食事の時間  <克哉×片桐>

 

「自慢するだけの事はあるな。」
片桐の目の前で、ほとんど無表情で食べ物を租借する克哉から、そんな言葉が漏れた。独り言のような声だった。
「そう、ですか・・・?」
一瞬驚いた片桐だったが、次の瞬間にはもう満面の笑みになっていた。
「君にそう言ってもらえると、とっても嬉しいよ。」
そう言った片桐は、はにかむようにまた少し笑って言葉を続けた。
「君の口に合わないかなと思って、今まであんまり作ってきませんでしたが・・・」
「そんな事はない。まあ、・・・美味い。」
片桐の言葉を遮るように、克哉が言った。片桐の顔は決して見ようとはせず、まるで照れ隠しをしているように、ただ次々と箸を口に運んでいった。そうやって黙々と食べ続ける克哉が何だか無性に愛おしく感じ、片桐はほんわりと微笑んだ。心地よい沈黙と、微かに食器が触れ合う音だけが広い座敷に響いていた。音が全て畳に吸い込まれる頃、克哉が再び呟いた。
「・・・それに、なんだか懐かしい味がする。」
まるで泣きそうな、それなのに嬉しそうな声だった。
 

そんなことがあってから、片桐は克哉の食事を時間のある時は必ず作るようになった。これは、そんな午後の話。

 

 夕焼けが窓から照りつける西向きの台所に、片桐は割烹着のような白い和風のエプロンを着け、テーブルに座る克哉に背を向けて立っていた。土曜の午後、突然克哉が片桐の家を訪れた。あり合わせのものしかなかったが、それでも片桐は克哉の為にと腕を揮って夕食を作っているのだった。料理の腕前には定評のある片桐だが、どこか献立に古臭い感があるのが否めない。それでも克哉はいつも、文句も言わずに食べていた。文句どころか、時々賞賛のような言葉までほのめかす。片桐としては、それは嬉しい限りなのだが、もっと克哉の好みを知りたいために、色々な事も言ってほしかったりもする。そんな事を考えて、それでもそんな些細な事が幸せで、片桐は嬉しそうに鼻歌でも歌いかねない勢いで手早く準備を進めていた。片桐が食事の用意をしている時、克哉は大抵そんな片桐の姿をじっと見ている事が多かった。最初はその視線に緊張し、
「こんな後姿なんか見て、何が楽しいんですか。」
などと零していた片桐だが、毎回の事になると慣れもあるようで、今ではすっかり準備をする片桐と、それを見る克哉という図が当たり前の光景になっているのだった。
 

あとは味噌汁をつけるだけ、ご飯はよそうだけ、おかずに至っては運ぶだけで出来上がり。そんな状態になり、片桐が調味料や器具や残った野菜を片付け始めようとすると、突然後ろから克哉の声が聞こえた。
「これ以上、我慢しろなんて言うなよ。」
どこか嬉しそうな響きを孕んだ克哉の言葉に、片桐は後ろを向いたまま、克哉の思惑などはまるで知りもせずに応えた。
「あと少しですから、もうちょっとだけ待ってて下さい。」
案の定、片桐は自分の身に降りかかるであろう出来事を克哉が揶揄っているとは想像もしていないようだった。その反応にニヤリと笑って、克哉は言葉を続けた。
「そんな悩ましげで無防備な腰を俺の目の前に晒しておいて、まさか誘っていないなんて言うんじゃないだろうな。」
はっと、その言葉で克哉が何を言いたいのか一気に悟ってしまった片桐は、しかし耳まで赤くしながらも、慣れからくる笑いで振り向きもせずに答えた。
「こんなオジサン相手に、何を言っているんだい。」
片桐の反応がそっけなかったとしても、克哉には苛立つ要素は何もなかった。片桐の心境は、その真っ赤に染まった耳と首筋を見るだけで、十分すぎるほど分かってしまったからだ。それでも、ただそんな平気そうなそぶりを見せる片桐を見るのも多少癪に障るものはあったようで、克哉はわざとらしく意地悪な声を出した。低く、囁くような、それでいてどこか鋭く触れれば切れるような刃を含ませた音で。
「俺を待たせるな。」
びくっと、今度こそ片桐は身体を竦ませた。後ろも向けず、見開いたその瞳に映るのは、期待というよりは恐怖に近かった。これほどまでに、毎晩のように愛されていると言うのに、しかもそれは決して乱暴にではないと言うのに、片桐の身体は容易に克哉の声で怯えてしまうのだった。
「そんな事、言われても・・・じゃあ、僕はどうしたらいいんだい。」
その言葉が震えていたのは、また何かとんでもない事をやらせられるのではないかと思ってしまったからだ。以前の、心を通い合わせる前のような、何か酷い事を。しかし克哉の口から零れ出た言葉は、柔らかく優しかった。
「あんただからだ、片桐さん。あんただから欲情するんだ。分かっているだろう?」
「え・・・あ・・・」
想像したよりずっと真剣な克哉の口調に、背後にあるであろう、あの人を射抜くような眼差しを的確に想像し、片桐は思わず口ごもってしまった。
「本気だと、身体に分からせてやるよ。優しくな。」
反応できないでいる片桐の真後ろから、克哉は片桐の腰を引き寄せて首筋に噛み付くようなキスを落とした。
 

 カシャン、と手に持った計量スプーンがシンクに落ちる音がした。片桐が、あっと思った瞬間その身体は克哉に奪い去られ、片桐はもう抵抗できなくなっていた。首筋に感じる、痛いほどのキス。
『ああ、また痕が残る・・・』
そう片桐が冷静に思えたのもそこまでだった。無造作に見えて、包丁も沸騰したお湯も片桐の手にない時を狙った克哉の我慢はもう限界だった。どうしてなのかは克哉にも分からない。ただ、ここにいる存在が愛おしくてたまらなくなり、気がついたら抱きしめて、自分の方へと向きを反させ、必死に唇を奪っていた。
「ん・・・ふっ・・・」
薄く開いた唇の隙間から、苦しいだけでは決してない声が漏れ出ていた。克哉がぐるりと口内を舌でまさぐると、おずおずと差し出される片桐の舌と触れ合った。快感と克哉に従順に慣らされたその身体は正直で、舌を吸い上げ、粘液を絡み合わせると膝がガクガクと震え始めた。
「あ・・・ふぅっ・・・」
息をしようとしても、それさえも奪い取るような克哉の動きに惑わされ、片桐は目の前の身体に必死にしがみついてはいたが、とうとう耐え切れなくなってずるずるとその場にしゃがみ込んでしまった。
「あ・・・ご・・・ごめんなさい。」
反射的に謝ってしまった片桐に、克哉はすっと手を差し伸べた。
「もう限界か?」
上から降ってくる克哉の欲望に濡れた声に、片桐は余計に感じてしまったようだった。こくんと無言で頷いて、自分の目の前に伸ばされた手を掴んで立ち上がろうとしたが、ラフで柔らかい生地のズボンの真ん中で克哉の欲望を誇示しているそれが目に入った途端、真っ赤になって俯いてしまった。自力で立ち上がるのは無理だったが、この場でどうこうなってしまうのは、片桐としてはできれば遠慮したかった。板の間の台所で、克哉は以前片桐を押し倒し、そのまま事に及んでしまった過去があった。その後、片桐はいつもの腰の痛さに加えて、背中まで少し痛めてしまった。その時はもうどうしよう、何か裏があるんじゃないかと思わず片桐が勘ぐってしまうくらいに克哉はかいがいしく自分を看病してくれたのだった。しかしそれも度が過ぎていて、会社への通勤時間帯ですら、腰を持ってやろうと言うものだから、痛さよりも恥ずかしい思いの方が随分と大きかった気がする。逆に克哉からすれば、そんな片桐の身体に余計な負担をかけたくないと、今は真剣に思っている。だから片桐が消え入りそうな声で
「せめて、畳の上で・・・」
と懇願したその希望は、受け入れてやろうと思った。
 

望み通りに、ふらふらする片桐に肩をかして、克哉は隣の間に歩いて行った。運ぶ最中、何度その場で押し倒そうと思った事か。しかし片桐の本当に嫌がることはしてやりたくない。それにさすがに抱いたまま運ぶことは、華奢な部類に入る克哉の力ではできなかった。

襖を引く音が、やけに響く。いつもならば、うるさいくらいに騒ぐ隣の居間にいるはずのインコもいないように静寂が支配する、やけに静かな夕べだった。敷居を跨いで畳に足を踏み入れた途端、克哉が片桐をそのままの体勢で押し倒した。
「あっ!」
床に自分の背中が触れるだけでも辛いのか、思わず零れた片桐の甘い声に、克哉はそっと笑った。
「背中が痛いか。布団、敷くか?」
労わる声が逆にどこか生々しくて、片桐は何も応えられずに、克哉の首に抱きついて目をつむって真っ赤になった。今更なのに、声を我慢しようとする片桐を少しだけ虐めたくて、克哉はニヤリと笑って意地悪い言葉を紡いだ。
「それともあんたは、痛い方が感じるんだったか?」
「そ・・・そんな事は・・・!」
思わず否定の言葉をつむぎだした片桐の口を、克哉は笑いながらそっと塞いだ。
「冗談だ。」
「もう・・・佐伯くん・・・」
克哉の声に笑みを感じた片桐はやっと全身の力を抜いて、為されるがまま、畳に横たわった。


 
「っ・・・!んんっ!」
嬲られ弄られ限界まで追い詰められ、一度克哉の手によって達せられた片桐の身体は、する気はないが抵抗する力も抜けていた。しかしそれでも巧みな克哉の愛撫で欲望の中心は再び硬さを取り戻し、今やまた腹につきそうなくらいに反り返っていた。口から出る言葉はもう意味を成さず、ただ目の前の男が与える快感を素直に受け止めるだけになっていた。しかしそれも克哉が散々慣らした後ろに克哉自信を押し当てるまでの事だった。
「い・・・痛っ・・・あ!あぁっ・・・!」
指で慣らしても尚きついそこは、片桐が必死に力を抜いて克哉を迎え入れようとしても、やはりいくばくかの痛みを片桐に与えてしまうのだった。
「あんたはっ・・・本当に、いつまで経っても、慣れないな。」
片桐と同じように既に弾む吐息と熱くなる声を隠そうともせず、克哉は片桐の両足を抱えながら腰を押し進めていた。目の前には、完全に足を広げたあられもない姿の男が横たわっている。目は潤み、眉は痛さにしかめたままだが、かすかに腰が揺れているのはそれが痛みだけではなく、これから与えられるものへの期待とも取れた。それでも、片桐は克哉の声に反応して謝っていた。
「す・・・みま・・せん・・・」
さっきのそれが自分への非難かと勘違いした片桐が顔を歪ませて泣きそうになっているのを克哉は少しだけ意外そうな顔をして、次の瞬間口の端を上げて笑った。
「あんたは、それが良いんですよ、片桐さん。」
そう言い終わった途端、克哉は遠慮なく腰を使い始めた。
「ああっ!そんなっ・・・急、に・・・んっ!」
途端に大きくなる喘ぎ声は、与えられる快感に溺れ、羞恥に染まっていた。それなのに克哉の目に映るその顔は、汚しても穢してもどこか純粋なままに見えるのだった。
 

 

おかずは冷めても美味いものばかりという事は、今までの経験上知っているし、ご飯は炊飯器が番をしてくれていた。それでも克哉が片桐の身体を存分に楽しみ終わる頃には、当然のように味噌汁はすっかり冷めてしまっていた。結局、畳の上で動けなくなってしまった片桐を残したまま、克哉は味噌汁を温め、最後の盛り付けをし、酒まで用意して居間であるさらに隣の座敷に夕飯を運んだ。夕食を座敷の机に並べる前に、克哉は片桐の中から自分のものを掻き出してやり、暖かい濡れタオルで片桐の身体を拭いてやり、さらに外に干してあった寝巻きに着替えさせてやっておいた。随分すっきりとしたはずではあるが、それでも片桐はぐったりと居間の和机につっぷしていた。今まで何度も無茶な事を繰り返してきた克哉だが、さすがに心配になって片桐の隣に寄り添うように座った。
「大丈夫か?ちょっと無理をさせたな。」
克哉は素直に謝り、片桐はそんな克哉に肩をそっと抱かれて起こされた。身体はだるくて悲鳴をあげていたけれど、克哉の優しい手つきは労わるようで、片桐は思わず笑みがこぼれた。
「いいえ、大丈夫ですよ。気にしないで下さい。」
少し身体を動かしただけでも辛いであろう事は目に見えていたのに、それでも克哉に微笑みかけて見せるその年上の人がどうしてか無性に可愛く思えた。
「無理するな。辛いならこのまま寝てもいい。」
「でも、君はお腹もすいただろうし、その、僕は、君ともっとここに・・・」
もそもそと口の中で呟くその声は、結局はまだ克哉と一緒にいたいと言いたいらしく、克哉はあまりのその歳に見合わない恥じらいと遠慮に、今日は片桐を思いっきり甘やかしてやろうと思った。
「何なら俺が食べさせてやるぞ。」
今までほとんど従順に克哉にされるがままになっていた片桐だったが、今度は必死で拒絶した。とんでもないと言った風に首をぶんぶんと振り、真っ赤な顔でどうしようもないほどに克哉を見つめていた。思わずそれを見て、克哉は声をたてて笑ってしまった。それは朗らかとも言えるくらい、明るく楽しそうな顔だった。そんな優しい表情も、最近は増えてきた。その事が心から嬉しくて、片桐は幸せに緩む頬を隠す事ができなかった。
「何をニヤニヤしているんだ?」
「いえ、君が笑ってくれて、僕の目の前にいる。この幸せがずっと続けばいいのにな・・・って。」
少しだけ遠くを見るような目でそう言う片桐の肩を抱き、克哉はその男の耳元でそっと囁いた。
「続くさ。あんたがそれを望む限り、ずっとな・・・」
ずっとこのまま二人で、訳もないささいな事で笑って。それは今や片桐だけの望みではなく、克哉の希望そのものなのかもしれなかった。
 

おわり