御堂さん誕生日SS

 

不測の事態 <克哉×御堂>

 

 私は、今日が何の日だかを最後の克哉の言葉を聞くまで失念していた。

 

「お前・・・ここを買う気か?」
珍しく克哉が狼狽気味にそんな風に言ったのは、確か去年の暮れの事だったと思う。その頃私は、会社の真上にある克哉のマンションにほぼ入り浸りのような毎日に少々面白くないものを覚えていた。会いたければ来い。抱いてほしくば待て。それは実にあいつらしくも分かりやすい要求ではある。しかし、元々我慢強い方でもなければ、尻にしかれたり引っ張っていかれたりする事に反感を覚えやすい私が、そのような要求を受け続けるのには限界があった。だから、いっその事一緒に住んでどちらの家とも言えるような場所を設ければこの有耶無耶な気持ちにも整理がつくのではないかと同居を持ちかけたのだ。ただ同居するのではつまらない。現在克哉が契約しているマンションより広めかつ二人で十分に暮らせるスペースと機能を備えた、会社から少しだけ離れるが便利な場所の契約書を克哉の誕生日に贈りつけたのだった。
「今の私のマンションを売れば頭金プラスアルファ程度にはなるだろう。それに私とお前になら、何だって出来る。そうだろう?」
そう言って少しだけ笑んでやると、何かを確信したかのように克哉も同じように笑みを浮かべていた。
 

そんな頃から、もう9ヶ月が経つ。何だかんだと仕事を詰めていたせいで引越しが遅くなったが、今は結局先ほどの私の契約したマンションに二人で住んでいる。以前よりも仕事場とプライベートがはっきりと区別され、私としては大変居心地が良いと感じている。社員が、社の創設時からは比べ物にならない程増えたからという理由もある。そんな事情はさておき、今日は何故か知らないが克哉が利きワインをしようと持ちかけてきた。偉そうにそんな事をのたまう克哉だが、ワイン暦は私の方が圧倒的に長い。いくら克哉が目を見張るほどの速度でワインの事まで知識を吸収しようとも、舌だけはそうそう急には肥えられまい。そう思っていたのだが・・・それは間違いであったと気付かされた。

難しい。それが第一印象からずっと続いている感想だった。ソファーに腰掛け、先ほどから克哉の注いだワインを眺めすかし舌で転がすが、一向にこの赤い液体の出所と年代が分からない。しかめっ面をして考え込む私を尻目に、克哉は早々に私の用意したワインの銘柄と年代も誤差範囲で当てたご褒美にと、一人で杯を傾けている。
「どうだ、分かったか?」
コトリとガラスのサイドテーブルにグラスを置いた克哉の手が、私の膝から太腿にかけてを撫でていく。それをぱしっと払い、私は克哉を睨んだ。
「邪魔するな。南イタリアまでは思い出した。フランス産ではない。ドイツの風味とも違う。イタリアの、それも南部のものだろう・・・っ!」
随分と確信には迫ってきているような気もする。だが、さっきから飲み飽きた克哉が私の身体を触って邪魔するのであと一歩が分からない。
「年代は・・・どうだ。30年、いや35年と言ったところか。・・・あっ!」
最初は掌で撫でるように肩やら腰やらを触っていた克哉が、するりとシャツの中に手を滑り込ませて胸までその悪戯な指先が迫っていた。思考はワインと克哉の指先とに分断され、どちらにも集中できずにいたところ、敏感な部分に触れられて思わず声が出た。途端に羞恥に襲われたが、克哉は何も言わずに私を穴が開くほど見つめている。その瞳は獰猛で凶暴なのに、どこか熱く優しい。思わず背筋がゾクリとし、私の中の熱が呼び覚まされそうになった。
 

 しばらくは我慢していた。分からない思考にも、的確に感じる場所だけを触れてくる指先にも。だが、そんな我慢も克哉が耳の中にくちゅりと舌を差し込んで
「どうだ?分かったか?」
と、低く低く囁く声で無に帰した。
「もう限界だ!」
とうとう私は叫んでしまった。身体が火照ってしょうがない。頭ではこいつの誘いに乗ってはいけないと意地を張っていても、身体は克哉を求めてくる。そのふたつに絡み取られ、ついに私は、認めたくはないが誘惑に負けてしまったのだった。
「どちらかにしてくれ!」
「そうか。では、遠慮なく。」
そう言ったかと思うと、克哉は私からグラスを取り上げ、あっという間にソファーの上に私を組み敷いた。

 

 

 全てが終わってみると、私は全身で疲労を感じていた。結局ベッドルームに向かう事無く、あのままソファーで何度も何度もされてしまった。狭い場所から落ちまいと、必死になって変な筋肉を使ったからか、普段よりも随分と身体にかかる負担が大きいような気がしていた。それを多少の言い訳に、私はぐったりと克哉にもたれかかっていた。
「良かったか?」
そんな風に耳元に落とす言葉も意味を持たなかったので、うっかり肯定の言葉を漏らしてしまった。その答えを聞いて、克哉は嬉しそうに、いつものような怜悧で残忍な笑いを口に含ませていた。アルコール分と熱の余韻で朦朧としていたからだと今は主張したい。
 

その後しばらくそのままでいたが、やがて克哉がカップにホットワインを持ってきた。どうやらその中身は克哉が利きワイン用に用意したもののようであった。なかなかの味だったので、全部そのままで楽しもうと思っていた私は、さぞ不満そうな顔をしていただろうと思う。だが、そのカップを克哉が私に手渡し、無言で飲むように指図する視線はどこか優しくて、文句は口の中に溶けて消えてしまった。半分ほど飲むと、カラッと何かカップの底で音がした。
「何だ?」
尋ねたのに、克哉は答えず目線だけで『続けて飲め』と言い、ワインの正体を明かし始めた。
「お前の生まれた年に、南イタリアの海辺で取れたものだ。地元のワイナリーの家庭用のものだから、お前がこれを当てられなくとも恥じる必要はない。」
「何でそんなワインを利きワインなんかにしたんだ。ゲームの主旨に則ってないぞ!それに、私の生まれ年ならフランスの・・・」
そこで講釈を垂れようとすると、カップを取り上げられぐいっとホットワインを飲まれ、そのまま深く口付けられた。やっと唇が開放されると、克哉は真剣な顔で私の瞳を見つめていた。克哉の手元から、私の手元へ空になったカップが渡されたのに、そちらに視線を向けることができない。私はまるで克哉の視線に縛られてしまったかのようにその薄い瞳の色を見つめ返していた。そこに、静かで低い克哉の声が流れていた。


「お前の生まれた年、このワインが作られた村では、酷すぎる干ばつで収穫が少なかった。品質は最高級品とまでは言えないが、それでも少ない葡萄を大切にして作られたものらしく丁寧に作りこまれた味がする。風味が深く、思わぬ所で驚かされる。まるでお前のようだと思ってな。取引先で知り合ったワイナリーの経営者から直接譲ってもらった。らしくないとは思うがな。」


「克哉・・・」
こいつがそんな事を考えていたなどとは知らなかった。まるで考えもよらなかった答えに、私は少なからず感動していた。克哉の素直な言葉が聴けるなど、一体いつ振りのことだろう。そう思って感慨深く見つめ返していたところ、克哉に顎で、手の中にある空のカップを指し示された。

「それから、そいつもプレゼントだ。ハッピーバースデイ。御堂さん。」

カップの底には、ワインの渋にも染まらず銀色に美しく光る、一つの指輪が転がっていた。そんな言葉と共に贈り物を克哉から貰うとは、今年の誕生日は私にとってまさに不測の事態であった。

 

おわり