一年で一番甘い日
とある日の昼食後、大神とカンナは、毎日恒例となっている鍛錬に励んでいた。二人は一緒に暮らし始めてからもう何ヶ月にもなるが、毎日帝劇で昼食を取っていた。それは花組としていつ出撃してもいいように、またカンナの女優としての仕事に差支えが無いようにという理由もあったのだが、一番の理由は帝劇の厨房が広くて使いやすいからここで料理がしたいというカンナの願いによるものであったという。それはさておき、どうやら今日の激しい鍛錬もひと段落ついたようだった。
「ほらよ、隊長。」
どっかりと床に座り、大神から渡された手ぬぐいで汗を拭きながら、カンナは大神に小さな箱をぽいと投げてよこした。
「え、うわっ・・・と。ん?これは何だいカンナ。」
うまい具合に受け取った大神だったが、何かをもらう心当たりがなく、きょとんとしてカンナに訊ねた。
「ちょこれいと、とかいう菓子さ。」
待ってましたとばかりに、カンナがにっと笑って答えた。
「鍛錬の後は甘いものが効くぜ。飯もいいけどたまにはいいだろ?」
「そうだな。へー、手作りかい?」
大神の手元にあるのは、いかにもカンナらしい包装がされた小箱だった。
「へへ、そうだよ。あたいが作ったんだ。見た目は・・・そう悪くもないけど良くもないかな。でもよ、うまいぜ〜。何回も味見したし。さ、食ってみなよ。」
「それはありがとう。嬉しいよカンナ。でも意外だな、カンナから西洋菓子をもらうなんて。」
包装を丁寧に解きながら、大神はにこにこしながら言った。
「ああ、それはよ、そのーあーえーと、なんだ、そのー。」
「どうしたんだい?」
いつものような歯切れのよさがどこかに行ってしまったカンナの言葉に大神は首をかしげた。
「ああ、そのー、アイリスが紅蘭とさくらにしゃべってたんだけどよ、今日は『ばれんたいんでー』って言う西洋の祭りの日らしいんだ。」
「お祭り?」
「ああ、正確に言うと祭りって言うより年中行事に近いらしいんだけどよ。巴里の皆からさくらが教えてもらったらしいんだな。それをそこに居合わせたあたいと紅蘭にもアイリスが説明してくれたって訳だ。なんか色々言ってたなぁ。聖者がどうのこうのとか。まあ、詳しいことはよく分かんなかったんだけど、あたいにもひとつ分かることがあったんだ。」
「へえ、何だい?」
「それは・・・この日に、自分の好きな人、大切な人に何かをやるってことさ。」
「好きな人に・・・」
それはいつものカンナの口調ではあったが、どこか柔らかな言葉だった。言われた内容とカンナのはにかんだ笑顔に、はからずも大神は赤面してしまった。
「だからよ、それ聞いてさ、あたいも隊長に何かやりたくてたまんなくなっちまったんだよ。」
へへっと言って鼻の下をこするカンナも、大神ほどではないが、ほんのり頬を染めているように見えた。いつもは男役で舞台の上で活躍しているカンナでも、心優しい乙女なのだ。いつもの大らかですぱっとした性格も、今は少しだけ影を潜めているようだった。
「でよ、何がいいかって悩んでたとこに、ちょうどすみれのやつが通りかかってこんなこと言いやがったんだ。『まあ、ばれんたいんでーのお話をしてらっしゃるのね。わたくし銀座の菓子屋から、こんなことを聞きましてよ。西洋の風習を取り入れ、ばれんたいんでーには西洋菓子の贈り物をすることにしたら、西洋菓子がもっと民衆に広まるのではないかと、菓子屋は言っておりましたわ。最近入ってきたばかりのちょこれいとを売り出す良い機会だとも言っておりましたわ。わたくしもその宣伝に少しばかり協力しましたの。宣伝文句はこうですわ。一年で一番甘い日に、一番甘い思い出を。ま、わたくしにはそんな庶民の皆様の習慣がどうなろうとも関係ありませんけど。』ってさ。」
カンナの、すみれの真似は相変わらず微妙だったが、その場の雰囲気がよく伝わってきて、大神は思わず微笑みをもらした。それにつられるように、にっと笑ったカンナが続けた。
「でよ、すみれがその宣伝で使った菓子をみんなにくれたんだ。巴里から直接取り寄せたもんらしい。なんかえっらそーにしてやがって悔しいけどさ、それがすっげー美味くてよ。あたいさ、西洋の菓子がそんなに美味いとは思ってなかったからびっくりしちまってな。よっしゃ、これだ!って思ったのさ。隊長にもこれを食べてほしいってな。でもよ、まだそんなやすやすと手に入るもんじゃねえだろ?普通に買ったんじゃ高くてたまんねえし、第一そんなのつまんねえだろ?だからさ、あたい自分で作りたかったんだ。ほら、食ってみな。うまいだろ?」
茶色のごつごつした岩のような小さな塊をつまみ上げ、大神は少しこわごわとそれを口の中に入れた。カンナの料理は美味いことはよく分かっていたが、西洋菓子ともなると別だ。しかしそんな心配も、すぐに消えるほどそれはおいしかった。
「本当だ、うまい!甘いだけじゃなくて、ほんのりした苦さもあって。口でとけるみたいだ。すっごくうまいよ!初めて食べたものを作ってしまうなんてすごいな、カンナ。」
「はははは!ありがとよ。でもあたい一人じゃ作れなかったさ。もちろんすみれのやつには手伝ってもらったよ。ここらでちょこれいとの材料を手に入れるにはあいつに聞くのが一番だろうってさくらも言ってたし。んでもよ、あいつめ『まー、カンナさん!これはこれはお珍しいこと。わたくしに頼みごとですって?やっとわたくしの有難さがあなたにもお分かりになりましたのね。よい心がけですわ。おーっほっほっほ。』とか言ってたぜ。くぁーーー!思い出しただけで腹が立つ!ま、でも感謝しねえとな。銀座で何やら有名な店から材料を仕入れてもらったんだからな。それから、マリアにも迷惑かけたな。あたい、西洋の菓子なんてあんまり知らねえだろ?だからさ、マリアに味見とか作り方とか色々聞いたんだ。けどよ・・・その、自信がなくて・・・さ。わざわざ巴里に通信入れちまったよ。マリアがメルとシーならもっと詳しいこと知ってるって言うからさ。へへ、あたいらしくないかな。」
「そんなことないさカンナ。全部ひっくるめてカンナらしいよ。」
大神はびっくりした反面、そんなカンナがとても可愛らしいと思ってしまった。大神よりもはるかに大きく、そして力も強い大女と言われるカンナなのに、なんて愛らしいことをしてくれるのだろうと。
「そうかな。へへっ。」
「ああ、そうやって頑張ってくれるカンナの気持ちがすごく嬉しいよ。ありがとう、カンナ。」
「改めて礼を言われると何だか照れるな。」
言い方はそっけないものの、そこにはカンナなりの愛情がいつもどおり、たっぷり詰まっていた。そして一度言葉を切ったカンナが、ふと真剣なまなざしになった。
「なあ、隊長。」
「ん、何だい?」
「・・・来年も、また作ってもいいよな?」
「ああ、もちろんだとも!」
「ありがとう隊長!嬉しいぜ!」
「うわっ・・・!」
カンナに抱きつかれて、危うくちょこれいとの残りをこぼしそうになり、慌てふためく大神だった。が、既に時遅く、どすーんという音を立てて大神は鍛錬室の床にカンナもろともひっくり返ってしまった。
「おっと、すまねえ隊長!」
「いや、はは、大丈夫だよカンナ。今日は本当にありがとう。」
「いや〜、いい日だなぁ〜。はははは!」
そうして鍛錬室に、カンナの大きな気持ちのいい笑い声がいつまでも響いていた。
そしてその後、大神はほわいとでーなるものがあることをマリアから聞き、ちょこれいとに見合うお返し作りに苦労したのだった。
おわり
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