誰が道をふさいでも

 

 昨日突然降り出した雨はまだ降り続いている。夕方になってさらに雨足が強くなった。まだ日が沈んだ訳でもないのに薄暗かった。NAアストロレンジャーズのコンピュータールームのサブパネルに、
A COMPUTER VIRUS  :  DANGER!”
という赤く光る文字が浮かんでいた事に気付いた者は、誰一人としていなかった。

   ここ何日かひどかった雨も先ほどやみ、清々しい土曜の午後の町を、現地人の少年と日本人らしき小柄な少年が歩いている。
「晴れてよかったね、ブレット。これなら午後のレース中止にならずにすむよ。」
「ああ、そうだナ。このごろマシンもメンバーも調子いいんダ。やっぱり日本と違ってココは湿気が少ないからダナッ。」
いつものように、ミニ四駆の会話が弾む。
「あははっ。気候のせいにしちゃダメだよ。だいたい湿気っていったって、さっきまで雨だったじゃん。そうそう、今日のレースも僕たち勝たせてもらうけど、アストロレンジャーズは、僕たち以外で負けないでよっ。また一緒にファイナルステージに上がるんだから。」
「ヒドいナァ。何で今日はまた、そんな自信たっぷりなんダ?」
そこまで言ってはっとしたブレットは、軽く舌打ちをした。
『どうしていつもいつもミニ四駆の話ばっかりにしてしまうんダ。もっとレツと話したいコトはたくさんあるのに・・・。』
そんな頭を抱えるブレットをよそに、烈は自信ありげにチームメイトの話をし始めた。
「あのさ、たぶん君達のイヤな技術で、もう知ってると思うけど、リョウ君のニューマシンがやっと完成したんだ。」
「イヤな技術・・・って、オペレータールームのコト?ヒドいなァ。うん、その事なら、一昨日データが入ってタ。でも、ニューマシンってコトだけ。名前もわからないんだゼ。」
「へえ、そーなのかぁ。」
少し驚いて、烈は話を続けた。
「それならちょっとだけ教えてあげるよ。あのね、名前はライジングトリガーっていって――――――。」
『あ〜ァ。今日はこの話で終わるナ・・・・』
そう思いつつも、インターナショナルスクールのホテル前で別れるまで、ブレットは少し悔しそうにしているだけで、おとなしく話に耳を傾けていた。
「第二回WGP、ファイナルレースも近い今日のレースは、我らがNAアストロレンジャーズと、日本のTRFビクトリーズの、GPクロスだぁ―――!!」
野外オフロードの
GPクロスのコースに、アナウンサーの大声が響き渡る。観客席からも、それに負けないほどの歓声が返ってくる。さっきまでとは一変して晴れわたった青空に、レーサーも観客の顔も喜びと緊張に満ちている。
『みんな調子いいし、マグナムのタイムも相当良くなってきてる。それに、リョウ君のライジングトリガーもある。今日のレース、いける!』
レッドシグナルが点灯された時、ビクトリーズのメンバーは全員がそう確信した。
しかしその確信をあざ笑うかのように、ゴールを告げるアナウンスが空に響いた。
「ゴ――――ォル!!勝ったのは、
NAアストロレンジャーズ!!!」
マグナムは、エッジのやすい挑発に乗ってコースアウト。期待のニューマシンも、新しい特性をことごとくマークされて本領が発揮されず、7位に終わってしまった。

  レース中から、ライジングトリガーに対するバックブレーダーの動きがおかしいと思っていた烈は、まだ歓声が轟き渡る中、5位で―――これでもビクトリーズの中では1位だったのだが―――ゴールしたソニックを止めて目線を上げると、いつもと変わらない自信たっぷりの笑みを浮かべているブレットと視線が合って、はっとした。
『オペレータールームは外部からの情報しかキャッチできない。今はマシンも
GPチップもコンピューター保管されてるから、簡単にはデータを取り出す事は出来ない。なのに、ここまでライジングトリガーの性質をつかみ、対応していた。しかも、加速する前から、異様なまでにぴったり合いすぎたマークの仕方だった。こんな事、今朝僕がブレットに話した中以外で分かる機会はない・・・・。あの時の会話の中から、キーワードを探してこっちのコンピューターに入り込んだというの‥・・・?そんな・・・ブレットが・・・?』
「・・・・ブレット・・・・?」
そう呟いた烈は、なんとも言えない目でブレットを見つめ、ふいっと後ろを向き、黙ってトランスポーターのほうへ歩いていった。
「レツ!」
ただ負けたにしてはいつもと違いすぎる烈の様子に、ブレットは呼びかけた。が、烈は一瞬立ち止まっただけで、振り向かずにそのままトランスポーターへ入ってしまった。
「レツ・・・・・・?」
もう日が落ちて何時間にもなるのに、ホテルのフロント裏のロビーには、ビクトリーズのメンバーのうち4人が沈んだ面持ちのまま、ばらばらに座っていた。
「すまない。」
沈黙を破り、リョウがこう切り出した。
「俺の力不足で、ライジングトリガーを十分に走らせてやる事が出来なかった。俺のせいで、また去年のように、ギリギリの思いでファイナルステージを・・・・。」
そんなリョウを見るに見かねてJが声を掛けた。
「そんな・・・・。リョウ君のせいなんかじゃないよ。リョウ君に頼りすぎた僕たちがいけなかったんだ。僕たち全員が、アストロレンジャーズに負けたんだよ。だから・・・・そんなこと言わないで、リョウ君・・・・。」
藤吉と二郎丸はもう寝に行ったらしく、フロントホールの方も言葉が止むと同時に静まり返った。通りの自動車の音がやけにはっきり聞こえる。今までロビーの真ん中の椅子で何か考え込んでいた豪が、さっと立ち上がった。そして、壁際のソファーに腰掛けて、さっきからずっと―――トランスポーターの中でも、夕食の時も―――黙り込んでいる烈に近づこうとした。

 と、突然表のほうが騒がしくなった。夕方から夜にかけてのレースだったアイゼンヴォルフのメンバーが帰ってきたのだ。第一回とは違って、初めじから一軍のみで参加し、連勝街道をまっすぐらに突き進んでいるアイゼンヴォルフは、今日もギリシャのリオン達を大差で破り、悠々と帰って来た。
「シュミットとエーリッヒのチームワークの勝利だね。」
と、ミハエル。
「ええ、ありがとうございます。」
と。エーリッヒ。『当然だ』と言いたげに笑うシュミット。その後ろで微笑むアドルフとヘスラー。いつもと変わらない調子で話しながら、ドイツのメンバーはフロントホールを通り抜けてビクトリーズに近づいた。烈を見つけたエーリッヒが突然顔を暗くしてこう言った。
「今日のアストロレンジャーズはいやな感じがしました。一体何があったんですか?」
「‥・・・」
 烈の返事はない。
「うん、あれは普通じゃなかったと思うよ。」
とミハエルも付け加えた。
「気をつけたほうがいい。」
そういうシュミットを最後に、あとの二人は軽く休みの挨拶をして、二階に上がっていった。
『・・・・来週の土曜は、ドイツ戦だったっけ。』
ふっと現実に返った烈は、目の前にいる豪にやっと気付いた。
「烈兄貴、もう遅いし、行こうぜ。」
いつまでたっても何かボーっとしていて様子のおかしい烈に、心配そうに豪が話し掛けた。
「ああ、そうだな・・・」
そしてやっと烈は部屋に戻るため、腰を浮かした。それにつられ、リョウとJも部屋へ上がって行った。
「・・・・ごめんな、烈兄貴。俺、またあんな事になっちゃって・・・・。」
いつもと違い、部屋に戻るとすぐに豪が素直に謝ってきた。少し驚きながらも、
『本当に今回は反省してるみたいだな。』
と思った烈は優しく
「しょうがないな。」
と言いながら微笑んで許した。しかしその微笑みに、どこか悲しさが漂っている事に豪は気付いていた。しかし、
『烈兄貴、きっと去年のファイナルステージの前みたいになるのがショックなんだ。俺のせいで、さらにそれに近づいちゃったから・・・・。』
そう思い込んでいる豪には、本当の理由は分かっていなかった。
「今日負けたのは、リョウ君に頼りすぎた僕たちと、リョウ君への厳しいマークが原因だったんだ。お前だけせいじゃないさ。」
ほっとしながらも、いつもは絶対にそんなことを言わない烈に、豪は首をかしげた。
『やっぱりいつもの烈兄貴と違う。一体どうしちゃったんだ?』
黙って考え込んでしまった豪に気付いているのかいないのか、烈は誰に言うという訳でもなく、つぶやくように話し始めた。
「ニューマシンのポテンシャルは、前とはだいぶ違ってるよな・・・・。なのに、あの対応の仕方、あのマーク、どう見ても・・・・・・。」
そう言って烈がうつむいた瞬間、そのひざの上に、一粒の雫が滴った。
「どーしたんだよっ?烈兄貴!」
びっくりした豪が、烈の肩をつかんで呼び掛けた。
「僕のせいだ。ブレットに、ブレットなんかにあんな事・・・・リョウ君の・・大切な情報を・・・・・・。うれしくて、舞い上がってたんだ・・・・。でも、そんな・・・・・・まさかとも思わなかった・・・。ブレットが‥・・・僕を・・・・僕を利用した‥・・・?今年も、僕がみんなを・・・・。」
そこまで言い、一呼吸老いた烈は、潤んだ目で豪を見上げた。
「ごめんな、ごぉ・・・・・・。」
烈の涙に吸い付けられていた豪の視線が上がった。豪は、烈がうつむきっぱなしの理由をようやく悟った。知らない間に豪の喉にも熱いものがこみ上げてきた。こんなにも、こんなにも豪は烈を想っているのに、烈が気付く訳なんてない。気付かせるための言葉を、たった一言の言葉を、豪はずっと隠しているから・・・・。それなのに、いやそれだから烈は豪に話してくれる。ブレットを想って。そんなことが悲しくて、悔しくて、豪の頬を涙が伝った。そして豪は、烈を包むようにしっかりと抱きしめた。しかしそれは兄弟としてだった。烈にとっては・・・・。安心して泣ける、暖かい弟の腕。壮烈に想われている事も、豪は知っていた。なのに、それなのに、どうすればいいのかその術も分からない。肩をそっと持って少し離し、
「なっ。泣くなよ烈兄貴、な・・・・。」
そう言うのが精一杯であった。

 毎週日曜の午後に恒例となったWJPのリーダー会でも、烈は浮かない顔をしていた。
「どうしたんだい、烈君。」
そう土屋博士に聞かれても、無理に笑顔を作り、
「なんでもないです。」
と答えるだけだった。それ以上何か言うとどうにかなってしまいそうで、土屋博士は何も言えずにいたが、内心烈の事も次のレースの事も心配だった。来週は、快調にとばしているドイツとのレースがある。しかし烈は、全くと言って良いほど調子が出ていない。今日の会議も、ほとんど耳に入っていないようだった。
会議が終わり、まだぼんやりしていた烈は、隣のオフィシャルルームから出てきたブレットとの、一度は会った視線をそらし、足早に会議室を去ろうとした。
「待ってクレ!」
引止めタブレットに、烈が今度は振り返った。ブレットは近付こうとしたが、次の烈の言葉でその場に釘付けになってしまった。
「もう君に話すことなんて何もない。僕は待たない。」
はっきり言い切る烈に、
「え?いいのかい?烈君。」
と、いくら土屋博士が聞いても、
「ええ、さ、行きましょう博士。」
とただそれだけいい、混乱している博士を置いて、列はさっと廊下に出て行った。

取り残され、呆然と立ち尽くしているブレットに、ミハエルが遠慮なしに話し掛けた。
「余計な事してくれちゃって。どうしてくれるんだよっ。」
今日の午前の、アイゼンヴォルフ対NAアストロレンジャーズのレースで、初めて使うはずのシュミットとエーリッヒの技がマークされ、アイゼンヴォルフは作戦をめちゃくちゃにされたのだった。
「コンピューターウイルスだって?迷惑なんだよねっ。エーリッヒが気付いたからよかったものの、このままほおっておいたら
GPチップのデータ、みんな取ってかれるとこだったんだよっ。まったく。」
ミハエルがいつものように、余裕はあるが怒った口調でブレットに詰め寄った。
「すまない。」
はっと我に返ったブレットが言った。
「すまない。先ほどワクチンを打ち、謝罪を入れ、オフィシャルに、この2レースの勝敗の取り消しを頼んでおいた。本当にすまなかった。」
いつもとはうって変わってやけにしょぼくれていやみも言わずにそんなことを言うブレットに、ミハエルは態度を和らげた。
「だったらいいけど。もうやめてよね。」
そこで身はエルは言葉を切り、ブレットを覗き込むように見て言った。
「・・・でも・・・、レツ・セイバは知ってるの?このこと。」
「・・・・・・」
返事のないブレットに、
「ふーん。ま、いいけどね。次はビクトリーズ戦だし。」
と、それだけ言ってミハエルも会議室を出て行った。
もう日も沈みかけ、橙色に染まるフロントで静かに紅茶を飲んでいた彦佐の耳に、大声が届いた。尋ねて来た部レットを、豪がすごい剣幕で追い返そうとしているのだった。食いつきそうな勢いで怒鳴る豪の声は、フロントホール中に響いていた。その声に、ビクトリーズのメンバーも出てきたが、その中に烈の姿はなかった。
「どうなさったんですか、はい。」
彦佐の仲介で、やっとまともに話を聞けるようになった豪は、事情を聞くや否や、愕然として烈の部屋に駆け込んでいった。さっきまでは確かにこの部屋にいたのに、部屋はもはや空であった。そして列は、相当長い時間待っていたが集合連絡を受けてブレットが帰り、夕食が始まるまで帰ってこなかった。

 夕食の場で初めてオフィシャルからの通達を受け取った土屋博士から、烈は正式にコンピューターウイルスの事を聞いた。
「みんな、きょうブレット君から聞いたと想うが、前回の
NAアストロレンジャーズとのレースの事だがね、レース前日に、誤作動によってNAアストロレンジャーズのサブコンピューターからコンピューターウイルスが発生し、我々のGPチップを管理するコンピューターにも侵入してきたんだ。当然、マシンとGPチップのデータは写し取られ、NAアストロレンジャーズのGPチップにそのデータを植え付けてしまったんだ。不幸中の幸いというか、それは何か新しいものに反応するようになっていて、被害はリョウ君のニューマシンだけですんだんだけどね。それから、もうワクチンを打ってあるから、これ以上被害が広がる事はないと思うよ。あとは、NAアストロレンジャーズのメンバーからの希望と、オフィシャルの決定で、前回のレースは再来週やり直す事になった。そうそう、あともうひとレース、アイゼンヴォルフ対NAアストロレンジャーズのレースも、同じ理由によりやり直しになった。時間と場所は――――――」

とうとうアイゼンヴォルフとのレースが
1時からある。あと30分だ。遅れて昼食を取った烈は、スタジアムの関係者用の通路を一人で歩いていた。やはり浮かない顔で。この一週間、ブレットとは何の連絡も取らなかった。向側から、誰かがやってくる。が、逆光で顔は見えない。
『誰だろう。こんな所に・・・?』
さらに近付き、それがブレットだと分かった時にはもう二、三歩のところまで来ていた。
はっとした烈は、引き返すわけにも行かず、そのまますれ違おうとした。その袖を、ブレットは引っ張って引き止め、遅すぎた連絡、そのまま勝ってしまった事、きちんと烈に言わなかった事を謝った。
「ごめん、レツ。気付くのがあまりにも遅かったんダ。連絡も。それに・・・・、レツにちゃんと言わなかっタ・・・・・・。本当に・・・・。」
と、そこまで言うと、烈が手を上げて言葉を止めさせた。烈は、もうそんな事はどうでも良くなっていた。
「いいんだ、その事は。止められない事もあるってことは知ってるよ・・・・。」
「レツ・・・・・・」
「ただ・・・・。」
何かさらに言いたげなレツに、ブレットはその言葉を繰り返した。
「タダ・・・・?」
「ただ、疑った自分がショックだったんだ・・・・・・。ブレットを疑った僕が・・・・・・。」
突然、ブレットは烈を引き寄せ、たまらなく愛しいように、強く抱きしめた。そして烈に笑顔を向け、もう一度謝った。
「・・・・ごめんナ・・・・、レツ。」
そうしてやっと上を向いた烈にブレットが微笑みかけた。烈は、とん、とブレットの胸に手をついて少し離れた。
「もう、レースだから。」
晴れやかな笑顔を久しぶりに見せて走ってゆくその後ろ姿をブレットは、
「ああ、」
と言って送り出した。もう、スタジアムは、歓声でいっぱいだった。

そのレースは皮肉にもまた、GPクロスだった。結果はまったくの同着。二日後に、再レースとなったのだった。 

おわり