抱き枕 <本多×克哉>
それはある寒い日の事だった。いつも通り、克哉と本多は一緒に会社から帰途についていた。ふと本多が大きな通り沿いの駅前の信号待ちで街路樹を見上げると、ほぼ枝だけになった木から枯葉が一枚落ちてきた。
「お、もう秋も終わりだな、克哉。」
そう言って、隣に佇む克哉に声をかけた本多は、返事も反応もない克哉に、ひょいと腰をほんの少しだけかがめて顔を覗き込んだ。
「おい、克哉?」
「あ・・・ああ、何か言った?」
「いや、大した事じゃねぇけど。」
「ごめん、なんか寒くて・・・思考回路が麻痺してたかな。」
そう言われてみれば、克哉の顔は血色が悪く、小刻みにカタカタと震えていた。季節も秋から冬に変わろうとしているが、まだコートを出すほどでも凍えるほどでもない。むしろ外を歩き回る営業の日は、電車の中でスーツの上着を脱ぐほどだ。確かに今は日も暮れ、長い信号待ちでじっとしていると、ただでさえ寒そうに見える細身の克哉の身体は冷え切っているようにも見えた。だがやはり、本多にはそれほど寒いとは感じられなかった。しかし克哉がほおっておくと風邪をひく事も知っていた本多は少し心配になって、青になった信号を確認し、横断歩道を歩き始めながら克哉に話しかけた。
「そっか。んじゃ、今週末にでもコートを出すかな。俺はまだいいけどよ、とりあえずお前だけでも出しておこうぜ。」
「うん、そうしてもらえるとありがたいかな。」
二人が一緒に暮らし始めて一年以上が経つ。もう衣替えも大して未知のイベントでもなかったので、二人は自然とそんな会話を続けていた。
しかし、克哉が寒そうにしているのは外にいる時だけではなかった。本多にとっては暑いくらいの満員電車の中でも、克哉は自分の手を擦り合わせたり、腕をちぢこませて震えていたりした。さすがにその様子が尋常でないと思った本多は、ホッカイロを買っても帰り着くまでには温まらないだろうと、二人のアパートの最寄り駅を出てすぐのコンビニで、ホッカイロがわりに肉まんを二つ買った。一つはどこかぼーっとしている克哉に、そしてもう一つは小腹の空いてきた自分のために。
二人のアパートまでは歩いて十分くらいかかる。駅からの道のりを、ほくほくと肉まんを食べながら二人は帰っていった。だが、最初は温かいといってかぶりついていた克哉だが、途中からもう食べきれないと言って本多にあげてしまった。そう言えば、昼食も残していたような気がする。克哉からもらったのと合わせて約二個分の肉まんをぺろりと平らげてから、本多は克哉を覗き込んで立ち止まり、心配そうに眉を寄せた。
「どうした?今日は確かに寒いけどよ、そんなに震えるほどじゃねえぞ?」
「うー・・・」
やっぱり上の空で曖昧な言葉を漏らす克哉に、
「風邪ひいたんじゃないのか?」
と言って本多は克哉の額に手を当ててみた。やっぱり熱いような気がする。それに、道端でいつもこんな事をやろうものなら、真っ赤になって抗議するような克哉なのに、今日は何の反応もなく、
「あー、おかしいなぁ・・・寒いのに、本多の手は冷たくてきもちいい・・・」
などと言っている。これは本格的におかしいと思った本多は、これから夕食の買い物を克哉と一緒にしようと思っていたがやめにして、結局、家にあるものだけで早めに夕食にして、克哉を休ませる事にした。
家にあるものと言えば、白米とニンジン、じゃがいも、牛スジ、そして何を思ったのか片桐からもらったチクワくらいだった。もし克哉が元気なら、牛スジカレーでも作ろうかと思うようなラインナップだったが、どうも今日は克哉がそんな重いものが食べられそうにない体調で、うーんと本多はひと唸りしてから多少強引にメニューをおでんにする事にした。片桐に大量にもらった時はどうしようかと思ったチクワだったが、今はあるのが有難かったし、ニンジンやじゃがいもは出汁で煮込めば十分おいしいだろう。牛スジは今時コンビニのおでんでも売っているメジャーな具だ。あとは昨日の煮物に入っていたこんにゃくと、買い置きの卵に冷蔵庫の中で半分しおれそうになっている大根を入れれば完璧だ。そう思った本多は、居間のコタツに半分埋まってぼーっとしている克哉に声をかけた。
「今日はおでんにするからよ、お前は休んでな。」
「ありがとう、本多。」
そう言って少しだけ笑顔を浮かべた克哉を見て、本多は腕まくりをした。おでんはカレーと鍋に次いで本多の得意な料理だ。何しろ全部丸ごと鍋に入れたって誰も文句を言わずに美味しく食べられる素晴らしい献立だからだ。それに、出汁の作り方はやっぱり鍋奉行だった父親直伝のかつおだしで、概ねどこで出しても好評だ。しかし今日は、少しは克哉に遠慮して具をおおざっぱに切る事にした。
そんなこんなで、煮込むこと30分。またちょっと作りすぎた感はあるものの、美味しそうな匂いを含んだ湯気がたちこめた。ちょうど炊飯器からも炊き上がりの電子音が響いてきた。
「さ、食おうぜ。いただきます!!」
「ありがとう、いただきます。」
ご飯は各自で好きなだけよそうことにしている。本多は関東風本多家バージョンの味の濃い目のおでんをおかずに、いつものように山盛りにご飯をよそった。克哉は茶碗に半分ほどだ。そして克哉はおでんの方も、こんにゃく、大根、ニンジンといったカロリーもろくにないものばかりを選んでは食べている。逆に本多は、牛スジやら卵やらチクワやら、動物性タンパク質を積極的過ぎるほどに食べていた。まあそれもいつものペースではあるものの、さらにいつもより食が進んでいない克哉に、心配が的中したと本多は思った。いつものように『残すな』とも言えず、大部分を本多が平らげる事で夕食はお開きになった。
やっぱり風邪じゃないかと言う事で、まだ午後十時にもなっていないが、本多は克哉を寝かせる事にした。病院もしまっている今の時刻。咳もしないし鼻水も出ていない。ただひたすら寒気がするだけだと言う。それならば、緊急病院に行くほど大した事じゃないだろうと、コタツに克哉一人を残して、本多は近所のドラッグストアで風邪薬を買ってきてやった。
「じゃあ、よく休めよ。」
克哉に薬を飲ませてベッドに寝かせ、本多は毛布だけを持って寝室を去ろうとした。このアパートにはベッドが一つしかないからだ。体調が悪い時くらいは一人で寝かせてやろうと思ったのだが、その考えは次の克哉の一言で打ち砕かれた。
「一人じゃ寒いよ、本多。」
「・・・!」
目を少し潤ませて寂しげに眉を下げている克哉はあまりに扇情的で、本多は思わず、どんな誘い文句だと噴き出しそうになった。しかしこれは病人の言っている言葉。真に受ければ余計に悪化させてしまう。そんな過去と前科がない訳でもなかった本多は理性を総動員させて、そのまま襲ってしまいたい衝動をこらえてそっと克哉の髪を撫でた。
「・・・分かったよ、克哉。一緒に寝てやるよ。」
「うん・・・ありがと。」
本多が布団に入ってくると、すぐに克哉は寒い寒いと言って本多に抱きついてきた。それはどこにも色艶のない仕草で、ただ子供や動物が温もりを求めている行動のようだった。しかしそれでも本多には十分すぎるくらいの誘いの魔の手であり、しばらく硬直して動く事もできなかった。そうしているうちに、すうすうと寝息が聞こえ始め、気がついたら克哉はがっちり本多に手足を絡ませて気持ちよさそうに眠っていた。無理矢理抱くことは今更できないし、かといってこんなに強固に抱きつかれていてはどうにかなりそうな下半身を開放しにトイレに行く事すらできない。
「俺は抱き枕かよ」
本多の虚しいため息は、部屋に広がってすぐに消えた。
まだいつもの就寝時間よりは何時間も早いために眠くはなかったし、克哉に抱きつかれている事で色んなところが妙に緊張している絶好調我慢大会中の本多だったが、いつの間にか規則正しい寝息につられ、寝てしまっていた。
翌日、克哉はすっきりと目を覚ました。寒気も取れて、少し出ていた熱もすっかり引いたようだった。それに微熱の克哉に抱きつかれたくらいでは、風邪の方が本多を避けて通るようで、本多にも風邪はうつらなかった。
「よかったな、克哉。」
「ああ、もう平気みたいだよ。それに本多が暖かかったし。」
元気にそんな事をしゃべる克哉を、
『俺は抱き枕じゃなくて湯たんぽだったのか』
と、嬉しそうに、でも少しだけ恨みがましい目で見る本多なのだった。
おわり |