奇跡の果実 御堂×克哉前提<克哉×克哉>
今日は克哉が眼鏡を手にして、そして眼鏡を捨て去ってから初めてのクリスマス。克哉は別に敬虔なクリスチャンでもなければお祭り騒ぎに浮かれる典型的日本人でもないのだが、やはりなんとなく街がざわめく姿に、ほんの少しだけ心が躍っていた。だから克哉は、御堂と二人で住んでいる、いつもは飾り気のない機能美を追求したマンションに、ほんの少しだけ飾り付けをしてみた。とは言ってもどこまでも美しさと簡潔さを求める御堂の好みに反しない程度のシンプルなものだけだ。リビングに細いファイバーで出来た純白の間接照明を出し、正月にも飾っておけるような小さなリースを玄関先にかけただけだが、そんな少しの事でそれらは十分に非日常の雰囲気を醸し出していた。間接照明はほんのり白い雪がかかったクリスマスツリーのように見えたし、リースはただのドライフラワーの類なのに、どこかクリスマス専用の豪勢なもののように見えた。
しかも都合のいい事に今年のカレンダーはクリスマスイブまでが三連休になっていた。だからつい、克哉は浮かれてしまっていた。飾り付けを買う時に、久し振りにワインではなくてシャンパン、しかもロゼを用意してみたり、立派なオーブンに見合わない料理の腕前に苦戦しながらも七面鳥のハーブ詰めなんか焼いてしまったりしていたのだった。ついでに各種チーズまで取り揃え、ちょっとしたツテで手に入れたイベリコ豚の生ハムまでキッチンに用意されていた。
いつもならば下らないと一蹴されてもおかしくない克哉の浮かれっぷりを、御堂も珍しく微笑を浮かべて見ていたのが、一本の電話が今日一日の幸せな時間をぶち壊しにやって来た。
「分かった。すぐ行く。私が着くまで現状維持に努めろ。」
それは、会社からの御堂を呼び出す電話だった。どうやら会社でハプニングがあったようで、どうしても御堂でないといけない事のようだった。御堂はあれからまたいくつものプロジェクトを抱えている多忙な身だ。克哉もそれを補助する立場に居るとは言え、御堂の忙しさは克哉の比ではない。そんなに急用ならば、克哉は自分も行くと言ったが、人手が必要な訳ではないようで、それにどうやら今回の件は克哉がいてもどうにもならない事らしい。仕事に関しては完璧で隙がなく、不必要なら克哉の事も要らないと言い切れる御堂だ。それは克哉にも分かってはいたし、理解して尊敬もしていた。
「いってらっしゃい。気をつけて下さい。」
克哉はそう言うしかなかった。
聞き分けよく、御堂を笑顔で玄関まで送り出したところまではよかった。だが、御堂が玄関のドアを閉める直前に、
「なるべく早く帰る。遅くなるようなら連絡する。」
と、ほんの少しだけ惜しそうな顔をしたのを見て、克哉はやっぱりなんだかつまらなくなってしまった。出来上がった食事は薄切りにしたフランスパンに挟んでランチボックスに詰めなおして御堂に持たせたし、飾りつけといったって、大した事はしていない。シャンパンだって来週の週末にでも飲めばいい。だが、それもこれも全部気持ちの問題だ。一度寂しいと思ってしまうともう駄目だった。急に、用意していたクリスマス用のごちそうやかざりつけや、全てが無駄になってしまったような気がした。はあ、と盛大なため息をついて、克哉は随分前に御堂にプレゼントされて気に入って使っていた黒地のエプロンをばさっと取り外し、暖房をつけたままソファーにどさっと横になって目を瞑った。
目を閉じても、目蓋を通してほんのり光の入るこの空間は、とても静かだった。オフィス街にどちらかと言うと近いこのマンションだが、下の方からは街の雑踏がほんの微かに聞こえてくる。いつもは気にならない程度のそれすらも、今日はどこか楽しそうに弾んだ音を持って克哉の耳に響いていた。黙ってこのまま寝転がっていると、克哉はなんだか無性に泣きたくなってきてしまうような気がして、わざと大きい声を出してみた。
「あーあ・・・つまらないなぁ・・・」
そう言った瞬間だった。
「そうか、そんなにつまらないなら俺が相手してやろうか?」
突然、低い「自分」の声が聞こえた。
「え・・・!?」
いつも何だかんだと酷い目にあっているので、とりあえずこんな状況にも否が応でも慣れっこにさせられていた克哉は、はぁっと先ほどにも負けないほどのため息を今度はわざとらしくついてソファーから起き上がってその尋常でない状況を確認してみた。すると目の前には、やっぱりと言うか、案の定と言うか、眼鏡をかけた自分がいた。
「・・・はぁ・・・どうして出てくるんだよ・・・」
思った通りの展開に、克哉は思わず脱力してソファーに座った自分の膝に、頭をがくりと垂れた。すると、目の前で呆れるような気配がした。
「お前、気がついてなかったのか。今朝のサラダのドレッシングはお前が自分で作っただろう。」
「は?それが今の状況に何の関係があるんだよ。」
突然の自分の乱入に、克哉は多少苛々しながらつっけんどんに答えた。
「その中に、お前は冷蔵庫にあったあの赤い果実を入れただろう?」
「あ・・・」
「思い出したか。」
そう眼鏡が満足そうに頷くのを見て、克哉は確かに今朝の事を思い出していた。最近暇があれば毎日のように料理をしている克哉は、今朝も嬉しそうに二人分朝食を用意していた。そこで自作のドレッシングにあとほんの少しの酸味が欲しくてレモンを探していたら、冷蔵庫になぜか見覚えのない果実があった。瑞々しい赤いルビーのような色。どんな光をあてられても、全て赤に染め替えてしまうような血の色。それは克哉の手を自然と伸ばさせ、そして御堂に絶品とまで言わせたドレッシングができあがっていたのだった。今まで散々酷い目に遭ってきているというのに、どうして気がつかなかったのだろう。克哉はそれが自分自身のせいなのか、眼鏡と果実の関係のせいなのか、どうしても分からず、ただどっと疲れが染み出てきた。だが、そこにいる自分はただ笑うだけだった。
「仕込んでおいたかいがあったな。だが、俺がここにいるのはそれのせいだけじゃない。分かっているな?お前がそう望んだからだ。」
「オレは望んでなんか・・・」
思わず反論しかけると、畳み掛けるように眼鏡をかけた克哉は口を開いた。
「いいや、望んだ。お前は御堂がいなくなって、寂しいんだろう?一人で、その寂しさを紛らわすなんて、人のぬくもりを知ったお前にはできないだろう?一人の時はいい。世の中の楽しさを恨んで、家に篭るなり、何もしないなり、友人を誘ってバカ騒ぎをするなりすればいい。だが、お前は違う。もう、知っているんだ。その幸せを。だが、それは叶えられない。わがままを言う事もできない。それならば、御堂ではないぬくもりを、せめて自分でなんとかできないかと思ったんだ。そう願ったからこそ、俺は出てこられたんだ。俺はお前だからな。お前の欲望に忠実な存在だ。さあ、よく胸に手をあてて考えてみろ。お前は俺を求めた。そうだな。」
「・・・!」
本当はそんな事ないと言いたかった。本当は、いつものように否定したかった。だが、それは本当に自分の本心なのだろうか。今、目の前にいる自分に言われた事は事実なのではないだろうか。あまりに的を射た眼鏡の言い草に克哉は絶句し、そして急に心に吹き込んだ風に攫われるように、はっと気がつけば頷いてしまっていた。
「そう・・・かもしれないな・・・」
その声は、広いリビングにあまりに寂しげに響いた。克哉は眼鏡をかけた自分の表情を、見てはいなかった。しかしその瞬間、目の前の自分が酷く傷ついたような顔をしたような気がしたのだった。それでも、低い自分の声は皮肉を含み、心の奥底を感じさせないような淡々とした口調で話を続けていた。
「正直じゃないか。それでいい。お前はそうやって、正直にしていればいいんだ。」
「でも、やめてくれよな・・・オレ、今はそういう気分じゃないんだ。」
「なんだ、そういう事を期待して待っていたんじゃないのか。」
「違うよ・・・」
今日はなにかおかしかった。いつもは怒ったり呆れたりもできる無茶を言う自分の言葉が、悲しそうに聞こえた。ふと視線をあげると、きっと今自分がしているのと全く同じ表情であろう色をした、自分の瞳がそこにあった。そこにいるのが自分自身だと分かっているからか、その視線がほんの少しだけ柔らかいからか、克哉は正直な気持ちを吐露していた。
「ただ・・・寂しかったんだ。お前が言うとおりだよ、<俺>。オレ一人じゃ、どうにかなりそうなくらい。そう、お前がいたらいいのになと思ってしまうくらいに・・・」
その様子があまりに儚げで、つい、眼鏡は言ってしまった。
「分かった。お前の希望を叶えてやろう。俺はここにいてやる。だから、もうそんな顔するな。」
「・・・うん・・・お前も。」
少しだけ、笑って見せた克哉に、眼鏡をかけた克哉は目を見開いて、次の瞬間には釣られるようにして少しだけ口元を歪ませて笑っていた。
広くて居心地の良いソファーの上に、二人並んで座った克哉と克哉。お互い何を言う訳でもなく、ただじっと窓の外を見ていた。高い冬の空は曇天。もしかしたら深夜になったら雪でも降るかもしれない。そんな事をうっすらと考えているうちに、克哉は強烈な眠気に襲われた。ふっと気を抜いた瞬間、克哉は克哉の肩に身をもたれかけさせて眠ってしまった。
しばらくは、無音の時が過ぎていた。聞こえるのは自分の寝息だけ。その表情が穏やかな事に安堵したのか、眼鏡をかけた克哉はそっと笑って呟いた。
「今日くらい、しょうがない・・・か。これも数ある奇跡の中の一つにしておいてやる。・・・だが、次に俺を求める時は、それ相応の報酬を頂くぞ。今日の分も、な。それに、どうせやるなら御堂と一緒と言うのも、良いかもしれないしな。」
そう言うと、すっと克哉の存在が揺らぎ、そしていつの間にかそこには克哉が一人になっており、ころりとソファーに横になり、そしてなぜか、その身には毛布がそっとかけられていた。
「今帰った。・・・克哉?」
結局連絡を入れられず、深夜に帰ってきた御堂は疲れていた。少しくらい克哉に文句を言われてもしょうがないかとすら思って、更にほんの少し憂鬱になりかけた御堂だったが、ソファーで寝ている克哉の寝顔を見て、休日に呼び出された苦労も何もかも全てが吹き飛びそうになった。眠るその克哉の表情は優しくどこか神聖なもののように思えて、御堂はそっとその横に座ってさらりと前髪を撫でてベッドまで運ぼうとした。だが、一瞬御堂の中に違和感が走った。幸せそうに眠る克哉と、その身にそっとかけられている毛布。自分を待ち焦がれてここで寝てしまっただけ。そう思うのが自然なのに、どうしてか、心のどこかがそれを否定する。原因も理由も何も分からずどこかそら寒い思いを抱かされた御堂は、思わず後ろを振り返っていた。そして何もない事を確認してほっとしたのと同時に、何か背筋を冷たいものが走った。これはまずい、どこかで何かこのツケを払わされる・・・そう思った途端に恐ろしくなり、やっぱりこれから無理にでも克哉を起こして、何があったか聞こうと心に誓った御堂だった。
『メリークリスマス、御堂さん。そして、・・・<オレ>。』
おわり
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