた。
「だからわたしはあの時、ラクスを止めなかった。」
「わたくし、アスランを眠らせて差し上げようと思いますの。」
それは、珍しくカガリがキラの眠る部屋を訪れた時の事だった。外は夕闇に染まりつつあり、部屋には消えかける夕日が差し込んでいた。今まで、キラが目を覚まさない可能性が圧倒的に高いと知った日から、カガリは一度すらこの部屋を訪ねようとはしなかった。忘れよう、忘れようとしていたのに、忘れられないキラの姿を、もう一度見るために。アスランの温かさに触れて、無性にキラに会いたくなった。まだキラが生きている事を確認したくなった。まだキラが、温かい事を感じたかった。ただそれだけだった。そこには、ラクスがいた。
「やあ、ラクス。」
力ないカガリの挨拶に、ラクスははっとしたように顔を上げた。
「カガリさん…」
そして一瞬でラクスは笑顔になった。
「ごめんなさい、カガリさん。わたくし、こんなに暗くなるまで明かりもつけないで。」
そして立ち上がったラクスは部屋の明かりをつけ、カガリに自分の横にある椅子を勧めた。それはキラの眠るベッドの脇にある椅子だった。そしてその差し出された場所は、まるでいつもカガリがそこに来ているかのようであり、ラクスの口調もあまりに普段と変わらなさすぎて、カガリは少しだけ時間の感覚がなくなったような気がした。
「アスランは、キラの側で眠ることを望んでいますわ。」
それが全ての始まりの言葉だった。カガリは一瞬、ラクスが何を言っているのか理解できなかった。
「は?何の事だ、ラクス?」
「ですから、わたくし、アスランを眠らせて差し上げようと思いますの。」
そう答えにならない答えを口にしたラクスの声に、迷いはなかった。ラクスの言葉が頭にどんどん入ってくる、それを受け止めるのに精一杯で、カガリは声を出して何かを言う事ができなかった。
「キラが眠ってから、もうすぐ1年になろうとしています。それでも目を覚まさないキラの元に、アスランが毎日来るのをあなたはご存知ですか?カガリさん。そして、いつもキラに向かって話しかけていますのよ。まるで答えをくれるキラがそこに座っているかのように。それでも、途中ではっと我に返りますの。キラは答えてはくれない事に初めて気がついたかのように。もう、アスランの心はぼろぼろですわ。わたくしがどう言おうと、アスランが休まる時も場所すらも、もうここにはありません。あなたの元にいる時のアスランはどうですか?」
「…それは…」
「キラの事ばかり考えているとお分かりですか?仕事はしっかりなさるのでしょう?有能な方ですから。そして、キラの事を考えているなんて、あなたに感じさせないように振舞っているでしょう?優しい方ですから…。でも、アスランは泣くんですの。この部屋に来て。この場所で。キラだけのために。カガリさん、あなたの元で、アスランは泣いた事はありますか?キラが撃たれてから後で。キラがいないと、キラを取り戻したいと、泣いた事はありますか?あなたに取りすがってでも涙を流した事はありますか?」
「…ない。わたしが泣くばかりだ。あいつは、あいつはいつもそれを黙って受け止めていただけだ…。あいつの気持ちを考えるほど、わたしには余裕も何もなかったから…、それにあいつは、優しいから。」
「そうですわね。本当に、お優しい方ですわ。わたくしもそう思いますわ。でも、アスランの本当の望みはここにはないのです。少なくともわたくしの所には。」
「わたしの所にだってないさ…分かってる。あいつは、キラの所に行きたいと望んでる。キラがいる場所がどこか知らないけど、あいつにはキラのいない世界なんて意味がないんだ…!たとえわたしがここにいるとしても、結局最後には、あいつの心の中にはキラしかいないんだ。」
「そうですわね。わたくしも、そう思いますわ。少し、悲しいですけれど。そしてカガリさん、あなたも苦しいのではありませんか?そんなアスランが側にいるのが。あなたの気持ちを、わたくしがどうこう言う立場ではないのかもしれません。でも、あなたは何を望んでいますか?あなたは、このままキラを思い続けますか?今のアスランを想えますか?お仕事だけを追い求められますか?」
「…!…ラ、クス…」
「わたくしにはできません。わたくしは、キラがこのままでも構いません。わたくしは、キラが生きていれば、それでいいのです。紛れもなく、キラの魂がここにあれば。誰のものでもなく、ただ、ここにあり、そして想うことが許されるなら…それでいいのですわ。ですが、アスランは違います。アスランは、キラのいない世界を望んではいない。キラがあの時死んでいたとしたら、アスランは今、自ら命を絶ったでしょう。でも、それもできないでいます。キラは生きているのですから。ですから、アスランは望むのです。眠らせてくれ、と。わたくしにそう言いましたの。涙を流して、もうどうにもできない気持ちを口にしたのですわ。ですからわたくし、その望みを叶えて差し上げようと思いますの。そういうお薬があると、わたくしは知っておりますわ。もちろん、永遠の眠りというようなものは約束できません。そのお薬がどれほど効くのかも、分かりません。ですが、アスランがそれを望むのならば、それをアスランに差し上げるのは、とても簡単な事です。あなたは、どう思いますか?わたくしは、あなたの気持ちを無理に捻じ曲げはいたしません。あなたが、アスランにこのままでいてほしいと望むのならば、このままわたくしは何もいたしません。あなたの望みは何ですか?」
うつむいていたカガリは、たっぷり数十秒後に口を開けた。
「アスランを、眠らせてやってくれ。」
それは、アスランへの愛であったのかもしれない。そして、キラへの愛であったのかもしれない。それは、カガリには分からなかったが、それで良いのだと思った。
「まったく…こんな事になるなんてな。わたしも、ラクスだってそんな事、思ってもみなかったさ。このまま、知らない間に静かな生活が当たり前になって、お前もキラもいない、でもいる。そんな暮らしに慣れると思ってた。でも、キラは目覚めてしまったんだ。お前の望みとは違ってな。お前、どうするんだよ。これでいいのか?よくないよな。わたしはキラを思って生きている。でも、キラはお前だけを見ている。いつかの、お前みたいに。そんな今に、わたしは耐え切れなくなりそうだよ、アスラン。身勝手と思うだろ?わたし自身が招いた事なのにな。わたしが、ラクスを止めさえすれば、それで良かったんだ。お前は苦しみながら生きて、それでキラが目覚めていたら、違った今があったのかもしれない。でも、それも今は意味のない事だ。わたしはキラをお前から取り戻したい。でも、どうすればいいんだろうな?お前を殺す?それはできない。キラが死んでしまうかもしれないから。もう、わたしにはキラを失う事はできない。これ以上、何も失いたくないんだ。わたしには、どうすればいいのか分からないんだ。キラを返してほしい、ただ、それだけなのに…そんな事、無理だって、分かってるのに…。」
カガリの嘆きは少しだけ部屋に残り、そして消えていった。
「Phase
CAGALLI with LACUS」に続く。 |