チョコ 1 <御堂×克哉>

 

「何を言っている、克哉。いつものスーツは軽装だ。」

日本中の男が浮かれたり沈んだりするであろうその前日、克哉はそれとはちょっと違う意味で青ざめていた。明日は御堂と付き合い始めて初めてのバレンタインデーだ。せっかくだから日本の興味深い造られた習慣に乗っ取って、克哉も御堂にチョコでも贈ろうかと、平和に考えていられたのも昨日までの事だった。突然御堂から発せられたその言葉は、バレンタインに関係あると言えばある、ないと言えばない。とにもかくにも仕事の話なのだった。

今年のバレンタインデーは、販売網でキクチにもつながりのあるベルフーズが、MGN本社の新作ホットチョコレートドリンクと提携して、ドリンクとセットにしたチョコレートの新商品を発売する事になっていた。ベルフーズは、通常は優秀で堅実な商品流通を好み、また流行を巻き起こすほどの良作を世に出しておきながら、たまに奇抜な商品を送り出す事で有名で、一部のマニアには通常の商品よりもそちらの方に多大なる人気があるという、一風変わった食品会社なのだった。そんな会社であるから、ドリンク会社との提携で限定商品を出しても何ら世間からは特別なことだとは思われず、太一などは
「今度はどんな強烈なのやるのかなー?ね、克哉さん。」
と、先週もロイドでニヤニヤと笑っていたほどだ。

 それはさておき、さっきから克哉が困っているのはその新商品に関しての重大事項についてなのだった。バレンタイン当日、ベルフーズとMGNは新商品の発売を記念してパーティーを行うと言うのだ。しかも船上パーティーである。母体はベルフーズの方が格段に大規模ではあるが、食品業界で、今まで手を組んでこなかった大手同士のコラボレーションは各界に波紋を呼んでおり、今回もこのような大げさとまでは言わないまでも、かなり仰々しい催し物になっていたのだった。

そこに、御堂は呼ばれていた。今回の商品にあたって、御堂が製作グループ長を務めていたからなのだった。そして御堂が呼ばれる所で克哉が行かない場所はない。そうMGN社内でも言われるほど、名実共に御堂の片腕となっていた克哉も、もちろんそこに呼ばれていた。しかもこのパーティー会場となっている鈴菱重工造船所のこの大型船は、13日の夜から14日の昼までかけて東京湾をゆっくりと巡回運航して、打ち上げられる花火まで見られるというとんでもないしかけになっており、当然呼ばれている御堂たちは部屋を宛がわれているのだった。そこに何を困ることがあるかと言うと、こういう訳だ。

「何を言っている、克哉。いつものスーツは軽装だ。」
これは13日の朝、出社した克哉に御堂から発せられた言葉だ。当然、本日の午後から船上パーティーの会場入りしていなければならない。参加者は皆ドレスコードがかかった今回のパーティー用に、それぞれ正装と言われる衣装を持参して大荷物で出社していたのだ。しかし、克哉だけは何も持たずに来たのを御堂が見咎め、理由を聞いたらさも当然そうにこう答えたのだった。
「えっ?でも正装って書いてありましたけど・・・」
「君は馬鹿か。こういう場合の正装とはタキシードの事だ。」
「タ・・・!」
聞きなれない言葉に、思わず克哉は固まってしまった。
「どうした?」
数瞬放心状態になった克哉のすぐ目の前に、少し眉をひそめた御堂の顔が近づいてきていた。
「うわぁっ!」
「だからどうしたと言うんだ。」
「あの、えと、その・・・そんな・・・俺、普通のスーツか、冠婚葬祭用のスーツしか持っていません・・・ですから、今日もなるべくその・・・ええと・・・」
「そうか。」
歯切れの悪い、まるで卒業式に体育着で参加する小学生のような表情になった克哉を見て御堂は眉をさらに顰め、それだけ言うと腕を組み、ふと克哉を見つめてこう言った。
「そうだな・・・私のタキシードでは、君のような若い者には少し合わないかもしれないな。今回は時間がないから都内の店でレンタルするとして、次回からもこんな事がないとは言えないな。」
そう言いながら、御堂の顔は笑いさえ含んだものになり、声は明るく弾んだものになっていった。
「よし、今度私がそういったものを専門に扱う店に連れて行ってやろう。一着くらい持っているといい。」
「は・・・?はい・・・」
なぜか上機嫌な御堂の瞳に微笑まれ、訳も分からず克哉はつい素直に返事をしてしまっていた。

つづく。