水の中の真紅 1 <克哉×片桐> 春風が吹き渡り、郊外では田植えが始まったとニュースが流れる晴れた土曜の午後。今日は片桐の家の近所で春祭りがある。春の訪れを告げ、豊作を祈るこの祭りがその近所の神社で始まったのは、かれこれ百数十年も前になるとの事だった。相変わらず片桐の家に半同棲状態で入り浸っていた克哉は、その一日ずっと落ち着かないでいる片桐を見るはめになっていた。 片桐の心情はこうだ。祭りに行きたいけれど克哉がいる。特別だとか祭りだとか、とかく熱い事と人が無駄に集まる事を嫌悪とまではいかないまでも毛嫌いしている節のある克哉の事だ。きっと行きたいなどと言ったらくだらないと鼻で笑われるか、そうでなければ不機嫌になってしまうのだろう。克哉はこう見えて酷く独占欲が強い。自分がいるのにどうして他の人間と慣れ合いに行かねばならないのかと、理不尽な怒りをぶつけられる事は想像に難くない。そんな訳で克哉に言い出せず、かと言って心地よい春風を通すために窓を開けている現状では、自然と祭りの囃子や人のざわめきが耳に入ってくるこの状態は、片桐を落ち着かなくさせていた。 昼間はまだ良かった。掃除やら洗濯やら布団干しやら、家事をやっている間は気がまぎれたし、一緒に作った昼食も、早めの夕食も美味かった。だが食べ終わってしまうと途端に片桐はそわそわし始めてしまった。そして徹底的に祭りの話はしなかった。一言でも行きたいという意思を見せれば、想像のようになってしまう事が分かりきっているからだ。しかし、そんな思いはあからさまな態度によってしっかり克哉に伝わってしまっている事を、片桐は気がついていなかった。だから克哉に 由緒ある祭りとは言っても、人の集まるところには必ず多少なりともの金の動きがある。それに乗じて一儲け、というのもある意味伝統なのだろうか。夏祭りや正月三が日ほどではないが、神社の沿道にはお決まりのように夜店が沢山出ていた。夏祭りならば、かき氷やら風鈴やら団扇やらと、色々な涼をとるものが並ぶのだろうが、春祭りは少しだけ様相が違っていた。串焼きに練り飴、カステラ、果てはヒヨコまで、雑多な寄せ集めの感が否めないラインナップだった。その中でたった一つだけ、春にしては珍しい夜店があった。近所の小学校から借りたテントの下にブルーシートを敷き、その上にビニール製のプールを膨らませて水槽にしただけの金魚すくい屋だ。安っぽい店とも呼べぬその装いの中、しかし水の中で泳ぐ金魚たちは、夜の様々な明かりと色をキラキラと反射して、とても美しく見えた。 今まで、克哉と二人で出かけられた事に満足していた片桐だったが、光に引き寄せられる虫のように、気がついたら金魚のいる簡易水槽の前にしゃがみ込んでいた。 片桐はそんなに器用な人間ではない。それは分かっていたが、まさか一匹もすくえないとは克哉は思っていなかった。店のオヤジ自作のすくい網は、量販店で売っている物より随分と丈夫そうに見えたし、金魚も小ぶりで捕まえやすそうだった。それなのに片桐は、金魚に気を遣っているのか何なのか、ちっともすくえず長い間水の中に網を入れたままで、やっと一匹タイミングよく上を通りかかってすくい上げた時には、紙の網は無残にも魚の形に破れてしまっていた。 しょげかえる片桐と、あまりのその手際の悪さに苛々していた克哉は、今度は自らオヤジに小銭を渡し、さっさと数匹を椀の中に放り込んだ。もしかしたらこのままいけば十匹以上すくえたのかもしれないが、微妙な力加減と巧さにこれはいかんと焦ったオヤジに泣きつかれ、片桐にも だがそんな楽しみは長くは続かない。 夢心地は数日後には悲しみに摩り替わったのだった。
つづく |