お読みになる前に・・・
かなり重い内容になっておりますので、苦手な方にはお勧めできかねます。ご気分の悪くなった方は、即刻読むのをお止めになり、楽しい事をお考え下さい。

 

Balance Point 

 

Phase parent

それは、フリーダム・プランと呼ばれた。人類において唯一完全なるコーディネイターであるキラ・ヤマトの殺害計画であった。首謀者はナチュラルの女性。彼女は息子を戦場に奪われ、そしてキラに殺された者全ての『母親』だと名乗っていた。彼女を擁護する者、報道する者、反発する者。まだ脆弱な倫理と協定の上に立つ世界は、彼女の一言に翻弄され、人々の心は錯綜していた。そして彼女はキラ・ヤマトを死なせる事が出来る日だけが、自分と、そして世界のバランス・ポイントだと主張していた。決行日は5月18日。そしてついに、その日がやってきた。

「なんで僕が出歩いちゃいけないの。」
肩にトリィを乗せたまま、キラはラクスとカガリ、それにアスランを前にごねていた。
「お前っ!よくそんな事が今日言えるな!」
キラがもう一度口を開こうとした瞬間、カガリの怒声が部屋に響いた。ここはクライン家の屋敷の一つで、その中で最も外部に知られていない建物だった。そしてここには今いる四人の他には、クライン家の信頼のおける者数名しかいなかった。
「別に、海を見に行くくらい良いじゃない。」
「ダメに決まってるだろう!」
「ダメですわ。」
カガリにもう一度怒鳴られ、ラクスに窘められ、キラはしょげかえってアスランを上目遣いに見た。
「ダメだ。」
アスランにまでそう厳しい顔で言われ、キラは益々しょんぼりとうつむいて自分の膝を見た。そんなキラを見かねたように、クライン家の屋敷に来る時から今までずっと黙り込んでいたアスランが口を開いた。
「キラ、いいか。これはお前だけの問題じゃないんだ。」
少しだけ涙目になったキラがアスランを恨めしそうに見た。
「そんな目をしたって駄目だ、キラ。ちゃんとラクスの話を聞いていたのか?」
「うん、僕が狙われてるって。」
「分かってたら、どうしてそれから自分を守ろうとしない!」
横から、憤慨したカガリがまた怒鳴った。
「少し落ち着いてはいかが?カガリさん。」
ラクスにそう言われ、カガリがやっと口を閉じて座った。
「全く、分かってるのかお前は。お前が狙われてるんだぞ、キラ。」
「そんな事、声明が出た日から知ってるよ。それに僕の周りが大変だったことだって、嫌ってほど知ってるよ。」
「だから俺たちはお前を守ろうって言ってるのに、どうしてお前は海に行きたいだなんて言うかな。」
「だって…、戦争が終わった時、カガリが言ってくれたんだ。今度の誕生日はみんなでお祝いしようって。僕の好きなひとたちと、好きな場所で、好きなことをしてすごそうって。」
「それは…」
カガリが渋い顔をして答えた。
「でも、それはこんな馬鹿げた声明が出る前の事だ。まさかこんな事になるとは思ってなかったさ、わたしだって!だから今日はこうやって、みんなで集まってるんじゃないか。」
「じゃあさ…」
「ダメですわ。」
「ダメだっての!」
一瞬だけ嬉しそうになったキラの瞳が、また悲しそうな色に戻った。
「キラ、よくお聞きになって下さいね。アスランの言うとおりですわ。これは、あなただけの問題ではありませんわ。」

そうして訥々と語るラクスの話は静かに続いた。
「この声明で、世界はまた揺れようとしています。終戦から間もない今、ここはまだ弱い場所です。何がきっかけでもう一度戦争状態に突入してしまうかも分からない。あなたが悪いわけではないのです、キラ。まだ実行に移されていないそれは、様々な反響を呼んでいますわ。少なくとも、声明が出てからのキラの生活が窮屈なものになったくらいに。あの声明を出した方々は、あなたを感情の行き場の終点としていますわ。」
「じゃあ、僕が撃たれればそれでいいじゃない。その人たちは僕さえ撃てば、世界はこのままにしておいてくれるんでしょう?僕が撃たれれば納得してくれるんでしょう?」
「またそんな事をお前は!」
「そう言う事をわたくしは言っているのではありません。」
思わず口を出したカガリと同じように、珍しく厳しい口調でラクスが言った。
「わたくしたちはキラ、あなたが必要なのですわ。あなたがわたくしたちをこの日に一緒に居るべき者と定めた事くらい。」
そしてアスランがその後を継いだ。
「キラ、分かってほしい。世界が何を望んでいるかじゃない。俺たちが何を想っているかをだ。俺は…、俺たちはお前に生きていてほしいんだ。」
「でも…」
それでもなお、何かを言おうとするキラに、カガリが溜め息を一つだけついて言った。
「誰かの慰めにくれてやるほどお前の命はわたしにとっては軽くない。いや、アスランにもラクスにもだ。それを分かっているのか?」
「うん、でも、やっぱり僕にはあの人たちが間違った事を言ってるとは思えないんだ。僕は、あの人たちの息子になりたかった。僕が殺した『息子』たちのうちの一人に。それに、僕は今、この日に海が見たい。」
そう言ったキラの瞳はどこか遠くを見ているようであった。キラが海に惹かれるのは、母親の海を知らずに生まれたが故なのか、それは誰にも、ましてやキラにも分からなかった。それでもキラはその日、無性に海を見たかった。

無茶苦茶とも思われる倫理をキラに向けて突き立てた彼女たちは、どこかにそのおさまらぬ矛先を向けたかっただけなのかもしれなかった。そしてキラはそれを甘受したいと願ったが、それは彼を愛する者たちの言葉を奪わせた。キラにとって、自分たちの願いはそこまで届かないものだったのかと。そしてキラに、自分を犠牲にすれば世界は収まるという、思えば当たり前の事実を教えられるのが辛かった。さらに何より、キラが自分の身を物のように扱うのに耐えられなかった。

 キラが言葉を切ると、そこには沈黙が落ちた。カガリは唇をかみ締め、キラを睨むように見た。ラクスは厳しい表情でキラを見やり、アスランは悲痛な目でキラを見つめた。そんな視線に耐え切れなくなったかのように、キラはふと椅子から立ち上がった。そしてきっとそこから見えるであろう海辺を見るために、大きな窓辺に歩み寄った。もう暗くなる時刻、部屋には明かり。ブラインドは下ろされていない。それは絶好の狙撃の機会だという事に、誰も気がつかなかった。

「駄目だ!キラ!」

はっとしてアスランがそう叫び、立ち上がり、ラクスが部屋の明かりを落としに走り出し、カガリが窓際に駆け寄ったのは、同時だったように思われた。そしてガラスが砕け散って耳を劈く音を立てたのと、トリィの片羽が砕けたのと、キラがアスランに床に引き倒されるのは、ほんの一瞬の差だった。そして、そこでキラの記憶はしばらく途切れた。

「Phase ATHRUN」に続く。